小学校に入学して週一回、下見の先生のレッスンに月一回の教授のレッスン、
また土曜日は学校の帰りに校門で母が待ち構えており仙川にある音楽教室に急行しました。
掃除当番だったりすると時間には出られなく遅くなったので母が怒っていたのを思い出します。
昼食は電車の中でとり、急いで駆けつける生活が続き2年生になった頃、
妹が気管支喘息になり看病が大変になりました。
それに加えてこのまま経済的にやっていけるかどうかも問題になってきました。
習っている事(聴音、ソルフェージュ等)も既に高いレベルに達していたので音楽教室をやめ、
国立の芸大系に変わる事にしました。
しかし、受験する学校を変わるという事は先生も変わるという事でそれは常識では許されない事です。
それに芸大系の先生を探さなければなりません。
音楽の世界に不慣れな私達でしたが運良く知人に紹介して貰いました。
4年間程師事したこの教授は音を美しく作る事やペダリングの技術など、
私のピアノの基礎を作り上げてくれた人だと思います。
このままいけたら良かったのですが中学2年になった春、
父の転勤で九州に転校となりました。