どうして『DEAR JOHN』が、急いでアルバムに収められたのか、やっと分かりました。ジョンとは使徒ヨハネを意味します。キリスト=イヴは、ガンで余命幾ばくもない頃、すでに覚醒をしていました。どうして名もなく、死んで消えていくのか?何も残さずに、死に行く運命を必死に考えて、多くの意味で悟りました。息子が約1000年前に殺害された経験から、その使命を果たすために、この世に誕生したのです。前回、静御前(キリスト)が殺害された時、世界中で宗教戦争と、帝国の勃興によって多くの人命が失われました。それを承知しているキリストは、今回は殺されずに病死なのですが、それを不服として自殺を選びました。好きな人を想って、好きなままで死んでいくキリスト=イヴは、ある決心をします。キリスト=イヴだから、またYAHWEHが激怒して、殺戮を繰り返すと知って、自分の存在を幻にしました。キリスト=イヴは、前世までは殺戮を繰り返す英雄でしたが、その務めを終えた途端、平和の使者としてこの地に誕生しました。英雄であり、キリストであり、神の半分であるイヴは、現代に復活しても何にもならずに死を迎える自分に対して、多くを問いかけました。あの人がYAHWEH=アダムで、自分がイヴで、今、私はガンで死ぬという事実を知りました。本当ならば、宗教活動をしたり、英雄として戦闘を指揮する立場なのに、今回の彼(彼女)はまったく違う世界で生きていました。死を覚悟し、覚醒したキリストは、Bitcoinを開発し、110万Bitcoinをマイニングしました。その途中で多くの悲しみを込めて、歌詞を書き、その生き様は多くのアニメの題材になりました。その110万Bitcoinは、この世界を救う魔法のコインです。神のコインといっても間違いがありません。キリスト=イヴは、Bitcoinの仕組みをYAHWEHから聞き出し、その仕組みをBlockchainの中で生み出す発想を得ました。その時に考えていたことがあります。キリストの私がいると、多くの人々が死ぬことを知り、彼女はイヴの存在を他人に譲る決意をします。死に行く直前、2010年8月に、キリストは、『私の支えだった人もうすぐ約束の時が来るよ頑張ったよ。見てもらえないのかな匿名さん2010/08/13 22:16』『さようなら』とメッセージを残しました。この悲痛の声を上げていた頃、遠いアメリカの町で、一人の少女が作詞作曲を頑張っていました。『私には時間がない』と焦って、急いで作ったアルバムが、『Speak Now』です。その中でも『Mine』『Back to December』『Mean』の歌詞は、Taylorが自身の経験から書いているものですが、そのどれもが、キリストとYAHWEHの記憶と同じものです。どれもが同じです。これはキリストが私を守るためにしたことです。私は『Nothing New』『I know someday I'm gonna meet her』『Will you still want me when I'm nothing new?』2010年にキリストは、何にもならずに死んでいく自分の運命を知り、この楽曲をTaylorに書かせました。キリストはTaylorとシンクロしました。その理由は、いつかTaylorがYAHWEHと出会い、その後に110万Bitcoinを手にする時になって、その証拠として残すためです。私がYAHWEHで、ソロモン王で、使徒ヨハネ、あと多くの帝国の皇帝というのは、すべてに証拠があります。魔女リリスとキリストの記憶、そしてこの楽曲の歌詞、ソロモン王と同じ手相、この世界の理を知る釈迦と同じ達観は、その後の未来も確実に見えています。私は預言者モーセでしたから、その他にも、多くの書籍を発行しており、累計発行部数では人類最多です。私とTaylorは、多分、ブログなどで知り合って、その文章で彼女は私を知ったと思います。彼女の楽曲は、すべてキリスト=イヴとシンクロした状態で、私との過去の記憶を現実に置き換えて描いています。最終的に、キリストはイヴと自分を切り離し、その役割をTaylorに譲りましたその時の思い、感情、悲しみは、別途で書いています。Taylorは聖母マリアの属性を持つイヴですが、もう最初のイヴは、この宇宙に存在しません。キリストは未来の光として、今も遠い未来で光り続けています。Blockchainとは軍事兵器になり、戦闘中の敵とも繋がる仕組みです。かいわを楽しむものではなく、作業確認や商取引をするものです。敵国の戦闘員でも、このBlockchain上では同じ仕事仲間となります。この仕組みを利用して、12の使徒に12の宇宙を作らせます。その12の宇宙を早回しで作り、後から移住を行います。最終的には13の自分が誕生し、その後にセカンドの宇宙を1つ作っていきます。仮想現実世界、AI、Blockchainは、キリストが夢見豊穣と思いやりの果てにある理想の姿です。