僕はこの光景を既に夢の中で体験していた。
日付も変わり、ようやく家にたどり着き、布団に潜る前にふとそんなことが脳裏を過った。
前日の雨風の中の準備が嘘だった様に晴れ渡り、霞んだ木更津の工場の輪郭が昼に近づくにつれはっきりとしてきた。
さぁはじまりだ。
蒼錆色のかねよ食堂には淡色の装飾、浜辺には大きなトンガリテント、木板に白いペンキで拵えたスクリーン、海岸線を少し歩くと小屋の中には舟のがっこう、
天まで届く直立不動の流木からは、会場全体へ放射状に伸びた麻紐より垂れ下がる断ち切りの彩り豊かな短冊たち。
風に追われて陸に向かってピンと伸びている。
正午を回ると、入口には人集りができ、準備のままならない中で大勢のお客様が会場に流れ込んでくる。
急ぎながら足りないパーツをはめ込み、余計なパーツをしまい、知った顔には挨拶を交わしながら往来をかき分けあっちこっちへと駆け回る。
また戻って入口に立つと始まったという実感がこみ上げ、そして誰かに呼ばれ実感の余韻に浸る間もなくまた会場のどこかへと。
バンドがサウンドを奏で始めると、その実感が確信へと変わり、旋律に乗りながら身体を揺らすオーディエンスの後ろ姿につられ、海風で身体の火照りを冷やし、徐々に時間の流れに適合して行く。
ようやく心と身体がひとつになり、会場にあふれる笑顔に酔い痴れ、澄んだ唄声と太陽から注がれる春の陽射しを重ねながら、その場所に立っていることに感謝した。
会場を見渡すと、ある人は流木の脇のベンチで楽な姿勢で足でリズムを刻み、ある人は波打ち際にシートを敷き家族でくつろぐ。
ある人は桟橋から色とりどりに飾られた装飾と人で賑わう会場にカメラを向け、ある人はステージの真ん前で目を瞑りながら刻々と頷いている。
それぞれが思い思いの居場所を見つけ、思い思いの楽しみを見つけ、思い思いのPeacenicを満喫している。
誰のためでもなく、誰に言われるでもなく、人はそれを選んでそれを自分のものへと変えてゆく力がある。
あまりにも非日常かというとそうでもない。
かといって、日常にはない何かがそこにはある。
そういう何かとしか表現できないものがそこにあり、
その何かを表現したい気持ちがそれぞれにある。
こどものようにはしゃぐおとな。
おとなよりもパーティーしているこども。
境目はあなたの中にあるだけで、僕の中にはない。
愛は届くのか。
それは呆然と立ち尽くしていても決して届きはしない。
でも、届けることが目的ではない。
抱いたことが肝心で、それを届けたいと思う気持ちが届けるまでの道筋を生み、そのレールをなぞることが重要なことで、愛そのものの価値は相手にとっては無に等しい。
甘酸っぱい記憶と心に触れ
一打一打のリズムがそれをじっくりと確かめる様に刻まれ、その固まりがひとつの大きなうねりを生み、笑顔と笑顔が沈みかけの太陽よりも眩しく輝き、口ずさむ歌詞は潮が浜にたどり着く囁きよりも激しい飛沫を上げる。
気がつくと、水面は濃い紫色に変わり、優しい語り口調に合わせてアニメーションが浮かぶ。そこに立つハットのシルエット、彼はこの景色が見たかったのだろう。
陽が沈み食堂から漏れる暖かな光と笑い声、電球の淡いオレンジとストレートな言葉の羅列。
ひとつひとつが重なり合い、角が取れ丸みを出し、その丸が手前と奥に回転を始め大きな球体ができる。球体は徐々に膨張を始め、どこまでもどこまでも大きく膨らみ、その中には細かな気泡ができ、その気泡の中でも小さな膨張が起きて、そのひとつで新しい命が誕生する。
その命がまた集まって角が取れ立体的になり、膨張しその中に小さな膨張を産んでゆく。
繰り返し繰り返し満ちては引く続いてく波の様に、それに浮かぶ舟は、気がつくと360度が大海原で島ひとつ見えない。
そうして僕らは何もない大海原に一艘の舟を浮かべながら、波のうねりに逆らいながらあなたの待つ波止場を目指して進んでゆくのだ。
記憶はあてにならないけど、身体が無意識に反応することを信じて生きる。
想像なのか夢なのか、現実なのかさえも区別はつかないが、そこに境界線を引く必要のない瞬間がある。
それをあなたが望むなら。

ありがとう。
この感謝は、5文字では納まりきらないので、
ゆっくりと言葉で伝えていけたらと思う。
