大相撲に物言い!
相撲が面白くなくなった。
その理由はいくつかあると思うけど、根源的なものとして、
1) 目的を見失っていること と
2) 時代の変化に合わせた意識と組織の改革がなされていない
点が上げられると思う。
1) に関しては、大相撲が「国際的に開かれたスポーツ」であるのか、「日本の伝統文化」であるのかがわからなくなってきている。根源的には後者であり、大和民族の繁栄と五穀豊穣をねがった祭事のひとつとしての興行・余興と位置づけられてきたと思う。民族統合の象徴行事ともいえる。その考えを守るのであれば、日本国籍を有しない人は力士となるべきではない (別して民族差別ではない)。もし前者であると考えるならば、親方が日本国籍保有者に限るとするのはおかしいし、それなりの改革も必要と思う。
2) に関しては、あまりにもいろいろといいたいことがあるが、とりあえず簡単に改革できそうないくつかの点に関して、以下に記載した。
a) とにかく怪我が多すぎる。怪我によって力を発揮できずに力士生命を終える者が多い。その理由は、力士の大型化にあると思う。体が大きくなったことにより、ぶつかり合った際のエネルギーや、転がったりした際のエネルギーが大きくなり、それだけ怪我をしやすくなった。力士達は股割りなどを通して体をやわらかくすることで怪我を防いではきたが、それだけでは対応できなくなってきている。何らかの対策が急がれる。とりあえず、土俵の高さを少なくとも今の半分にし、落下した際のエネルギーを小さくすべきと思う。
b) 立会いに緊張感がなく、あまりにもつまらなくなった。その最大の理由は、両手をつくことを強要している点である。あうんの呼吸でぶつかり合うことがなくなった。その証拠に制限時間前の立会いがほとんど見られなくなった。日馬富士の時間前のあのしぐさも、ひどい! あれでは絶対に立つことができない。立会いの決まりをなくして、「呼吸が合えばいつでも立つ」という本来のあるべき姿に戻すべきと思う。「仕切り」は無の境地に至る所作であり、無と無の境地のぶつかり合いが「立会い」であって、それが勝負事を越えた「祭事としての究極の美の世界」を生む。(大鵬の立会いは常に美しかった、と子供心に記憶している。彼の立会いはいつも力みが消えた神がかったオーラを放っていた。)
c) 体重別にすることは相撲を面白くなくするので、賛成はできないが、スポーツと考えるのであれば、そこまで踏み込まなくては行けなくなるであろう。ただ、健康面や前述の怪我との関係を考えた場合、上限の体重設定は必要と思う。40貫(150 kg)を超えないこととしても良いのではないか。
d) 力士は忙しすぎる。7月場所を無くし、現在の年6場所を5場所にして、夏巡業を少し余裕をもった開催として、全国を回るシステムにしてはどうだろうか。初1月東京、春3月大阪、夏5月名古屋、秋9月東京、結11月福岡。
他にもいろいろあるが、とりあえず、ここまで・・・。
私は相撲が大変好きだ。
伝統を守りつつ、一方で時代に合わせた改革も進めていかなくてはいけないのではないかと深く感じる(組織のあり方ももちろん)。