世界を変える、いじめを越える、究極コミュニケーション論
【絶対、いじめに負けない知恵と技術】
・リアルプレゼントは、世界を変えるためのもの
究極のコミュニケーション力があれば、世界を変えられる。
これからは、何をすれば良いか悩まなくて済むし、関わっても意味の無いいじめを苦にする時間もいらない。
そうなってもらうために、究極のコミュニケーションを伝えたい。
これは、見せかけやきれいごとだけでなく本当にあなたを救う、現実の贈り物。
それが究極コミュニケーションを伝えるリアルプレゼントです。
この世の中は、問題でいっぱいです。
人生の流れは早く、まだよくわかっていないのに次から次へと決めて行かなければならない。私たちの人生に、悩みはつきものです。
悩まないで済むほど人生で準備をしている人など、そんなに居るのでしょうか。
ちゃんと理屈がわかっていないと、準備はできない。準備をしていないと、答え方にとまどい、悩んでしまう。
悩みとは、答えが出ない状態。考えるとは、答えが出せることを言います。
問われた理屈の意味がわからなければ、答えが出ないのは当たり前。
でも、人はそうそう何でも知っているわけではありません。
必要な理屈を知らない場合に、私たちは悩むしかないのでしょうか。
どうしても、理屈がわからない場合には、私たちは悩み込むしかないのでしょうか。
それは、当然そうなります。
しかし、究極コミュニケーションがあると、実に理屈を知らなくても現実に答えを見つけ出すことができるようになる。
それも、きれいごとやまやかしごとなどではなく、最も明確に理屈づけを持った思考法として、手に入るのです。
あなたに、このリアルプレゼントを届けたい。
悩みのない世界は、素晴らしい世界です。何をすればいいか、わかっている者通しなら、本当の協調関係が作れます。
正しい理屈から物事に関われば、正面から価値ある物事に向き合い関わって行くことができる。
それが生きているということです。
人生をムダにしているヒマはありません。
ムダな悩みは、一切、排除して行けるようになりましょう。
と言っても、この世の中からムダが消える日はありません。
でも、気づいてください。だからこそ、このプレゼントが要るということになるのです。
この必ず現実を変えるリアルプレゼントが。
・まずは、いじめや、問題行動対策
リアルプレゼントは、世界を変えるためのものです。
その効果を実践していただくために、このメルマガでは、世間で大きな問題であり続けている「いじめ」や、差別的な扱いを強要する問題行動に対する対処法を載せて行きます。
リアルプレゼントの全容は、かなり大きく学習し習得するには、時間がある程度かかります。
なので、ここでは、その原理よりも、結果として効果のある速攻性のある内容を乗せて行きます。
「いじめ」は、世界中で問題になっていて、研究も各機関や研究者で進められていますが、その内容はというと、強い者の側から弱い者に「いじめ」が起こるとか、いじめる側が自分たちの優位な立場を利用して「いじめ」に入る、などと説明されています。
確かに、見た感じはそういう風に見えるでしょう。
しかし、実際は、「いじめ」とは、優位を欲しがる者が始めるのであって、それは決して「いじめ」る側は優位ではなかったことを意味するのです。
実は、理屈は簡単で、「いじめ」とは、精神的ないじめであれ、物理的ないじめであっても、「いじめる」ことで「欲しい優位を獲得する」ために始める不正行為や不当行為のことを言っているのです。
ようは、まともに関わっても、手に入らないから、ズルをやって手に入れてしまおう、というのが「いじめ」の変わらぬ姿です。
「いじめ」とは、弱い者が無性に手に入れたいものを、不当行為に及んでも手に入れようとすることに表れてくるのです。
相手を毀損し、相手の評価や価値を押し下げる。
立場をすり替えて、相手が頑張って来た成果を、なまけた自分と入れ替えようとする。
相手が持っている、自分が欲しくて狙っている何かを手に入れようとウソをつき、横取りする。
あるいは、一時的に隠された場所で、自分たちに都合のいい優位を作って、そこで相手から何かを奪う。
これらは、すべて、偽物の優位を使って、本物の優位を傷つけたり、横取りしたり、自分のものと認めさせたりして、偽物を本物にしようというくわだてです。
こうした優位は、偽物が作った「フリ」でしかありません。
「フリ」を頼らなければ、強さを使えないのなら、この強さは偽物なのです。
ここで言っている強さとは、社会的な基盤に乗っているもののことです。
本当の強さがあるとすれば、それは私たち自身が求めている強さということになる。
そうした強さは、私たちの社会的価値観に則った基準のもとに本当の強さになるのです。
私たちがすべて共有している社会的な土台に立ったものが、本当の価値を持った誰もが認める強さです。
生きている社会の中で、現に強さと認められるもののことです。
それに対して、いじめの強さなど、いざとなったら、知らないフリを頼って逃げて行くものでしかありません。
だから、個々の観点では確かに「いじめ」をする側が強いということになることはあっても、それが本当の強さに変わることはないのです。
無論、だからこそ「いじめ」や問題行動、または犯罪などは、隠されて起こるのです。
この観点には矛盾はありません。しかし、一見して矛盾に見えることはある。それを越えるには、実は、双方とも、強さという理屈では、同じ社会的なものが前提であって、そこから自分の側に都合がいいものを選び取って、「立場を変えて見せる」ための理屈づけを都合よくやっているということがある。