また逢いましょう。
日付も変わり、ようやく家にたどり着き、布団に潜る前にふとそんなことが脳裏を過った。
前日の雨風の中の準備が嘘だった様に晴れ渡り、霞んだ木更津の工場の輪郭が昼に近づくにつれはっきりとしてきた。
さぁはじまりだ。
蒼錆色のかねよ食堂には淡色の装飾、浜辺には大きなトンガリテント、木板に白いペンキで拵えたスクリーン、海岸線を少し歩くと小屋の中には舟のがっこう、
天まで届く直立不動の流木からは、会場全体へ放射状に伸びた麻紐より垂れ下がる断ち切りの彩り豊かな短冊たち。
風に追われて陸に向かってピンと伸びている。
正午を回ると、入口には人集りができ、準備のままならない中で大勢のお客様が会場に流れ込んでくる。
急ぎながら足りないパーツをはめ込み、余計なパーツをしまい、知った顔には挨拶を交わしながら往来をかき分けあっちこっちへと駆け回る。
また戻って入口に立つと始まったという実感がこみ上げ、そして誰かに呼ばれ実感の余韻に浸る間もなくまた会場のどこかへと。
バンドがサウンドを奏で始めると、その実感が確信へと変わり、旋律に乗りながら身体を揺らすオーディエンスの後ろ姿につられ、海風で身体の火照りを冷やし、徐々に時間の流れに適合して行く。
ようやく心と身体がひとつになり、会場にあふれる笑顔に酔い痴れ、澄んだ唄声と太陽から注がれる春の陽射しを重ねながら、その場所に立っていることに感謝した。
会場を見渡すと、ある人は流木の脇のベンチで楽な姿勢で足でリズムを刻み、ある人は波打ち際にシートを敷き家族でくつろぐ。
ある人は桟橋から色とりどりに飾られた装飾と人で賑わう会場にカメラを向け、ある人はステージの真ん前で目を瞑りながら刻々と頷いている。
それぞれが思い思いの居場所を見つけ、思い思いの楽しみを見つけ、思い思いのPeacenicを満喫している。
誰のためでもなく、誰に言われるでもなく、人はそれを選んでそれを自分のものへと変えてゆく力がある。
あまりにも非日常かというとそうでもない。
かといって、日常にはない何かがそこにはある。
そういう何かとしか表現できないものがそこにあり、
その何かを表現したい気持ちがそれぞれにある。
こどものようにはしゃぐおとな。
おとなよりもパーティーしているこども。
境目はあなたの中にあるだけで、僕の中にはない。
愛は届くのか。
それは呆然と立ち尽くしていても決して届きはしない。
でも、届けることが目的ではない。
抱いたことが肝心で、それを届けたいと思う気持ちが届けるまでの道筋を生み、そのレールをなぞることが重要なことで、愛そのものの価値は相手にとっては無に等しい。
甘酸っぱい記憶と心に触れ
一打一打のリズムがそれをじっくりと確かめる様に刻まれ、その固まりがひとつの大きなうねりを生み、笑顔と笑顔が沈みかけの太陽よりも眩しく輝き、口ずさむ歌詞は潮が浜にたどり着く囁きよりも激しい飛沫を上げる。
気がつくと、水面は濃い紫色に変わり、優しい語り口調に合わせてアニメーションが浮かぶ。そこに立つハットのシルエット、彼はこの景色が見たかったのだろう。
陽が沈み食堂から漏れる暖かな光と笑い声、電球の淡いオレンジとストレートな言葉の羅列。
ひとつひとつが重なり合い、角が取れ丸みを出し、その丸が手前と奥に回転を始め大きな球体ができる。球体は徐々に膨張を始め、どこまでもどこまでも大きく膨らみ、その中には細かな気泡ができ、その気泡の中でも小さな膨張が起きて、そのひとつで新しい命が誕生する。
その命がまた集まって角が取れ立体的になり、膨張しその中に小さな膨張を産んでゆく。
繰り返し繰り返し満ちては引く続いてく波の様に、それに浮かぶ舟は、気がつくと360度が大海原で島ひとつ見えない。
そうして僕らは何もない大海原に一艘の舟を浮かべながら、波のうねりに逆らいながらあなたの待つ波止場を目指して進んでゆくのだ。
記憶はあてにならないけど、身体が無意識に反応することを信じて生きる。
想像なのか夢なのか、現実なのかさえも区別はつかないが、そこに境界線を引く必要のない瞬間がある。
それをあなたが望むなら。

ありがとう。
この感謝は、5文字では納まりきらないので、
ゆっくりと言葉で伝えていけたらと思う。
また逢いましょう。

