こんばんは。



これの続きです。




私の勉学については、理系選択者120人がいる中の上位20%くらい、クラス順位でいうと40人中5-10位以内をウロウロしている成績であった。


出身高校は偏差値50-55くらいの普通科であり、そこまで突出しているわけでもなかった。

(私の1学年下からは特進クラスが設けられていて、そのクラスのみ新校舎で授業を受けていた。羨ましかった。)


付属高校であったので、当時のセンター試験のような「基礎学力到達度テスト」というものがあり、系列に在学している高校3年生は内部外部志望問わず必ず受験しなれけばいけなかった。


内部志望の受験生は、このテストの成績を元に順位付けされ、トップの生徒から志望学部・学科を選択できるというシステムである。

(外部志望にはただの模試感覚だったのかもしれない。)


志望学科を見つけたことで、残り2ヶ月でそこを夢見ていた同期、浪人生と戦えるくらいの勉強量が必要になった。






朝起き、家の机に向かい、塾の夏期講習を夜まで受け、閉館ギリギリまで自習室で宿題をこなしていた。

本当にあっという間に高校最後の夏が終わった。


面白いことに、私はその間うどん以外の食べ物を口にすることができず、10kgも体重が減った。

制服のホックがひとつ奥に入った。




試験が行われたのは9月の後半だったような覚えがある。

当日のことはあまり覚えていないが、定期テストよりも厳かに、静寂につつまれた教室の中で鉛筆の音だけが聞こえていたのだけは覚えている。




10月13日、私の人生がまたひとつ変わった。




第1志望に通った。



表の見方を補足すると、

・〇がついているのが合格した学部・学科である。

・標準化点というのは≒偏差値である。

・得点の割合は1-2年生40%、3年生60%に圧縮され合計とされる。


手が震えた。

校内スマホ禁止だったが、カバンの中でこっそり家族LINEに「〇」だけを送った。






最寄り駅のエスカレーターで泣きながら母親に電話した。

最初母は送られてきた〇の意味が分からず、電話口で鼻水をすする私が志望学科に受からなかったと思ったそうだ。


次に祖母、親族、仕事中の父へ電話をかけた。
電車に乗ったのは最寄り駅についてから1時間は経っていただろう。


我が親族は文系が多く、私は理系進学、それもまた獣医学科に受かった。
これで頭の良さを証明できたと思っていた。
とても驕っていた。

























地獄を見るまであと5年。