きのう退社後に、会社から駅まで向かう途中にある古い喫茶店に初めて行った。
お腹がすいて、とか、喉が渇いて、とかの理由なく、
心の栄養のためだけに一人で喫茶店に入るのは初めてだ。
だからガラス張りになった扉を明ける一瞬前、気が重くなった。
その喫茶店は中央のキッチンをぐるりと囲むカウンター席しかない造りになっていて、
1人ではないお客のための4人がけや2人がけのテーブルがない。
だから入りやすかったのかも知れない。
スツールの下を、太ったフレンチブルがうろうろしていた。
マスターに「撫でてもいいですか」と声をかけると
「ぼうちゃん(坊主って名前だから)、って呼んだら来ますよ」と答えが返って来た。
「ぼうちゃん」と呼びかけて「可愛いな」と撫でていると、
私の手と犬の毛並みが触れたところから、形のない、目にも見えない、
わたしの欲しかったものが自分に供給されるような気がした。
撫でるのをやめてスツールに腰掛けてもまだちょっと獣くさい手に、
冷たくも温かくもない、けどたしかにそこにある、
私に「いてもいいよ」と言ってくれる生き物の感触を感じた。
店内に客は私だけだった。
BGMの流れていない店内は静かで、10分ほど経って私の注文したものが運ばれてきた。
この10分という時間、ひとり喫茶店タイムでなければきっと
「早く来ないかな」としか思わないのが普通だったのに、
その時間の中では「待つ」という概念が自分からすっぽり抜け落ちているのが不思議だった。
オレンジをすりおろした果汁をあたためた飲み物は、少し煮詰まった、
でも新鮮な果物の味がした。
カップには銀色のスプーンが添えられており、くぼんだ内側がところどころ剥がれていた。
今まで沢山の人に使われ、その都度洗われ、磨かれてきたスプーンの、
ひとさじごとに見える細かい沢山の剥げ落ちに、
何故か心に薄くつもっていた埃のような淋しさがはらわれる気がした。
いつも人の大勢いる大阪の街を歩くと、全くの無関心か、あるいは自分の欲を満たすため
相手の本質は見るつもりもなく下心だけ持って話しかけてくる人達とすれ違う。
そんな沢山の他人に囲まれている時は、
自分はいてもいなくてもいいという無力感を感じるのに、
一見、一人でお茶をしているさみしく見えるかもしれないその時間は、
茶渋のついたカップや、動き回る犬がくるくるまわすスツールの動きや、
店の奥のマスターが小さなボリュウムで見ているテレビが、
ここにいることを許してくれている感じがした。
やがて買い物帰りらしい、同年代の女の子2人が楽しそうにさざめきながら入って来たので、
さみしさを思い出して立ち上がった。
思い出した、ということは、その三十分間忘れていたのだ、と気づく。
店を持つ、ということは、人に居場所を提供することなのかもしれない。
人に居場所を、憩いの場を、心のよりどころを提供することがこんなにも貴いことだとしたら、
どんな仕事をしている人も、あるいは仕事をしていないどんなささやかな人生にも、
人を癒すものすごい力が秘められているんだと思う。
「ぼうちゃんに沢山マッサージしてくれてありがとう。またおいで」
とにっこりしたマスターの顔を見て、30分間聖堂でただ黙って祈っていた人のように、
騒々しくて空っぽな街の中へまた出て行った。
私がこんな風に、私ひとりの時間に起きた出来事を、こまごまと書く。
話したいのは、私がその時間を大切に思っているからで、
でもこんなささいな話って、他人にとってはどうでもよかったりする。
それを聞いてくれるっていうことは、
(カウンセラーは別だけど、何の利害もないシンプルな人間関係において)
私自身と同じように、私の人生のひとりぼっちの時間を大切に思ってくれることだと思う。
人は淋しい存在で、話すことで交じり合える。
私の話を(電話をかけてもいっこうに出なかったり、かけなおしてくれない、とか、
こちらが会いたくても忙しくて会えないと言われるとかで)聞きたくないんだ、
私はこんなにあなたが必要なのに、あなたは今私を必要じゃないんだ、と思うと悲しくなる。
そうすると、今この時この地球の上で、私が彼から必要とされていないのは
動かしようのない確かな事実なのだ、というずーんと来るようなショックに襲われる。
でも「よりどころが無い」と言えるということは、
その言えるということ自体をよりどころにしているのかもしれない。
私の中にたまった言葉を、聞きたいと思ってくれる人が一人もいない、
とりわけ自分の恋人が聞きたくないのだという思いはナイフのように
鋭く刺さってくる感じがする。
僕が何千マイルも歩いたら
手のひらから大事なものがこぼれ落ちた
思いでのうた口ずさむ
つながらない思いを 土に返した
土に返した
今なんで曖昧な返事を返したの
何故君はいつでも そんなに輝いてるの
翼が生えた こんなにも
悩ましい僕らも 歩き続ける
歩き続ける
つまらない日々を 小さな体に
すりつけても 減りはしない
少し淋しくなるだけ
ハローもグッバイも
サンキューも言わなくなって
こんなにもすれ違って
それぞれ歩いてゆく
強い向かい風吹く
僕が何千マイルも歩いたら
どうしようもない 僕のこと認めるのかい
愛し合おう誰よりも
水たまりは希望を 写している
写している
矢のように月日は過ぎて 僕が息絶えた時
渡り鳥のように 何くわぬ顔で
飛び続けるのかい
