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大野谷虫供養(西之口道場)


 現在、忌中につき、新年のご挨拶を遠慮させていただいております。
 申し訳ございません。

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 さて、その関係もあり、正月は実家に戻っておりました。初詣もできないので、元旦には、以前少し話題にした、大野谷虫供養に行ってまいりました。今年は、卯年ですので、旧西之口村(常滑市西之口)が当番になります。西之口の西用寺というお寺の西側に道場が建てられており、一月十五日までです。

 繰り返しの記載になるようですが、この「大野谷虫供養」の由来も、次のような小督(お江)もしくは大野城落城伝説に関連します。

 大野城落城の際、佐治與九郎(一成)の夫人-この西之口道場の世話人の方に、「つまり小督(お江)ですか?」と尋ねたところ、「そういう伝説もありますね」程度の答えでした。例によって、別の由来があるものに、お江伝説が重畳されてしまったものかもしれません-は、阿弥陀如来の掛け軸を手に落ち延びました。「蓮台寺」を経て、その掛け軸を「大興寺」というお寺に隠しました。その後、その近隣の13ヵ村ではその掛け軸をかけて、戦死者の供養にしたということです。現在でも、二市にまたがる旧13ヵ村(南粕谷村、小倉村、宮山村、石瀬村、榎戸村、権現村、大草村、羽根村、北粕谷村、矢田村、大興寺村、西之口村、松原村)が交代で当番にこの掛け軸を持ち回って「虫供養念仏」が続いている、というものです。本来、あった素朴な虫供養と五穀豊穣を願う村人の祭りに、大野城落城に伴う「武者供養」が、さらにはお江伝説が加わり、いつの間にか現在のような「虫供養」行事として残っているのだと思われます。「虫供養」は、県の無形民俗文化財に指定されています。

 昔、よく祖母に手をひかれて行ったきりですので、何十年ぶりかの「虫供養」です。 

一枚目: 西之口道場
二枚目: 虫供養の幟(なぜか「平成十七年」とある。予算不足なのか?)と、道場へ通じる白い布
三枚目: 大野城祉から遠望した、大野谷(左側が大野方面)