妹が開けたドアの向こうには、ベッドで横たわり、ガーグルベースを口元に置いて苦痛な表情でえづいてるお母さんがいた、腕には点滴チューブ、胸の辺りからも何かのチューブがでていた、いつもなら自分の姿を見ればお兄ちゃんと声をかけてくれるが、何の声もかける事なくガーグルベースに向かいえづいていた、妹がお母さんにお兄ちゃんが来たよ、と背中をさすりながら言う、ガーグルベースを口元から離して、必死に落ち着いて体を起こし一言、二言自分に向って何か言う、何を言ってるのか分からない、言葉になってないけど、自分は頷くだけしかなかった、頬がこけて目が大きく深いシワだらけのお母さんを、もうすぐ会う事ができなくなるお母さんを受け取めるので精一杯で自分からは何の言葉もかけれなかった、妹がこれお兄ちゃんが買ってきてくれたんだよ、とカーネーションを台の上に置く、無言でカーネーションを見つめていた、少しするとまた横たわりガーグルベースを口元に置いて苦しそうにえづきだした、妹がイスに座って少しここにいればと言うが、自分は首を横に振る、母親が苦しんでる姿は見たくないし、見てられなかった、ここに居ても何もできない自分も嫌だった、じゃあ、握手して帰ろうかと妹が促す、お母さんと初めて握手する、手はむくんでたが温かかった、、、、

病院を出て車の中でラインを確認する、急変があるかもしれないと妹からラインがあった後、お母さんに無理しないでと送ったライン

既読だけがついていた、、、

妹からのラインで送られてきたお袋の写真は、頬がこけて痩せて眼が大きく、深いシワの苦痛の表情したおばあちゃんの顔になっていた、あぁ、、、急変あるかもしれないと言うライン、、、胸が重苦しい感情になる、お母さんに何か言葉をかけたい、、、、何でもいいんで言葉をかけてあげたい、ただ、頑張ってとは言わない、頑張るのは一番本人が分かってる事だし、頑張ってるのもみんな分かってるから、、、だから、だから、、、無理しないで、、、とラインを送った、もう、このまま会えないかも、、自分ができる事は、お母さんの子供として最期に出来る事は、この時期はカーネーションを送る事かもしれない、急変あるかもしれない母へ、50半ばのおじさんが最期に子供としてやる事としては足りないものを感じるけど、面会、見舞いに行けない、コロナ禍の今はこれくらいしか思い浮かばなかった、妹へラインを送る、“今からホームセンターでカーネーションを買って妹の所へ持って行くから、お母さんに渡しといてくれない”分かった渡しておくと返信のラインがあってから、しばらくしてまた妹からラインが来る、“やっぱりお兄ちゃん直接渡して、お母さんに会いに行こう”と、正直迷いはあった、見舞い面会が禁止になっているのに、会いに行くと妹に迷惑かけてしまうかもしれない、、、でも、これで会えなくなるかもしれないと、妹と病院の駐車場で待ちあわせして会う事にした、病院の廊下を足早に、スタッフステーションの前の廊下を足早に妹の背中の後をついて行く、、、

午後一番のラインだった、今お母さんはこんな感じです、もしかしたら急変あるかもしれないですと妹から写真入りのラインがあった、どうする今日の夜お母さんに会う?、、、、妹は2人いる、2人とも同じ病院で看護師として働いている、その病院でお袋も親父も最期はお世話になった、2月20日にラインでお母さん下腹部の痛みが酷く歩くのつらいからと病院に連れていって診てもらったら、大腸がんで、既に肺や肝臓に転移してるとラインがあった、夜勤入りの時のラインで少し放心状態になった、、、分かりました、また何かあったら連絡下さい、そう返すしかなかった、4月17日にとりあえず、痛みだけは無くしてほしいという事で大腸がんの方の手術を行ない、抗がん剤治療は行わない、、、、本人希望だと妹から聞かされる、4月17日普段自分からは用事がないとラインしないが、やはり手術の事が頭から離れず、お母さんにラインを送る、手術は成功すると信じていると、、、有難う頑張るからねと返信ある、この時程、見舞いや面会に行けない、今のコロナ禍が憎いと思った事はなかった、夜妹からラインが入る、手術はとりあえず成功したと、胸をなでおろし、それからはお母さんにラインは送らなかった、あえて送らなかった、できれば治療に専念して欲しい事や、もしその後も転移したところが辛くなって苦しみや痛みの最中にラインなんかできる状態だろうし、連絡なければ状態は良いだろうと思いたかった、そんな中一度お母さんからラインが来た、お兄ちゃん、お仕事中ならごめん、何とか一週間頑張ってきたけど、その後のケアが大変と、あー、とりあえず痛みや苦しみの訴えがないので、この後のケア次第で一時退院できるもんだと思ってた、退院したら帰りますと返信する、、、