戦後80年は入植80年でもある今年。



入植者である祖父母は居ないけれど、今年の記念祭は地元のホテルで開催するとのお知らせが届いた。




2年前の時点では、出席するつもりだった。



でも、去年の記念祭で現会長と役員に言われたことで、モヤモヤが晴れなくなった。



「おめなば、ここで育ってねべった。母ちゃんだって、ここの跡取りだどもは。外さいった人間だべ。参加する権利な、ね。」



と。







であれば、何故、現会長のお姉さん一家には権利があるのか。

関東圏に嫁に行って、一昨年戻ってきたばかりだのに。




母と、前会長、前々会長が総会の時に文句を言ったので、入植者の家族も参加してもよい。他の地域から引っ越ししてきた人でも良いになったらしい。




部落会費に祭典費があって、皆から均等に集めている以上、最初の案が出た時点でおかしかった。



渋々感の強い役員たちの中の人は、今でも「来る気か?」と言う人が居る。



前会長は無視してしまえという。「あれは、二世のムコだもの」と。
















お知らせが届いても、なんだかすっきりしない。



三世はいらないと未だに私に言う現会長と役員。




司会がそもそも三世の人ではないか。



三世でもフリーアナウンサーはいいのか?





なんだか本当にモヤモヤするし、会費払ってるのに。。。感があるし
















一方で、ヨーダの傍に居たい自分もいる。

腎不全と診断されてから、脱水症状が度々起こるヨーダ




心配で仕方ない


















母は私が何故家に居るのか忘れてしまう









痛みが酷くて、動けなくなった私を見ても





怠けてる






の一言










母は人工関節の置換手術して、痛みはない






入院している間が快適すぎて、帰宅しても自分で出来ることもしようとしなくなった





もともと左利きの母は、入院中の食事には不自由無かった筈なのに




帰宅してからは、不便の一言




母の食べたいものではないと、怒るし








入院する前は、退院後は我が儘しない発言していたのに、我が儘一杯の毎日




正直、しんどい
















私が何故家に居るのか忘れてしまっている








半日動いたら、半日横になる生活が、一日中動かなければならず






電池が切れたように、押し寄せる痛みに悶絶している私に枕を落とす










ヨーダとクロベエにインスリンしなくてはいけないのに、立ち上がることすら出来ず、インスリン出来なかったことがある





その時は当然、ご飯も食べさせていない






お昼前に復活出来れば、ご飯を食べさせてインスリン注射だけど

(獣医師から24時間でなければ途中注射okの許可が出たから)





疲弊しきっている




明日こそは休もうと考えている中、父から買い物に連れて行けと電話がくる











限界なんです




















今年は母が退院した以降、畑の作業が進まない。



ヨーダの病院は週二回、母のリハビリが一日置きになったから。




大抵、晴れた日は病院で、家に居ることが出来る日に雨




野菜の収穫に三時間くらいかかるのと、家に居るときは母の介助に動かねばならず、秋野菜+冬野菜の為に準備していた畑は、雨で雑草だらけに。





母からは、まだ種まきしてないの?と言われる始末






自力でご飯食べないヨーダに、ご飯食べさせて。

我が儘一杯の母のご飯を用意してから、畑に出る




収穫が先




午後からは、母の介助に動かねばならず




何処に、種を蒔く暇が?
















母が入院している間に用意した畝は草だらけになった。






雑草を刈ってから出ないと種まきできないのに、午後からのあの気温の中で作業する自信は無い





夕方からは怖くて出れない




熊の目撃情報がある地域だから





のと、ヨーダにご飯と、下手したらクロベエにも食べさせないと




そして、母の介助





私は1人しかいないのよ








責められても仕方ない




私だって、大根や白菜を蒔きたいの




でも、私は1人しかいないのだ