しかし、私たち人間は社会的存在である以上、結局はみんな社会の中に居るのですから、そこで通用する力や理屈でなければ、また弱さでしかないのに強いと見せかけようとするものには、強さとして受け入れることはできないのです。
この誰にもどうにもできない前提がわかれば、なぜ「いじめ」る側が、強い「フリ」をしながら、あるいはそうするために、決して表に出ないように隠して、ことに及ぶかが、いとも簡単にわかって来る。
「いじめ」の強さは、ニセモノなのです。強くもなければ、優位もない。
すべて、とりつくろいです。
ところが、それを見かけの強さに見せかけて、本当に社会的に強い者から何かを奪い取ろうとする。それが、いじめです。
だから、「いじめ」の者は、見せかけの強さとは逆に、どうにもならないとりつくろいの自分たちの惨めさを「なすりつける」ことで都合のいい理屈にしてしまおうともするのです。
こうした、いじめにつきまとう陰湿さ卑怯さの背景にも、いじめをする側は弱いとはっきり表れているのです。
こうしたことは、強ければする必要のないことです。
しかし、「いじめ」の者は必ずと言っていいぐらいこれをやる。
そして、自分の方がやる必要がなかったんだというフリをする。
社会的に弱い者がズルで強い者になろうとする以上、その「フリ」は止まりません。
あくまで、ズルで強さに近づこうとしているから、「強いフリ」になりきってウソの強みで、欲しい結果にたどり着こうとするわけです。
自慢のズルさは、社会の観点では、表に出せません。恥ずかしくて何も言えません。せいぜい、勘違いして居られる間だけです。
だから、隠すのです。
ニセモノでは、本物の価値は手に入らない。
だから、本物のフリも「こっそり」と、いくら威張り散らしても、いざとなったら逃げて行く。
あまりに「本物気取り」になるものだから、自分の正体も忘れている。
これが、「いじめ」です。
そして、力がないから、ずっと自分に合わせろと言って来る。
これが、ニセモノの言うことです。
力はないのです。優位もないのです。
ニセモノの力では、どこまで行っても相手を頼るしかない。本物の力は持っていないからです。
そして、だからこそ、優位を求めて「いじめ」をするのです。
これが「いじめ」を把握する根本的観点です。
「いじめ」をする者は、強さを求めるズルに慣れているので、それが何であれズルで自分の利益を手に入れようとする。
だから、ズルさを諦めません。
まったく正直さはありませんが、逆に、正直なフリにはこだわります。バレたら終わりだからです。
だから、ズルいと言われて本気で怒ることもある。
でも正直なフリは平然とできるようになっていても、そこに正直さはないのです。
どこまでも隠し立てを頼り、見せられない正体を隠したままで偽りの強さを求めるから、その「偽り」に本気になる。
どこまでも、ズルに頼る自分の方を本物だと思えということになる。
このこだわりも、偽者だからこそ持つ執念なのです。
本物だったら、こうしたみじめな強がりなどは、何にも要らない。
こうした理屈を知っておくことは重要です。
なぜなら、こんなものに関わる必要などは全くないということが、リアルプレゼントを贈られるあなたは、何の悩みもなくわかるようになるからです。
社会では、正直さは武器です。
正直でいるだけで、周りの仲間も変わって来る。周りの動きも見えて来る。
それは、正直さが生き方として効率が良く、ムダな悩みはないし考えはシンプルだからです。
正直さは、社会の中では強さの表れです。それは、もっとも洗練された強さの一つです。
自分の生きる力、強さに自信がなければ正直にはなれません。
正直で居るためには自分自身で居ればよく、正直で居ることで本物の力が身につきます。
ここに一つの答えがある。一番簡単で、楽に生きられて、間違いがない。
正直に生きるだけで力がつく。ほんのちょっと覚悟がいるだけです。
そして、この覚悟があることで、いずれはとても越えられなかった問題や課題も、越えられるようになって来る。
なので、一番お得な正直に生きることを基本に、さらにお得な正直さの秘策もお伝えしたいと思います。
これができないと利益は遠のき、それどころか「いじめ」に代表される間違ったニセモノの追う夢が、私たちの現実でも本当の悪夢に変わることになる。
ニセモノは、私たちが生きる社会では、実は通用しないフリですべてを手に入れようとするのです。
私たちが社会に生き、そこで生きている本物の人間だという以上は、ニセモノに何かをあけ渡す必要はありません。
正直さが強いというのは、正直に生きることで、生き方に「近さ」が生じるからです。そして、信頼とは近さに生じます。
人は、みな自分が選んだものを手繰り寄せ、それを信頼しています。
正直さとは、私たちが関わる事物をすべて近さにして、信頼ある生き方のできることの表れです。
社会で信頼される人間が、強いのは当たり前のことです。
正直さは、それを可能にする。
それは当然、私たちの在り方に取っての近さ、また私たちが関わる事物に取っての近さでもある。
物事に近いということは、それに対してより直接に関わるということになり、あるがままを伝えるということです。
何も余計なことをせずに、自分の在り方を伝えるようにすること。
逆に言えば、それだけで、不動の信頼が手に入るようになる。
最も楽で、最も強く、最も効率的な生き方がそこにある。
生きる上で、正直さを武器につけない選択肢などあるでしょうか。
「いじめ」をする卑怯者でさえ、見せかけの正直さを武器にするのです。
そこにウソがないように見えるからです。
しかし、ウソである以上は、そこに正直さなど、どこにもない。
これから、リアルプレゼントを贈られて行くあなたには、そうした理屈もすぐにわかるようになって頂けます。