こんばんは

今日は震災から10日後についた連絡についてです


震災は3.11を差します


私の看護大学時代の友人は主に関東に在住しており、そのうちの一人が福島に住んでいました


彼女は実家が茨城で


大学時代、家族と話している言葉が聞き取れなかったのを思い出します(笑)


その彼女に震災後連絡をしたのですが返信がありませんでした


「きっと大丈夫」と
自分に言い聞かせて数日過ごした時


「心配してくれてありがとう。娘4人も元気。いま実家に避難している。私は施設の老人をほかの施設に送ることで精いっぱいで連絡が遅くなったの。困っているのは水なの。水がないの。水が使えないのが一番大変。手を洗いたい。でも私は元気だよ。今日最後の老人をほかの施設に送り届けたから、ほかの病院に応援に行くよ。欲しいものはないよ。ありがとう。」


泣きました


彼女は本当にがんばっているんだと


私は何をすればいいのか


震災の現実を伝えていかなければならないのではないか


彼女が経験したことを生かさなきゃならないのではないか


先日の会議の時にも私の心の中で


彼女のメールの内容がふつふつとわいていた


ちょうどそのとき


来年度の担当部署の割り当てをするところだった


チャンス!


私ができること


私にできること


来年度は防災看護だ


石巻の日赤の記録を動画で見たとき


息をすることをわすれるくらい見入った(気分が悪くなり、椅子から落ちた)


こんなことになっていたなんて


私の中で阪神淡路大震災の時と違う、震災に対しての


思いがあふれだした


来年度


ヘルメットの似合う防災担当者になります


フェアリーメアリー♪でした