障害者通所施設ひまわり
昨日から大正区にある障害者通所施設の「ひまわり」という作業所に通っている。大正区は、大阪市を構成する24行政区の一つで、区全体が淀川水系と大和川水系により運ばれた土砂により出来た大阪湾の三角州の1つであり、運河により更に3つに分かれた島状の地形となっている。東と南には木津川、西には岩崎運河、尻無川が流れ、西端は大阪湾に接している。区の内部には、人工港湾の大正内港があり、木津川から分かれ、南恩加島・鶴町と船町との境界を成す木津川運河がある。
大正区の区名は、木津川に架かる大正橋(たいしょうばし)から命名され、区名制定にあたっては住民に区名を募集した際「大正橋区」を希望する声が多かったが、「大正橋区」では長いとして最終的に大正区に決定した。なお、区名の由来となった大正橋は大正4年竣工であるが、大正区自体は大正時代ではなく昭和7年に設置された区である。
それ以前は、難波八十島と呼ばれた三角州地帯の南部に過ぎなかった。この地域に人家が見られるようになったのは元和年間とされ、木津川尻の姫島に西成郡難波村から漁民3名が移住したのが始まりとされている。これが三軒家の地名の由来である。三軒家は摂津国西成郡木津村の中村勘助(木津勘助)によって開発された。その前後の1610年または1647年には中村勘助によって新田開発が行われ、姫島は勘助島と呼ばれるようになった。勘助島のうち、木津川から分岐する三軒家川の西岸は廻船の碇泊地として賑わいを見せ、西成郡三軒家町を形成した。1684年には大川の川筋普請のために天満1丁目・臼屋町・天満2丁目のそれぞれ大川沿いの住民が、西成郡三軒家村の北東端へ移転して船津町・臼井町・川本町が成立し、大坂三郷へ編入された。勘助島における新田開発は木津川改修工事とともに本格化し、新田開墾は願書を1698年8月に提出、同年9月に許可された。町民(中村勘助、北村六右衛門、岡島嘉平次など)が行い、現在の町名はその開墾した人に由来する。なかでも岡島嘉平次は当区域に該当する全16新田のうち9新田の開発に携わっている。工事としてはまず堤防予定地の内側を掘り下げて溝を造り、その上げ土で堤防を築いて海水の侵入を防ぐ。この後堤防内を新田に開拓する。新田の雨水などは、一時溝にためて、干潮のときは堤防の水門をあけて排水し、満潮のときは水門を通じて海水の侵入を防いだ。江戸時代後期になるとほぼ現在の形になる。勘助島の東隣、木津川の流路を塞ぐように位置していた難波島では、1699年に河村瑞賢によって島の中央部を開削する工事が行われ、木津川の流路が一直線になった。木津川新河道により分割された難波島は、西側の島の名は難波島(島の西には三軒家川)のままとし、東側の島の名は月正島(島の東には木津川旧河道の七瀬川)と命名された。
大正区は大正初期以来、沖縄県からの移住者が多かった地域で、沖縄料理や沖縄食材を扱う店が多く、「リトル沖縄」とも呼ばれている。現在、大正区で沖縄の雰囲気が最も色濃いのが平尾本通商店街、通称「サンクス平尾」で、南国風の音楽が流れ、店先にはシーサー、精肉店では豚足が並び、沖縄民謡をライブで聴かせる店や、揚げたてのサーターアンダギーを売る出店も。周辺には沖縄出身者が多く住み、琉球舞踊のけいこ場や三味線教室、琉球空手の道場なども多く見られる。現在も続く沖縄県出身者のコミュニティ形成の主因となっているのは、昭和初期からゼネラルモーターズの自動車工場や、中山製鋼所の製鉄所や日立造船などの造船所も作られ、近郊農村も、阪神工業地帯の重工業集積地に姿を変えたことにより、大工場に働き口を求めて沖縄県から移住者が多く集まったことによる。それ以前にも、三軒家にあった大阪紡績会社(現:東洋紡)がイギリスより日本で初めての蒸気式の紡績機を輸入し、大阪を日本一の紡績工業都市へと押し上げ「東洋のマンチェスター」とも呼ばれるきっかけを作った。また、三軒家川の碇泊地としての歴史をふまえ、明治中期から造船業も発達するようになった。1897年に大阪港第一次修築工事(築港事業)が開始され、鶴町・船町が埋立造成された。築港事業に伴って、1916年に木津川運河、1923年に大正運河がそれぞれ完成し、立売堀川・長堀川沿いにあった江戸時代以来の手狭な材木市場が大正運河に沿った千島・小林の貯木場へ移ったことが大正区発展の下地を作る。
大正区への移住者が本格的に増えるのは第1次大戦後で、沖縄では深刻な不況下で食料に事欠き、ソテツの実や幹まで口にしたため「ソテツ地獄」と呼ばれた苦しい時期だったらしい。しかし、本土との文化や風習の違いに悩む人も多く、就職では不当な差別があり、借家でも「琉球人お断り」といった貼り紙が当たり前だったので、自然と沖縄出身者は大正区内の何カ所かに集まり、助け合うようになった。そうした沖縄出身者は、子や孫たちまで含めると、約7万人の区民の4分の1程度を占め、沖縄県北中城村の人口に匹敵する。
大正区の沖縄文化を色濃く伝えるのが毎年開かれているエイサー祭りである。特に2019年のエイサー祭りには、沖縄の声を全国の人々に届けるトークキャラバンのために訪れていた玉城デニー沖縄県知事も参加し、会場でクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「雨を見たかい Have You Ever Seen the Rain?」とボブ・ディランの「All Along the Watchtower」、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」をギターの弾き語りで披露した。
大正区のもう一つの特徴としては、河川や運河などの水路に囲まれた地域であるため、公営渡船が数多く運航されている。大阪市南西部は河川や運河などの水路が縦横に走っており、また河川舟運が盛んで架橋が困難だったため、古くから市による公営の渡船が多数運航されてきた。各河川・港湾への架橋進展に伴いその多くが廃止されたが、現在でも8航路が、主に大阪市建設局西部方面管理事務所により運航されている(木津川渡のみ大阪港湾局)。歩行者および自転車専用で、運賃は無料である。

