月曜に
爆笑問題のニッポンの教養って番組やってました
そのことについて書こうと思います!
この日は障害をかかえながらにして
現在東京大学の教授をされている方についての話でした
目が見えず耳も聞こえない東大の教授福島智氏
コミュニケーション手段は指点字と呼ばれる手段のみです
指点字とは指をタイプライターみたく触れて意思を伝える方法です
この方法は福島智氏とその母親と2人で考案した方法らしいです
ホントすごいなって思いました
5本の指に触れるパターンをひらがなに置き換えて
文章化していきます
爆笑問題と会話してる時の指の早さはブラインドタッチなみに早いのに
よくあれで理解できるなって思いました
ある部分が働かない人には
それを補おうとして
違う部分の感覚が研ぎ澄まされる
ってあれ本当ですね
人間の体って本当によく出来てます
ってかスゴ過ぎます(´∀`)
前テレビで言ってたんですけど
脳についても同じらしいです
脳のある大部分が働かなくなった場合
違う部分が
働かなくなった部分と同じ役割をする様になるらしいです
時間はかかるらしいんですけどね
脳の代替機能って言うんですか?
ほんま驚きです!(゚∀゚)
で本題に戻りますと
もし自分がこの方みたいになってしまった場合
どう思うでしょうか?
前にも考えたことあるんですけど
まず昔自分が考えたことは目だけは失いたくないってことでした
目が見えなくなってしまうと真っ暗で
光を感じること自体出来なくなります
σ(゚∀゚ )オレは晴れが好きで曇りがキライです
なんのこっちゃ
それは周りが暗くなるからで気持ちも暗くなるからです
なぜか…
気にしないようにはしてるんですけど
どうしても曇りの日は気分が晴れません
光を感じたいんですwww
光があれば気持ちも明るくなっちゃうんです
ってね
まあ気分次第で暗い時がイイって時もあるんですけどね…
人間の感情って厄介ですw
なんかいろいろそれてますが気にしないでください
あは!w
ま~要するに
光だけは失いたくないってコトですw
でもこの方は目が見えないだけでなくて
耳も聞こえないんですよね
考えただけでゾッとします
本当の闇ですからね
自分だったら
内面的にも相当暗くなって
外に出るのがイヤになるでしょうね
たぶん
でも
それじゃあ人生面白くないから
自分もあんな風にいろいろと変えていくんだと思います
σ(゚∀゚ )オレの人生は経験することに重きをおいてますから
番組中で福島智氏が太田氏に
「なんで生きてるんですか?」
って聞いていました
太田氏は
「幸せを感じるため」
というようなコトを言ってました
σ(゚∀゚ )オレの場合は
「たくさんの事を経験して人生を楽しむため」
って言うのかな?
今の段階では
ね
で福島智の喋り方本当にうまいです
耳が聞こえないのに普通の人と同じくらい流暢な喋り方です
ホントに普通の人に見えます
耳が聞こえない人でこんな喋り方する人始めて見ました
太田のギャグにも一般人と同じような反応ですし
今までの苦悩を全く感じさせない人だなと思いました
ここで番組の内容を書いた記事をネット上に発見したので
コピーを貼ろうと思います
福島:私は、何が幸福か不幸かっていうのは、
もちろん人によっていろいろあるだろうけれども、
すごいしんどい経験をした時にね、
つらさ、苦悩というのも何か意味があるんじゃないかなと思うことにしようと。
実は同じようなことを言っている人はたくさんいることが分かって。
ナチスドイツの収容所に入れられた経験のある人で、
ヴィクトール・フランクルという人がいるんですが。
彼の本を読んでいて、すごい公式に出会ったんです。
その公式は、絶望=苦悩-意味って言うんですね。
左辺に絶望があって、絶望=苦悩-意味。
これは何を意味するかというと、
“-意味”を移行したら、絶望+意味=苦悩ということです。
意味がない苦悩が絶望である。
で、苦悩と絶望は違うんだっていうことを、
彼はアウシュビッツの経験から言っていて、
私は同じことを18歳の時に考えて、
全然違う時代と状況で似たようなことを
考えている人がいるっていうことに出会って、すごく感動しましたし。
何が幸福か不幸かっていうのを考える、
そのさっきの三つのフィールドの議論の中で、
すごく重要な意味を持つのかなと。
苦悩があるから、しんどいから不幸だって簡単に考えるのではなくて、
意味をそこに見いださせれば、それは絶望ではない。
新しい豊かな人生が見つかるかも分からないっていうふうに思っています。
だけどそのことと、具体的にどんな取り組みをするか、
社会としてどんな取り組みをするかっていう話と、
分けながら議論をして、その関係を考えていくっていうことが大事かなと。
ってことを番組中に言ってました
苦悩であることに意味を見出せば
それは絶望ではなくなる
今つらいって思うことでも
きっとこれにも何か理由があって
自分にとって後々プラスになるんだって思うことが出来れば
それは苦悩という名の試練に変わる
って
ゆ~よ~な話しは
よく聞く話ですけど
これを式に例えた人がいたんですね
勉強になりました
この考え方イイですよね(・∀・)
で
確かに幸福か否かはその人の考え方次第
国の文化や周りの環境とかで変わってくると思います
太田がテレビで言っていたように
物を食べる時
国が違えば食べることの幸せの意味も変わってくる
と自分も思います
同じ美味しい食べ物を食べる場合
貧困なところでは「食べれて幸せ」な意見が多いと思うけど
我々が住む先進国では
多くの場合「味が美味しくて幸せ」だと思う
σ(゚∀゚ )オレがよく思うのは
「そこまでマズくないのにマズイからいらない?
はあ?お前の舌オンチだからね~?ん?なんで食べ物で遊んでんの?
食べれるだけで幸せと思えよ!」
だからσ(゚∀゚ )オレは食べ物の味関係の会話とか
比較番組とかあんま興味ないです
先進国だな
って思ってしまいます
なぜか
σ(゚∀゚ )オレ変か?
ナゼ世界でこんなに食料差が違うんだろ
σ(゚∀゚ )オレらが残してる食べ物を考えれば
そのあまってる食料を他外国に均等にわけることができたらなって思います
それが出来ない自分は無力ですね
出来ないんじゃなくて
やろうとしてないんでうけどね
やればイイのかな
ま~考えます
なんて
その番組についていろいろ考えてみました
読んで頂きありがとんです(-ω-)/
では
では