運命から逃げない。

このことを誰よりも意識していたはずの自分が逆説的に、誰よりも運命から逃げてしまっていた。

運命とは今目の前に現出する一枚の情景。それが刹那に入れ替わりはするけれども、人生のすべては今ここに現出している。

真実はそれ以上でも以下でもない。

 

しかしながら多少の本を読んでなまじ中途半端に知識を入れてしまったがゆえに、

今ここではない遠い何かを渇望し、積極的に自己を分裂に陥れていた。

そしてその分裂から生ずる苦悩こそが自己が背負うべき運命と勘違いをしていた。

が、運命というものはもっとストレートでシンプルなものであった。

 

すなわちそれは目の前に現出するものごとである。そこに自らをなげうたねばならぬのであった。

運命、それはたいてい自分の気に食わないものである。それを受け入れることが始まりなのである。

気に入らぬが故に運命を否定し、運命を遠ざけようとすると、自己分裂が生じ、迷妄の道へと至る。

 

気に入らぬ、心底嫌いだ、だけど受け入れて自らの人生をなげうつ。

そうした絶望ドリブンの生き方の受容こそが、運命を引き受ける事であった。

般若心経にもある通り、一切の否定から入りながらも、しかし前進するのみである。

 

遠い何かを渇望するのではなく、絶望のいま、絶望の運命へと遠い何かを引きずり下ろすこと。

遠い憧れを天下りさせること。

 

これこそが、自己と和解をするための解決策であった。


お釈迦さまのいうあるがままや、一切皆苦という言葉の響きに近しいものを感ずる気づきとなりました。