こんばんは。ぺぽやで。今日は写真について話そうかな。

 今朝卒業アルバムが届いた。今更かとは思う。でも珍しく卒業式の写真まで入っていて面白いなと感じた。学校生活って卒業まで含めて、やからね。パラパラみていると意外と私写ってる。2年半以上不登校だったのにあるもんだね。載せてくれて撮ってくれてありがとうございました。

 ただ私は写真に写ることが極端に嫌いだ。写真のための笑い方がわからなくて、あんまり楽しくなさそうな顔になってしまう。だからアルバムに載っている写真も真顔か変な笑顔だけである。いつからだったかな。笑い方に違和感覚えはじめたのは。

 写真に写りたくなくて、私はカメラを持った。たくさんの友達や家族、植物景色猫。色々なものにレンズを向けた。パソコンに入った写真は下手で大半がピンボケかブレブレのものだ。それでもところどころにいい写真が紛れている。中学生の時修学旅行や校外学習で撮った写真はかなり上達して求める笑顔や素晴らしい景色を収めることができていた。

 私の求める笑顔、写真の表現の目標は「らしく」だ。その人らしい最高の笑顔を撮りたい。ピースばかりのカメラロールに魅力を感じることができない。普通に会話をしていて出る満面の笑み。それって一瞬のことだけれど、もしも永遠に続けばきっと楽しい人生だ。写真は擬似的にだけれども永遠の空間を作ることができるのではないかと考えている。

 例えば私は自分で撮った写真を見たときに一枚いち枚情景を思い浮かべることができる。特に校外学習や修学旅行の写真らだ。この時こんなことがあって。ごはんが美味しくて。みんなでふざけて怒られて。少しづつ忘れていってしまうことももちろんあるけれど、必ず思い出せることはあるだろう。永遠不滅のものにはならないかもしれないが思い出を少しだけ引き留めてくれる存在には間違いなく、なる。

 だから私はもっと写真を撮って欲しいと思う。私目線のものだけじゃなくて。文化祭でも体育祭でも友達とユニバに行った時でも。何かイベントごとの時だけでいいからその時を残して見てほしい。時間や背丈が変わって感じることの変化はきっと面白く感じることだろう。せっかくスマホのカメラが発達してきているのだ。カメラへのハードルはどんどん下がってきている。さあピントを合わせて。はいチーズ。思い出にのこるいい写真になることを願う。


ここまで読んでくれてありがとう。またよろしくね。