Listen to くるり「ワンダーフォーゲル」
お腹がすいて、とか、喉が渇いて、とかの理由なく、
心の栄養のためだけに一人で喫茶店に入るのは初めてだ。
だからガラス張りになった扉を明ける一瞬前、気が重くなった。
その喫茶店は中央のキッチンをぐるりと囲むカウンター席しかない造りになっていて、
1人ではないお客のための4人がけや2人がけのテーブルがない。
だから入りやすかったのかも知れない。
スツールの下を、太ったフレンチブルがうろうろしていた。
マスターに「撫でてもいいですか」と声をかけると
「ぼうちゃん(坊主って名前だから)、って呼んだら来ますよ」と答えが返って来た。
「ぼうちゃん」と呼びかけて「可愛いな」と撫でていると、
私の手と犬の毛並みが触れたところから、形のない、目にも見えない、
わたしの欲しかったものが自分に供給されるような気がした。
撫でるのをやめてスツールに腰掛けてもまだちょっと獣くさい手に、
冷たくも温かくもない、けどたしかにそこにある、
私に「いてもいいよ」と言ってくれる生き物の感触を感じた。
店内に客は私だけだった。
BGMの流れていない店内は静かで、10分ほど経って私の注文したものが運ばれてきた。
この10分という時間、ひとり喫茶店タイムでなければきっと
「早く来ないかな」としか思わないのが普通だったのに、
その時間の中では「待つ」という概念が自分からすっぽり抜け落ちているのが不思議だった。
オレンジをすりおろした果汁をあたためた飲み物は、少し煮詰まった、
でも新鮮な果物の味がした。
カップには銀色のスプーンが添えられており、くぼんだ内側がところどころ剥がれていた。
今まで沢山の人に使われ、その都度洗われ、磨かれてきたスプーンの、
ひとさじごとに見える細かい沢山の剥げ落ちに、
何故か心に薄くつもっていた埃のような淋しさがはらわれる気がした。
いつも人の大勢いる大阪の街を歩くと、全くの無関心か、あるいは自分の欲を満たすため
相手の本質は見るつもりもなく下心だけ持って話しかけてくる人達とすれ違う。
そんな沢山の他人に囲まれている時は、
自分はいてもいなくてもいいという無力感を感じるのに、
一見、一人でお茶をしているさみしく見えるかもしれないその時間は、
茶渋のついたカップや、動き回る犬がくるくるまわすスツールの動きや、
店の奥のマスターが小さなボリュウムで見ているテレビが、
ここにいることを許してくれている感じがした。
やがて買い物帰りらしい、同年代の女の子2人が楽しそうにさざめきながら入って来たので、
さみしさを思い出して立ち上がった。
思い出した、ということは、その三十分間忘れていたのだ、と気づく。
店を持つ、ということは、人に居場所を提供することなのかもしれない。
人に居場所を、憩いの場を、心のよりどころを提供することがこんなにも貴いことだとしたら、
どんな仕事をしている人も、あるいは仕事をしていないどんなささやかな人生にも、
人を癒すものすごい力が秘められているんだと思う。
「ぼうちゃんに沢山マッサージしてくれてありがとう。またおいで」
とにっこりしたマスターの顔を見て、30分間聖堂でただ黙って祈っていた人のように、
騒々しくて空っぽな街の中へまた出て行った。
私がこんな風に、私ひとりの時間に起きた出来事を、こまごまと書く。
話したいのは、私がその時間を大切に思っているからで、
でもこんなささいな話って、他人にとってはどうでもよかったりする。
それを聞いてくれるっていうことは、
(カウンセラーは別だけど、何の利害もないシンプルな人間関係において)
私自身と同じように、私の人生のひとりぼっちの時間を大切に思ってくれることだと思う。
人は淋しい存在で、話すことで交じり合える。
私の話を(電話をかけてもいっこうに出なかったり、かけなおしてくれない、とか、
こちらが会いたくても忙しくて会えないと言われるとかで)聞きたくないんだ、
私はこんなにあなたが必要なのに、あなたは今私を必要じゃないんだ、と思うと悲しくなる。
そうすると、今この時この地球の上で、私が彼から必要とされていないのは
動かしようのない確かな事実なのだ、というずーんと来るようなショックに襲われる。
でも「よりどころが無い」と言えるということは、
その言えるということ自体をよりどころにしているのかもしれない。
私の中にたまった言葉を、聞きたいと思ってくれる人が一人もいない、
とりわけ自分の恋人が聞きたくないのだという思いはナイフのように
鋭く刺さってくる感じがする。
僕が何千マイルも歩いたら
手のひらから大事なものがこぼれ落ちた
思いでのうた口ずさむ
つながらない思いを 土に返した
土に返した
今なんで曖昧な返事を返したの
何故君はいつでも そんなに輝いてるの
翼が生えた こんなにも
悩ましい僕らも 歩き続ける
歩き続ける
つまらない日々を 小さな体に
すりつけても 減りはしない
少し淋しくなるだけ
ハローもグッバイも
サンキューも言わなくなって
こんなにもすれ違って
それぞれ歩いてゆく
強い向かい風吹く
僕が何千マイルも歩いたら
どうしようもない 僕のこと認めるのかい
愛し合おう誰よりも
水たまりは希望を 写している
写している
矢のように月日は過ぎて 僕が息絶えた時
渡り鳥のように 何くわぬ顔で
飛び続けるのかい
Listen to くるり「ワンダーフォーゲル」