車椅子のゆきっこの奮闘記 -18ページ目

車椅子のゆきっこの奮闘記

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質問コーナーの続き。



お次は20年経ったなぁと思う事。



もう記憶が定かではないので印象深かった答えだけ。



慎吾ちゃんが
「ふぅ疲れたな」
ってふと中居君を見ると中居君がへたってる時(笑)



つよポンはまだまだ大丈夫と爆転しようとしたんだけど床が滑るのであっさり諦めてしまいました。



後、格好良い大人の男性になる為に日々精進している事。



中居君がそもそも大人って何?って「黒バラ」でも言っていた様な事言っていたけど慎吾ちゃんがその都度木村君や中居君を見てああなりたいと努力したと言っていました。



中居君や木村君は人の見ていないところで努力をしているそうです。



質問コーナーはこんなところかな?



次に風船割りコーナー。



5人が客席の誰かを選んでペアになって向かい合って風船を割るというコーナー。



5人が客席の中に降りてきました。



なんと慎吾ちゃんがペンギンの目の前を通り車椅子席に向かって手を振ってくれました。



車椅子席は
「キャーッ!!



結局慎吾ちゃんは車椅子席の前の人を選びました。



みんなそれぞれペアになる相手を選び再び壇上へ。



まずは自己紹介。



ところが慎吾ちゃんとペアになった人は興奮してか
「ほげ~っ!!
としか言いませんでした。



他の人もテンパっちゃって何を言っているのかよくわかりませんでした。



一番落ち着いていたのが木村君が選んできた一番年下と思われる制服姿の17歳の女の子と中居君が選んできた数少ない男の人。



中居君ファンの子が中居君に触ろうとしたら
「俺潔癖症なの知っているだろむかっ
ってキレていました。



さあ風船割りのスタートです。



一瞬なので見逃さない様にと木村君。



「せーの」



「パパパンッ」



あれ?吾郎ちゃんのペアの風船が割れない。



「せーの」



ダメだNG



「せーの」



またダメNG



っていうかペアの子が恥ずかしがっちゃって吾郎ちゃんの顔見てないし(笑)



結局木村君のアドバイスがあって4回くらいやってやっと割れました。



みんなの判定の結果一番早かったのは木村君女子高校生ペア。



優勝商品はなんとCan't Stop -LOVING-のポスターに5人のその場でのサイン。



他の人は参加賞をもらって帰りました。



ではこの辺で。
おっと質問コーナーの前にみんなの挨拶。



もうあちこちでネタバレしてるけど慎吾ちゃんが「当時は中学生。今はこんなに大きくなりました」
と言うと今着ている当時に模した衣装が合っているかどうかの話しに。



慎吾ちゃんはセーフ。



つよポンも薄目で見ればセーフ。



でも…吾郎ちゃんはギリギリアウトNG



吾郎ちゃんは
「可愛いですか?」
とターンをしなから言うも木村君に
「お前相変わらず軸がブレてんな長音記号2
と言われていました(笑)



木村君と中居君は居心地悪そう。



改めて俺達いくつだって話しになっていました。



それと吾郎ちゃんのジェットコースター事件。



吾郎ちゃんが西武園ゆうえんちで
「ジェットコースターに絶対乗りたくない」
って鏡投げつけて中居君が
「これから俺達はこういう事もしていかなきゃいけないんだむかっ
って吾郎ちゃんを殴ったエピソードも話していました。



それと昔はよく大人に叩かれた話し。



これがまた痛かったとか汗



今じゃSMAP叩くなんて考えられない。



それから質問コーナー。



私達は予め手紙で質問のアンケートがきていたのでその中からいくつかが選ばれて箱に入って登場しました。



質問の順番は記憶が定かではないのでごめんなさい。



一つは20年間で1番衝撃的だった事。



これは森君の脱退だったそうです。



SMAP×SMAPがこれから始まろうという時打ち合わせをして
「じゃあよろしくお願いします」
ってなって楽屋に戻ったら森君が辞めるからって…



結局森君はSMAP×SMAPには2ヶ月しか居なかったそうです。



それから名前の由来。



いまだに木村君は拓哉の哉の字を也と間違えられるそうです。



何かを切り開く(開拓の択)意味だそうです。



じゃあ哉は何だって突っ込まれてましたけどね。



慎吾ちゃんはSMAPになる事を見越して吾郎ちゃんを慎むってつけたんだろうって勝手に言われていました。



その吾郎ちゃんは何故長男なのに吾郎?って突っ込まれていました。



中居君は正広の正しいという字から一本線を取ると止まると言う字になり一歩止まって物事を判断する様にってつけたそうです。



おっと今回はこの辺で。



次回をお楽しみにドキドキ
今日で3月11日の東日本大震災から半年が経ちました。



あの日2時46分ペンギンは訪問リハビリを受けていました。



地震が起こった瞬間リハビリの先生がリフトを押さえ両親が飛んできてオーバーテーブルを支えクッキーをサークルから出し連れてきました。



幸いペンギンの部屋の物は何も落ちてきませんでした。



でも後でわかった事ですが漆喰の壁にはあちこちひびが入っていました。



地震が収まってからリハビリの先生がすぐ訪問看護ステーションに緊急用携帯で連絡を取ると震度が6強だという事がわかりました。



しかしそれ以降どことも連絡が付かなくなりました。



停電になり呼吸器はバッテリーに切り替わり、酸素は停止した為携帯用ボンベに切り替えました。



そして母は断水を懸念してすぐにお風呂にお水を貯めました。



その母の懸念が的中してその後断水しました。



リハビリの先生は何かあった時の為に待機していてくれました。



近所の信号機も停電の為全部止まっていました。



リハビリの先生は何度も訪問看護ステーションに緊急用携帯電話で電話したのですが全く通じません。



酸素ボンベにも限界があるので酸素ボンベの会社に電話をしたのですが全く通じません。



呼吸器のバッテリーにも限界があり停電がいつ解除されるかもわからない状況で不安がいっぱいでした。



リハビリの先生は一旦訪問看護ステーションに戻りました。



母はこれからどうすれば良いか訪問看護ステーションに電話し続けました。



やっと夕方になり繋がりました。



訪問看護ステーションでもペンギンの家に電話をずっとかけててくれたみたいです。



まずは呼吸器の電源をどうするかという事について話し合いました。



とにかく明け方までの呼吸器のバッテリーはあるので明け方救急車で自家発電のある病院に行こうと言う事になりました。



しかしその後往診の獅子座先生の判断で明け方まで待っていたら救急車が混むので今の内に獅子座先生のつてで自家発電のある病院に救急車で搬送される事になりました。



結局1週間ICUに避難入院しました。



家に帰ってから震災当時の津波の様子を見て絶対忘れてはいけない事なんだなとつくづく思い知らされました。



まだ震災は終わっていません。



一人でも早く行方不明の方が見付かる事を祈っています。