<パチンコ店での話>

 

 

まあ、青春というタイトルで

書くことでもないのですが、

若い時の話ですので。

 

私がパチンコをやり始めたころは。

まだパチンコ台が手打ち式の時でした。

 

 

それから数年後、

パチンコ台は電動式になりました。

これはそのころの話です。

 

仙台で学生をやっていた時、

よく繁華街のパチンコ屋で遊んでました。

その日も2時間ほど遊んでいました。

 

※若き頃のpen

この日は玉の出も悪いので、

そろそろやめようかと思っていた時、

 

と、隣の人に声をかけられました。

一目で、その筋の人だなと分かりました。

なにか因縁でもつけられるのか、

とビビりましたら、

 

そんなこと言われたのは初めてでした。

「そんな事店員に言って、

食事中の札をぶら下げりゃいいだろうに」

と思いましたが、

もちろん言えませんでした^_^;

 

やーさんは行ってしまいました。

やーさんの台には、

パチンコ玉の入ったプラスチックの箱が

3個ほど積まれていました。

「これの留守番をしていろってことか」。

そろそろやめて帰ろうって思ったのになあ。

 

や―さんが帰ってくるまで、

玉の出そうも無い台で、

しばらく打たなければならないのです。

お金だってそんなにありません。

 

知らんぷりしてこのまま帰るべ、

と思ったのですが、

小心者日本代表の私ですから、

被害妄想が広がります。

 

店を出た途端、

どこかで見ているやーさんに見つかり、

追いかけられるのではないか、

仮にこの場は逃げれても、

いつかまた街でこのやーさんに会って、

 

ついに捕まり、

 

広瀬川か仙台港に浮かんでいるかもしれない。

 

馬鹿々々しい妄想をしながら、

私はやーさんのお帰りを待っていました。

パチンコはなるべく打たず、

タバコを吸ったり、缶コーヒーを飲んだりして、

時間をつぶしました。

 

そして1時間半ほどして、

やーさんは帰ってきました。

「ありがとうな」

やーさんはそう言うと、

 

ひと箱分のパチンコ玉を、

私の台に入れてくれました。

「お礼」。

さすがやーさんは気前がいい。

 

おかげで私は、

やーさんの隣で30分以上、

出る見込みの無い台で

打ち続けることになったのでした。

店を出た後どっと疲れました(;^_^A

 

 

 

青春というタイトルで語る話ではなかったですね^_^;

まあ、私の青春はこんなもんです。

 

青春といえば、今高校野球が行われていますが、

岩手代表の盛大付属が勝ち進んでいます。

けっこう強い勝ち方です。

野球留学生の多いチームですが、応援しています。

ベスト16の相手は、大阪桐蔭を破った近江高校です。

かなりの強敵ですが、頑張って勝ってほしいですね。

 

悲願の優勝旗の白河の関越え。

野球留学生が多いのが、どうしても引っ掛かりますが、

それでも期待してしまいます。

複雑なおっさん心です(^-^)

 

今日も長い間おつきあい頂き有難うございました。