指原 文春 真相 スキャンダル 画像で検索したら辿り着いたある仮説       なぜ指原は誤解の弁明をしなかったのか

指原 文春 真相 スキャンダル 画像で検索したら辿り着いたある仮説       なぜ指原は誤解の弁明をしなかったのか

さしこが「指原 文春」で検索してください と言ったので検索してみた。
そうしたら、あたらずといえども遠からず的な仮説ができた 
       かもしれない。                    
そんなざっくりとした感じの指原莉乃ブログです。

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この仮説のきっかけとなったのは、
週刊文春の記事にあった次の写真である。


指原 文春 真相 スキャンダル 画像で検索したら辿り着いたある仮説       なぜ指原は誤解の弁明をしなかったのか

一見、右腕にみえる手が左腕である。
   親指が下にあるからだ。
   
写っているのが顔の右半分なので、
右腕ではあのポーズは不可能である。

この手が右腕じゃないというだけでもビックリだが、
左腕でできなくもなさそうだ。
(しかも、空いてる右腕で自画撮りもできそうだ。)

やってみた。

しかし、やはりあの顔の位置に
あの腕の角度を持っていくのは
一瞬で撮ったスナップ写真としては
窮屈で不自然だ。
そして、よく分からないポーズだ。

とにかく、変な黒塗り加工をしてまでも
     文春の記事で匂わせている

     顔を半分隠してキスをしている写真
     ではないことは明らかだ。

つまり、文春の記事には
Aと指原が関連する写真は1枚もない
というのが、この仮説の始まりだった。


(読後に、プロフィールを
読んでもらえるとありがたいです。)


指原はANNで
『中身に関しては、事実じゃ無いこともたくさんありましたが、
 その人とお友達だったことは本当です』
と言った。

だが、なぜ事実じゃ無いことが
たくさんあったにもかかわらず、
あんな誤解をされても
はっきり弁明しなかったのか。

なぜANNで秋元康はあの文春記事を受けても、
『指原がそういう風に誤解されるような、かつて行動をとった』
と話し、

『かといって指原が全面的に悪い訳でもないし、
  すごい難しいよね』
と言い切ったのか。
      
単に指原をかばうためにそんなことを言うほど
秋元康はバカではないだろう
という視点から漠然と考えていた事を文章にしてみました。




Aは10月に指原に告白して1年間付き合ったそうだ。

そして、11月の指原の誕生日の思い出も、
    12月のクリスマスの思い出も、
    お正月の思い出も、
    バレンタインの思い出も、
    ホワイトデーの思い出も、
    夏の思い出も、
    何一つないけれども、

 ツーショット写真も1枚もないけれども、

 とにかくAは指原から惚れられていて、
 別れたくないという未練たっぷりなメールは
 貰っていたという。


だが、

好きな男と
何一つ楽しい思い出も作らないほど我慢していた女が、

好きな男と
1枚もツーショット写真を撮らないほど警戒していた女が、

AKBのTシャツを着て、
「胸が大きくなった」写真を送るだろうか。

名前をいれて下着姿の写真を送るだろうか。


紙面でもできなくはないが、
Web版ならもっと全体像が写せたであろう、
あの送信元や送信日時がなぜかカットされた
メールが本物ならば、(*1)
付き合っていたことは明白にもかかわらず、

 
文春のライターは記事で指原に
わざわざこう問いている。

『「友達」と言い切る指原に、
  ――でも友達なら水着や下着の写真は
    送ったりしないですよね?』

(なぜか文春のライターはメールよりも写真を
 Aと指原が付き合っていた拠り所としている。)

そして、指原は答えている。

『ハイ、しません。そんなことはしてません。送ってません!』


つまり、指原はあの写真を誰に送ったかを知っている。




そもそも、男友達にあんな写真を送るはずもなく、

ましてや、
カワイイと思われたい好きな男に、
嫌われたくない惚れた男に 
ツーショット写真も警戒して我慢している女が、

あんなハレンチな女と思われるような写真を
いきなり送るはずもなく、
記事でも指原は否定している。

一見すると親密な関係があったから、
あんな写真があっても不思議じゃない
というような記事の作りになっている。

だが、逆である。

肉体関係があったから、あの写真が存在したのではなく、
あの写真があったから、付き合っていたどころか、
肉体関係があったと書かれても仕方がない記事になった。

むしろ、普通のツーショット写真がなくて
自画撮りのあんな写真しかなかったが故に、
逆にあそこまで書かなきゃ
記事としては成り立たないということを
文春のライターが一番よく分かっていたはずだ。

(ちなみに後述するが、残りの2枚の写真も
 Aとは関係ない写真である。)
     
やはり、あの写真があったから、
証拠物としては不可解な送信元をカットした
メールが後付けできた。(*1)

翌週の文春第2報目には、
第1報目の記事によれば複数あるはずである
二人の思い出の写真は後付けできなかったけど、
メールはなぜか後付けできたように。
    
つまり、ツーショット写真が1枚もないくらい、
恋人として付き合った思い出が何一つない
Aとの不自然な関係にもかかわらず、
     
結果的に下半身ネタの印象しか残らない
記事の作りになってしまったのは、 

Aとは関係なしに、

まず最初にあの写真が存在したから
あんな記事になってしまった
と考えるのが自然である。

そして指原は記事を読んでビックリしながらも、
一瞬で分かったはずである。
あの写真の出どころを。
        
そして電話を掛けたのだろう、その写真の出どころに。 


※③省略 末尾へ