小学生の頃から家族の朝ごはん、弁当、夕食当番は私だった。失敗も多かった。

塩をいれたら美味しいのではないかと思い、塩をいれてご飯を炊いたこともあった。

YOUという番組で紹介された弁当をみて、カツどん弁当を作って、汁がかばんに

こぼれたので兄貴にぼこぼこにされた。懲りない私はその後もかかんに新作に

励み、傑作や大失敗作を量産した。

家は農家で兄弟も多かったので鍋に大量につくるため、一人暮らしで分量が

わからなくて、味が変で、美味しくなくて、少なく作るのがむずかしい。

ヤギを飼っていたので、毎朝、兄貴か親父が絞った乳をあっためて飲んでいた。

ヤギの乳搾りは結構コツがあって、濡れ布巾でマッサージしリズミカルに絞って

いく。さぬきうどんくらいのがでると結構うれしい。乳は癖のある味で給食の牛乳や

脱脂粉乳とは違い、コーヒや砂糖を少し入れて飲んでいた。ゴーダチーズを大人

になって好んで食べるのは幼少期の味の記憶のせいだろう。

くじらも家でよく食べました。とくに脂身はジャガイモと一緒に煮物にしたり酢味噌

で食べたり。

兄貴がとってきて調理した天然うなぎの蒲焼はとてもおいしくてあれ以上に美味

しいうなぎをいまだに食べたことがない。幼少期いかに美味い物をたべていたか

大人になってはじめてわかりました。

うちの兄貴は、どうゆうつてなのか、天然の平貝とかひらめやら珍しいものを

自分でとったや譲ってもらうことが多かった、それは父も同じでいま考えると

とても贅沢なご馳走を食べてたんだなと思う。

海の幸、山の幸、手作りの味噌や菓子、だしだって鰹節で引いたものや、こんぶ、

あごなど。お茶やジュースも手作りで高校時代は化学部だったのでお約束どおり

ビーカや試験管でラムネ、カルピスを実験と称し作ってのんでました。

小さい頃七面鳥を飼っていて、小学生中学年頃だろうか、思いっきり小突かれ

泣かされた。でもクリスマスの日には食卓にご馳走の姿になっていた。

いたちや野犬さえ追っ払っていた七面鳥だったので心ひそかには尊敬していた

ので心で泣いて、美味しく頂きました。

実家に久しぶりに帰ったとき、お祝い事で家で宴席があったのだけど、仕出し

ものが多くて、昔日の頃の手作りのご馳走じゃなくて興ざめしてしまった。

母が高齢で仕切れなくなったこともあるが、母と兄嫁で味の引継ぎが完全に

失敗してしまったようだ。

自分も現在は、姑と同居しているが、結婚して十数年後の同居だと味の継承

も難しいみたいだ。漬物や味噌、こちらでしかとれない野菜や菓子の調理など

覚えなきゃいけないことばかりなのに難しいね。

自分の味覚を作ったのは幼少期に過ごした九州の味の記憶だが、縁あって

東北にきて、まったくことなる文化圏の味に戸惑うこともあるが新しい美味しさに

も目覚めてしまった。

日本の西の果てに生まれて北上してきて色々な味や料理を覚えてきたので

我が家の食卓はなかなか面白いです。九州味、関西味、関東味、東北味。

うどんをお昼ごはんに作るとき、あごだしにして薄口でしあげることもあれば、

かつおとコブに濃い口で仕上げたり、うどんのかわりにひっつみとかね。

だしに関しては基本はかつおとこぶとしいたけというのは、日本全国共通

なんですね。おいしいだしをひいて今晩は何を作ろう。

バレンタインなのに、なんのご馳走も考えていない私だった。