今日都内の自宅に戻りました。

今回の帰省では旦那くんのご両親にとてもよくしていただき、もっと旦那くんを大事にしてあげなきゃ、と反省させられました(´・ω・`;A)←そこなの!?

男の子のママになった今、旦那くんのお母さんは尊敬すべき点がいっぱいあることに気づかされます。

23歳の息子が「結婚したい」といきなり言い出したときはどんな気持ちだったんだろう。。
大学を卒業して就職した矢先、きっと今でもすっごく可愛いと思っている息子。
どこの馬の骨かもわかならい女(私)wとよく結婚させてくれたなぁと思います。。

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まだ一人ではなにもできない息子にも、大切な人ができて家族を持つんだろうなぁ。。
今はまだ、快くお嫁さんを迎え入れる自信が全くありません(笑)

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あっ、ハイハイできそう目


今日は3月11日、震災から3年ですね。
あの日はまだ夫婦ふたり暮し。
妊娠前で、仕事をしていました。
4月人事異動の発表日で、社内がいつもより少しだけそわそわしていた以外は、ごく普通の日常。
そんな時に襲ったあの地震。
デスクの下に身を潜めながら揺れがおさまるのを待ちました。

オフィスは高層ビルなので揺れが強くて強くて。。
ビルが崩壊すると本気で思いました。

当然仕事は機能停止。
東北のオフィスとは連絡が取れなくなっていました。
会社のおじさんたちはご家族の無事を確認するために奥様に電話をしていました。

帰りは交通機能がマヒ。
バスをなんとか見つけ、超満員で1時間かけて渋谷駅へ。
新橋行きのバスに乗ろうとしたら300人くらいの人が並んでいたので諦め、ガラガラの日赤病院行きのバスに乗り広尾へ。そこから歩いて帰宅しました。
歩いている途中に見つけたコンビニはおにぎり・パン・カップラーメン、どれも売り切れでした。
ヒールが痛くて痛くて、辛かったです。。

つながらない携帯。。
旦那くんは毎日違う会社でお仕事をしているので、その日はどこにいるのかがわからず。。
自宅にもう戻っているかな?と思ったものの、まだ帰っておらず。。
こういう時に備えて毎日行く会社を教えてもらっていればよかったと後悔しました。


結局私より2時間ほど遅れて帰宅。。
日比谷でお仕事していたようですが、帰って良いというgoサインが出るのが遅かったみたい。





もしこれが、妊娠中だったらどうなってたかな?
今と同じ状況だったら?復職して、息子を保育園に預けていたら?

守る人がいる今、あの日の教訓を思い出し、準備しないとですね。

あの日に犠牲になった方の時間はあの日に止まってしまっていて、
その間に私は妊娠して子供を産んでいるという事実。。

犠牲になったすべての方に哀悼の意を表するとともに、今の自分を支えてくれている人々に感謝します。