バラバラな感情に現実が帯びる瞬間、僕は何を想うのだろうか?

僕は君を想った。
君とメールを交換し、電話で話し、僕は君に会いに行く。

だけれど、イメージが続かない。
「とりあえずさ、会いたいから、会いに行くよ。地球の裏側まで。」


次の瞬間、僕はこれからをイメージした。
仕事でボロボロに疲れて、キャバクラで騒ぐのを。
僕は仕事帰りにキャバクラに寄って、女の子とは余り関係なく、いきなり歌を2曲歌い、女の子に聞く。
「今の曲どうだった?良かった?」


多分失ったものは「動機」みたいなもので、「動機」は宙に浮き、物語は消えて、刹那が僕を捉える。

僕はイメージする。
君の肌。
君の声。
君のぬくもり。
なんてものではなくて、

僕はイメージする。
ポロライド。
マジックミラー。
ガラス越しに笑い掛けるキミ。

汚いよりも綺麗な方がいい。


すべては「汚いものよりも綺麗なものがいい」とか、「古いものよりも新しいものがいい」というような資本主義の法則に貫かれていて、その法則には「お父さん。お母さん。生んでくれてありがとう。」みたいな感謝の気持ちがなくて、感謝する時はとても不幸な時。



僕達は幸福な回廊で彷徨っている。

幸福な回廊で。

僕は君を失い、僕は君に出会う。

写真を始めようと思うんだ。
デジカメか、銀塩で。

撮りたい絵は、マン・レイとか、そういうアートっぽい奴ではなくて、ましてや新聞とかでやっているコンクールで入賞した奴とかでもなくて、なんというかもっとニュートラルな写真。
癖がまったくない、「風景をただ単に切り取りました」というような写真かな?
あるいは商業写真?

でも、僕は女性は撮らないよ。
撮らないんだ。
女性を撮ると感情移入してしまうから。

僕が撮った写真。
ONKYOのコンポ。
ポルシェ・ボクスター。
AUの携帯電話。

別に工業デザイン的な写真を撮りたいわけじゃないんだ。
でも僕の写真はONKYOのコンポやポルシェのボクスターやAUの携帯電話と一緒に並べられて、同じように光り輝いている。
キミと違う世界。

キミはキミで、ボクはボクで、違う人格だけれど、どこかで交わっている部分があるよね。
そういうのがまったくない世界を撮りたいんだ。

キミ。
ボク。
ONKYOのコンポ。
ポルシェ・ボクスター。
AUの携帯電話。

こう並べるとわかり易いかな?


完璧さ?
そうかもしれない。
例えば、まだ古館一郎が実況してなかった頃のF1を深夜に観ていた時に、深夜の静寂をF1マシーンの爆音が切り裂いて、F1マシーンの挙動がまるでアートのように感じられた。
そのF1マシーンの挙動を切り取ったような感じ?
スタンリー・キューブリックの完璧さとは違う「そこにある」完璧さみたいなもの。

でも、僕は君のことが嫌いになったわけではないよ。
いつか君の写真も撮りたいと思っている。
まったく違うスタンスで。
君の息遣いが聞こえてくるような写真を。

そして僕は君を抱きしめ、僕は君にキスする。


じゃあ、また今度。
渋谷か原宿で。
「ケ・セラ・セラ」を歌おうよ。

愛してる、愛してる、愛してる。

僕は君を愛してる。
だけど僕が君を愛しているのは幻想で、本当は僕は君を愛していないのかもしれない。





愛してない、愛してない、愛してない。

僕は君を愛していない。
でも僕が君を愛していないのも幻想で、本当は僕は君を愛しているのかもしれない。





愛したい、愛したい、愛したい。

僕は君をずっと愛したいと願った。
僕がパチンコ屋で25万位すったのも君を愛したいけれど、愛せなかったからで、僕が何をやっても面白くなかったのも君を愛したいけれど、愛せなかったからで、要するにすべては愛情の問題で、意思の問題という側面もあったかもしれないけれど、君への愛情が言葉として表れて来ようとする時、僕はその言葉を飲み込んだ。





愛したい、愛したい、愛したい。

僕は君を愛したい。
僕は君を抱きしめたい。





あの日、君がくれた海藻。

僕は君を愛せなかった。
僕は君をちゃんと抱きしめられなかった。
僕は君を玩具にして遊んだ。

あの日だけが君をちゃんと愛せた日だったけれど、君は僕と会うことを拒否して、川原に花火を見に行った。
君はなにか悲しいことがあると楽しいことを探しにどこかに行ってしまう性格。





あの日、君は僕に海藻をくれた。
あの日、君は僕に海藻をくれた。

君の黒くて美しい髪を掴もうとしたけれど、君は僕に海藻をくれた。



ヴィーナスは消えた。
肉体は消えた。
何もかも消えた。



消えた。





愛したい、愛したい、愛したい。

愛したい。



愛したい、愛したい、愛したい。

愛したい。



愛したい、愛したい、愛したい。

愛したい。

君は窓際に咲く手の届かない花々のよう
清楚過ぎて
もどかし過ぎて

僕は君との距離に苛立つ
僕は花瓶を壁に投げつける

ガラスの破片が僕の体を突き刺して
血が噴き出して

君は大地になったのだ
君は大地になったのだ


君は大地となって
僕の血と君の大地が混ざり合って
黄金に輝く

君の憧れは地上に飛び散って
頭上にはオーロラの空が

やがて春が来て
夏が来て
秋が来て
冬が来て

新芽が吹き出し
花々が僕達を包み込む


そう、君は大地になったのだ
そう、君は大地になったのだ


大地を踏みしめて歩く度、そっと君を思い出す

君が生まれて来たのはちょうど17年前の今日だね。
17年前の今日は1984年で、僕はアメリカにいて、ロスからサンフランシスコを車で流してた。

君にアメリカの大地を一度見せたいよ。
アメリカの大地はとても広大で、辺りには赤茶げた岩肌が、遥か遠くには水平線が見える。
フリーウェイを少し走っただけでもアメリカの広大さが実感出切るんだよ。
まさに母なる大地という感じだね。

