こんにちは
サポートグループでは、沢山学ぶことがあるのですが、特におっ!と思ったこと。
それは、BN克服のためには、今ある根本の問題を解決すること。それって、私にとっては、前回書いた、精神的なことです。感情の操作の仕方です。克服に大切なのは、なぜ私が14年前にBNを発症して、今もなおこういう状態にあるかじゃないんですって
まあ、確かに
発症の原因は、遺伝もあるようですが、私の場合は、環境が一番大きな問題だったと思います。
過去よりも前進あるのみなので、数日前、母にちょっといろいろと胸の内を泣きながら話しました。旦那さんは、ずっと側で背中さすったり、私の鼻水を拭いたりしてくれていました
ありがたすぎる
そして、私は、なんだか新しいスタートが切れそうな気分を覚えました。
ここに記録までにも、過去を置いていきますね。
ではでは始めますね、家族のことから。
私は、父も母も大好きです。父にも母にも愛されていることは重々承知です。
問題は、一緒に住んでいた父方の祖父母でした。
今日は、祖父母と母について端的に。
祖父母は、私の大好きな母が嫌いでした。
母は、東京から田舎町の自営で商売をしている父のところに嫁いできました。
私も姉も気が付いた時から、祖父母の母いびりの中の生活。祖父が母を怒鳴りつけたり、食事の文句を言ったり、行動にいちゃもんつけたり。大人になって、わかったのは、祖母が、祖父を手の上で転がすように操作していたこと。祖父は、半身不随で、行動はできたのですが、体が不自由でした。祖父がイライラしているところ、祖母は、母の悪口を言いつけて、祖父をよりイライラさせて、祖父は全てそれを母にあてつけていました。今思うと、うちにいた犬にもあたっていました。小さいときの記憶ですが。もちろん、母が隠れて泣く姿も見ています。母は、奴隷のようでした。朝起きて、寒い中外で洗濯して、家事をしながら、三度の食事を祖父母の好き嫌いを気にしながら作り、もちろん買い物にも行き、店に朝の9時から出て、9時に閉め、飲食もしていたので、そっちの客の相手も同時にこなしていました。実家に店も飲食の方も一緒にあったのですが、祖父母は、何もせず、食事の時間になると食卓に座り待ちます。もちろん文句を言いながら食べます。母が飲食で稼いだお金は、すべて、祖母のお財布に。店の方は、どうしていたのか、わかりません。母が東京の実家に帰れたのも、年に二回、1回につき2泊3日のみ。それに関しても、祖父の部屋の前に立って「実家に帰りたいのですが、いいですか?」と許可を取っていたのを覚えています。それで怒られるんです。私が中学生の時に母方の祖母が急に亡くなりました。母は、3日だけ東京に戻り、帰ってくるなり、怒鳴られました。「嫁に来たってことは、実家なんてない!」と。もちろん、父方の祖父母は、東京のお葬式には、行きませんでした。私は、母に離婚してもいいんだよ。と伝えました。実際の返事は、覚えていませんが、両親は、今も離婚していません。これが私の母の30年です。未だに疑問なのは、父の配慮のなさです。母や母方の大叔母は、父が間に入ったら、ことがより大きくなっていたと言います。でも、私は、父が母を慰めていた姿なんかも、記憶にありません。ただ、父の身になってみると、実の親がこれでは辛いです。私の今の年のとき、母は、2人の子供を抱えて、この状況。思い出すと涙が出るんです。でも母は私達にはほとんど笑顔でした。ここまで、書くのに私も精一杯。この辺で…
次は、私と祖父母の関係について
(暗くてごめんなさい。私もきついんですが、書いておきたいんです。おいていきたいんです。)