嘘じゃないんだと気づいた事。
8月31日に16歳でミニチュアシュナウザーのペッパーが死んだ。
8月に家族旅行でホテルに預けてたんだけど、高齢だし大丈夫かな?と頭に浮かんだけど家族旅行を優先しました。
それで、案の定お迎えにいったら体調があまりよくなくなっていた。
先住犬のダフィーも高齢でホテルに預けた後、体調が思わしくなくなったので同じ事になるかも、でもダフィーの時は冬だったから、今回は夏だし多分大丈夫だろうと思った。
でも、結局ペットホテルから戻って体調が良くならないまま結局亡くなった。
最後までフラフラになりながらも自力で歩いて頑張っていた。彼女はホントにいつも手のかからない子だった。
先住犬のダックスフンドのダフィーはいっつもフンフン鼻を鳴らして甘ったれで、うざいぐらいだったけど、ペッパーは犬種もあると思うが、全然ベタベタしないし、散歩してご飯食べたらもう満足って感じ。
彼女は手がかからない子だった。それは死ぬときも一緒だった。
8/31の朝、さっきまで息をしてたのにその後すぐ息を引き取っていた。
亡くなったペッパーを見てもうちの家族は結構ドライで、案の定そっか亡くなったかって感じだった。
それで、最後に体をきれいにしようと洗って亡骸を乾かしてるときに、自分の気もちを感じてみた。
罪悪感はあるのか?老犬を置いて旅行なんか行ってさ、とか。
よく分からなかった、でも罪悪感みたいな気持ちはある気がする。
それは私の中にあるものなのか、周りから見られたらどう思うかを気にしてるからなのか。
じゃあ、ペッパーを大事にしてなかったのか?いや私の中ではそれなりに大事にしていたと思う。
子犬にしては結構大きくなっちゃって、6か月で行き場もないとこを引き取ったんだし。私流に愛していたんだと思う。
じゃあペッパーはもっとこうして欲しかったとか、老犬のわたしを置いて旅行にいくなんて薄情者!って思ってたのか?
それは分からない。
でも、彼女は死ぬ直前までひたすら一生懸命生き抜いた。命をまっとうするってこういう事なんだな。
ああ、生き抜くってこういう事なんだなと教えてもらった。
そして彼女の死は、恨みつらみが長年あって解消した父に繋がる新たな学びがまたあった。
愛に正解はないってことなのかも。普通の親って言う基準がこの世にもうけられていて、
どんなに周りからそれはないだろ~って事でさえ、本人なりに愛情を持っていたっていうなら愛があったんだろうなと思った。
アベンジャーズの映画で世界を救うために自分の愛する娘を生贄にしたサノスだって、その後の指パッチンで人口を消滅した事だって、サノスはサノスの愛の元に行動していたと思う。
そう考えると、愛ゆえと本人が思ったのなら嘘じゃない。
お前のためといって勉強が分からないってだけで6歳の私を張り手で吹っ飛ばしたり、両手に根性焼きしたときの言い訳が「しつけでお前のためだった」って言ってたことを、ふざんけんじゃねぇ~
って思ったけど(解消済)、その瞬間はホントにそうおもっていたんなら嘘ではなかったんだ。
したことはどう言い訳してもおかしいんだけど。
そして精神年齢が実年齢と同じじゃない人が多いって事なんだろうな。後は想像力の欠如。
きっと人によっては、老犬をホテルに預けて家族旅行する私たちは薄情に見えるんだろう。想像力の欠如と思われるだろうし。
でも私たちは私たち流にペッパーを愛していたと思う。そして実際16歳までギリギリ元気で生きてくれていたし、家の次男が生まれた時すでにいたペッパーは赤ちゃんの次男が泣くたび心配そうに(そう見えてるだけかもしれないけど)覗いてた母性の強い子だったよ。
だから家族旅行には行ったけど、やっぱりペッパーを好きだったのは嘘じゃない。
文字にするとやっぱり涙もでる。
ありがとうペッパー