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昨年、古本市で手に取って、しばらく寝かせてあったものを、春頃から少しずつ読んでいる。
少しずつとはインターバルの話で、読むときは一気に読まされる。
そして読後は暫し放心させられる。

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戦争物は意識的ではないにしろ倦厭してきたきらいがある。

戦闘機とミサイルが飛び交い、戦車と戦艦が走る。銃器や弾薬の型番の羅列。
ミリタリー好きを満足させるだけのディテールと、押しつけがましい倫理観、歴史に学ぼうという当たり前すぎる規範の投げ売りを、先入観として抱いていたのかもしれない。


この小説も、倫理観に訴えることは確かにある。

しかし、読み手に訴えかけるのは作者でなく、物語の中でもがき苦しむ登場人物たちの、それでもなお己の内なる願いと仲間を信じて生き抜こうとする姿である。

そう、彼らは確かに物語の中で生きている。
そして死んでゆく者がいる。

どうしようもない不条理を経験させられ、贖罪の寄る辺を求め流されるしかない大人たち。
少年の想いと少女の歌が、それを変えてゆく。
大人たちが変わってゆく様を、確かな拍動を感じながら見て取れる。
この巻ではそれが特に顕著だ。

その変化の奔流に心揺さぶられる。
「ただの史実に基づいたフィクション」に留まらないエネルギーが、彼らの言葉と思考から紡ぎだされる。


自分も流される大人になってはいまいか。
むしろ、大人と言える経験も年も経ていないのに、この有りようは。これでいいのか。

押しつけられる価値観と日々の営みを消化するだけの器官となり下がっていまいか。

大義とは、生きる意味とは、死ぬ意味とは、成すべきこととは。
守りたいものは。


作品との出会いもまた、めぐりあいである。
何かしらの意味があると感じずにはいられない。

広島、長崎、そして終戦を想起する季節、67年前に確かにこの国で起きた事実に、いま新たな視点で想いを馳せる意味。

戦いたくもないのに戦い、死にたくもないのに死んでいった多くの屍を喰らって生きているのは、彼らだけではなく我々も、なのだ。

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