日本は売国型の官僚政治によりステルス共産主義にひた走っているように見える。
実際には、一部エリートによる寡頭性の社会主義になる可能性が高いが、問題は、人々は、個人主義化し、社会との繋がりを信じたり回復させたりするきらいを持たなくなっていることにある。
まさに、構造改革主義(次世代共産主義)の思う壺にはまり、自分達で自分の国を差し出して当たり前のような国民性になっている。
一番の問題は、私たち一人一人の国民が、その重大事に気づかないことだ。
それどころか、未だにバブルの夢に浸り、自分だけはキラキラ光って思い上がって生きられさえすればそれでいいで頭が染まり、周りはみんな敵でしかなく、せいぜいごまかし比べのイキガリの内にいい所に入り込めればいいという、人間というより、動物本能的な生き方に順応するようになって来ている。
そんなことは今さら言われてもどうしようもない、と言った所だろうが、このままでは、本当に一部エリートの為の日々生きるのだけが精一杯で、むしろエリート層からのお恵みにありがたくたかりつくだけの「自動奴隷」のごとき人間になるしか道はなくなるのではないか。
支配者層は、困窮した人間が実に素直にいうことを聞くようになることを、よく知っているようだ。
ならば、困窮させればいい、というのが現状の日本の政策が取っている方向性である。
それから自らを救い出す方法は、一致団結した民主主義の力で日本を潰すエリート層を排除していくしかないが、肝心の有権者がこの期に及んで「良い夢」さえ見られればいいという体たらくである。
今ならまだ変えられる、という時期は終わりつつある。
人生を忘れるのに都合のいい、ちまたのゲームぐらいはさせてくれるかもしれないが、自分の本物の人生は得られず許されず、怠け癖に折り合いつけながら個人の幸せの他は何も頭に上らない自動奴隷となって生きていられれば満足を得る。
そして、ゲームが大事で世間に背を向けていられるようなら、すでにそれは自動奴隷になっているということではないか。
政治家は国民に背を向け、国民も政治に背を向ける。
なら、ステルス共産主義の自動奴隷は自ら望んで得た結果と同じになる。
力のある者は推し進めて来る。
映画マトリックスと同じく、繭の中で夢を見ているだけの人間は、その意味では幸せなのかもしれない。
人間で居るよりも楽な幸せがあるからだ。
動物はほっておけば、怠けることしか思いつかなくなるが、人間はそうではなかったはずだが。
自分の欲望を第一にした個人主義では、自動奴隷の未来しかないようだ。