そう、君は母なる大地に祝福されて生まれて来た子供。
母なる大地に抱かれるように、静寂に包み込まれるように、厳かにそっとこの世に生まれて来た。

君のお父さんもお母さんも君が生まれて来て喜んだはずだよ。
恥ずかしがって余り言わないかもしれないけどね。

でも、世の中には祝福されて生まれて来た子供ばかりではなく、祝福されずに生まれてきた子供もいる。
でも、世の中には争いや憎悪が渦巻いている。

だけど君には誰も傷付けることなく、誰も憎むことなく、強く健やかに生きて欲しいよ。

どうか君が幸せになりますように。
どうか君が幸せになりますように。


広大なアメリカの大地。
赤茶げた岩肌。
遥か彼方の地平線。

「イメージしなさい。」とその作家は言った。

「イメージは大切なんだよ。すべてはある意味イメージで、自分がイメージできないものは決して手に入れることは出来ないんだ。」

僕の幸福のイメージはなぜかマッチ売りの少女だ。
「マッチはいりませんかー?」
「マッチはいりませんかー?」

マッチ売りの少女は冷たい雪が降る寒い冬の日に外でマッチを売っていた。
でもアクシデントがあったりしてなかなかマッチが売れない。
少女の体は徐々に冷えてくる。

そんな中、窓越しに見える家族の団欒が幸福の象徴として、今の自分の境遇とは逆の暖かい光として少女の心に届く。

でもそんな家族の団欒なんて幻想だ。
基本的にはないものねだりの幻想で、対比としての幸福。
対比としての幸福はチルチルミチルの「青い鳥」のように、遠くまで旅をしないと気付かないものだし、逆に旅をしないと逃げ出してしまうもの。

でも本当の幸福は逃げ出さないのかも?
本当の幸福は毎日何気なく吸っている空気のようなもので、気が付かないだけで、ここにもそこにも溢れている。
争いも憎しみもすべてを包み込んで。


眩しい。
空の青さが眩しい。

悲しい。
すべてが透き通っていて悲しい。

どうしょうもなく青い空の下、僕は君をイメージした。

グレートバリアリーフの星空はとても綺麗で

僕は溜息をつく

星空と僕の距離がとても近くて

星がキラキラと頭上に落ちてきそう


星空のせいなのか

夏の夜の開放的な空気のせいなのか

波音が僕の気分をセンチにして

僕は君をそっと抱く



でもどうしてだろう?



抱いても抱いても

君はどこかに消えてしまいそう


抱いても抱いても

僕の体は君をすり抜けて行く



ただ君の白くて細い指先だけが

僕達の愛情を繋ぎとめていた


ただ夏の夜の暖かい潮風だけが

僕達の愛情を包み込んでいた



脆くて

苦しくて

壊れそうで

切なくて



抱きしめ合った僕達

君は僕を幻惑する。

君の美しさ。
時折見せる君の美しさは相当なもん。
僕は君の美しさにひれ伏したい。

君の悩ましさ。
君の体の線はとても綺麗。
僕は君の体の線をずっと眺めていたい。

でも僕は君のことが大嫌い。


君なんて。
君なんて。
君なんて。

僕は君に冷たくあたる。

僕達は道を歩いていた


秋風が君の髪をなびかせ

辺りには木の葉が舞い

僕は君の手に少しだけ触れた

君のドキドキが伝わってくる


君は頬を少しだけ赤らめ

それでも構わず僕は君の手を握り締め

僕の体は君の体温で温められて

僕は君を求め始める


でも僕達はそんな体の反応を押し殺すかのように静かに歩き続けた


ゆっくりと、ゆっくりと

ただ、遠くを目指して

ずっと、ずっと


若かった僕達

僕は尾崎豊の「回帰線」が一番好きだった。

僕が尾崎豊の「回帰線」が一番好きだったのには理由があって、尾崎豊の「回帰線」は僕が一番初めに買った尾崎豊のアルバムだったこと、僕は尾崎豊の「回帰線」をリアルタイムで聞いていたこと、そして何よりも尾崎豊の「回帰線」が持つB面(レコード)の優しさ。
特に「存在」や「坂の下に見えたあの街」はとても優しい曲だよね。

でも君は尾崎豊の「回帰線」よりも「17歳の地図」の方が好きだって言った。
きっと君は尾崎豊の「回帰線」よりも「17歳の地図」の方がみずみずしいし、10代特有のエネルギーと脆さが顕著なので好きだと言ったのだろう。
今の僕も尾崎豊の「回帰線」よりも「17歳の地図」の方が好き。

僕は確実に君に影響された。
それが君と関わった証なのか?
それが君を失った代償なのか?
君の持つ感性のみずみずしさ、エネルギーと脆さ、なんか年甲斐もなく僕達は青春してたね。

今でも僕は時々君を思い出す。
僕が尾崎豊の「回帰線」よりも「17歳の地図」が好きになったことに君がいるよ。