今日は学部2年?のときに受講した日本国憲法
の授業について書こうと思います。
その授業では
最後の授業でレポートを提出しました。
そのレポートはまーまーいい成績だったので
アップしようってことです
か?w
参考になるかわかりませんが、
誰かのレポートの手助けになればイイなと^^
そのときは原稿用紙に書いたので
パソコンに打ち込むのは大変でした
レポートの評価はおいといてー
その打ち込もうと思った
気持ちを評価していただきたいどす!w
今回は、銭湯と薬局の判例について取り上げます。
本問では、今日の職業選択の自由についての規制の範囲が書かれている。
日本という国の経緯を辿ってみると夜警国家から福祉国家へと変化してきたことがわかる。
昔を考えてみると、富を持ってない人は奴隷になるしかなかったが、現在では例えば、就労者に対し最低いくら払わなければならないなどの労働基準法と呼ばれる法律が定められている。
本問では、規制に関することが題材にされているが、規制には、消極目的による規制と積極目的による規制がある。
我が国が夜警国家であった時に行ってきたのが、消極目的による規制である。
消極目的による規制とは、秩序維持を目的とした規制である。
違憲審査基準が厳格であり、厳格な合理性の基準である。
それに対し、積極目的による規制とは、福祉国家の表現で、積極的に市場経済に与える目的を考慮
した規制である。
また、積極目的による規制は、消極目的による規制よりもより緩やかな合理性の基準である。
次に、本問の判例である銭湯と薬局の距離制限について考えてみる。
まずは、薬局の事件について考える。
この事件は薬事法違憲事件というものである。
事件の概要は、スーパーを経営していた会社がある店舗で医薬品販売をするため、県に許可を申請していたが、薬事法に定められた薬局設置制限距離内にあったため、不許可となった。
薬事法とは、薬事審議会、薬局ならびに医薬品および医薬用具等の基準、検定、取り扱いなどについて規制し、国民の保健衛生の向上を期した法律である。
また、薬局間の過当な闘いによる、誤投与により、国民の安全を脅かしてはならないことや、既存の零細企業を保護する目的でできた法律でもある。
会社は薬局の設置規制を定めた薬事法が、憲法違反であるとして処分取り消しを求めて提訴した。
第一審は、会社側勝訴、
第二審は、会社側敗訴ということであった。
争点は、薬事法の薬局設置制限は合憲かという内容である。
薬局の距離制限は、消極目的である。
距離が原因で、競争が激化し経営が不安定になる。
そして、法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危機が、薬局等の段階において、担当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定に過ぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいと言わなければならない。
仮に、前文に述べたような危険発生の可能性を肯定する。
例えば、薬局等の偏在によって競争が激化している一部地域に限って重点的に監視を強化することにより、その実効性を高める方途もあり得ないではなく、また、被上告人が強調している医薬品の貯蔵、その他の管理上の不備等は不時の立ち入り検査によって比較的容易に発見することができるような性質のものとみられる。
このことを考え合わせると、供給業務に対する規制や監督の励行等によって防止しきれないような、専ら薬局等の経営不安定に由来する不良医薬品の供給の危険が相当程度において存すると断じるのは、合理性に欠くというべきである。
よって結論は、薬局の距離制限は、国民の生命、健康に対する危険の防止という消極目的規制(警察規制)であり、薬局の開設等の許可基準の一つとして、地域的制限を定めた薬事法6条2項、4項、これら
を準用する同法26条2項は、不良医薬品の供給の防止等の目的のために必要かつ合理的な規制を定めたものということができないので、憲法22条1項に違反し、違憲である。
この事件の判例は破棄自判で、会社側が勝訴している。
次に、銭湯の事件について考える。
銭湯の事件としては、公衆浴場の規制目的である。
1955年1月26日の最高裁の判決では、消極目的であり、厳格な合理性として判断されている。
銭湯どうしの競争が激しくなると、コストを安くおさえようとするあまり、お湯の入れ替えや掃除などを控えるようになり、不衛生になるのではなかろうか。
そしてその結果、国民に病気が蔓延してしまう可能性がでてくることになりはしないだろうかという判決になった。
平成元年の判決では、積極目的であった。
銭湯間で競争が激化し、銭湯がつぶれ、近くにいる風呂を所有しない住人が入れなくなる。
つまり、銭湯は風呂が無い人が入る福祉施設であると言えるのである。
銭湯が無くなってしまうと国民が安心して風呂に入れなくなるので、この事件は積極目的による規制であると言える。
もし自分が風呂なしの人の立場であったならば、近くに銭湯がなくなるのは生活上、大変厳しくなると思う。
毎日風呂に入っているわけなので、毎晩風呂のために遠くまで行くのは大変きついと言える。
近代社会よりも前は、人々は身分や職能団体の縛りを受け、自由に職業を選択することができなかった。
それゆえ、近代社会の成立後は封建制を解体するための重要な人権としてこれを理解した。
現在は、社会権と対立する部分も多く、むしろ、公共の福祉による規制に重きが置かれていると言えよう。


