以前、子どものメンタルに関わる仕事や研究をしていました。
繊細だけれど、強く、しなやかに再生する子どもの心。
子どもは未来の象徴だと思うので、その子どもたちの力に少しでもなれるならこんなやりがいのある仕事はないと思っていました。

力量としては本当に初心者です。経験も全く足りません。
でも、なかなか現場に戻れずで焦っています…(やはり子どもの心に関わる現場はハードワークで、育児しながらはなかなか厳しいです)


ただ、仕事はともかくとして、少しでもこの分野に造詣が深くて良かったなと思うのは、
○我が子の心の変化に敏感であろうという姿勢
そして、
○「こころが健やかに育つこと」を大切にする価値観

これらを得られたことです。
自分の子育てに、かなり影響していると思います。




私自身は、学歴至上主義に近い価値観の中で育ちました。
実際、幼少時から塾に行ってお受験し、国立の小学校へ。
その後も勉強をこなし、それなりの学歴を得て、安定した仕事についたと言えると思います。

「子どもを〇〇大に合格させたママ」が持て囃される風潮を見ていると、この社会では、学歴至上主義もあながち間違いではないのでしょう。

ただ、そんな中で育ってきた自分が、「健やかなこころの持ち主か」と聞かれると疑問です。
相当ひねくれているし、強迫観念のようなものもずっとあります。
思い返してみると、思春期には何度か「こころの危機」と言えるような時期がありました。
テストの前日は、今寝て点が取れなかったらどうしようと思うと布団に入れず、胃液を吐きながら明け方まで勉強していました💦
うちの親は、「勉強熱心で良いことだ」と思っていたようですが、果たしてそれでよかったのか…
当時の写真、笑顔が1枚もないんです、私。


親を責める気は無くて、むしろ感謝しています。
このように育てられたから、ブログのタイトル通り、シングルローンでマンションを買える、今の自分があると思ってますし。
それも、親の愛のひとつの形であることは間違いないです。

ただ、全て結果論。
何か少しでも条件が違っていれば、自分も大きく調子を崩していた可能性があるなぁ…と思い返すような綱渡り感を、当時の写真を見直して感じています。




この仕事をしていなければ、おそらく、子供も同じ価値観で育てていたと思います。
早期幼児教育に熱心に取り組み、小学校受験させて、いい学校に行くことがあなたを助けるのよ!と伝えていたでしょう。
私は吐くまで勉強した!あなたもそうしなさい!と言っていたかもしれませんね。

誤解しないでいただきたいのは、早期幼児教育やお受験が悪いと言いたいのではないということです。

ただ、私の性格とキャパでは、子どもの心に過度な負担をかけずにそれらをやり切ることは不可能です。
でも、自分の性格の余裕の無さや、キャパ限界で子供の心に傷を作っていることに気づかず、あるいは気づいていても見て見ぬふりをして、「これがあなたのため」を免罪符にして、突っ走っていたと思うんです。


今の私は、そのことを自覚しているので、受験はさせないことにしました。
公立の小学校で、いろいろな背景の子どもたちと一緒にのびのび学んでほしいと思っています。


ただ、ある程度いい学校に行って、安定した仕事についてほしい(普通の子にとっては、学歴は身を助けるツールなので…)という、書いてきたこととは相反する価値観は、私にも勿論あります。
子どもに苦労してほしくないからですが…


ずっとずっと傷つかないで育っていくことはできないし、成長には負荷も必要。
いつまでも守ってやることはできません。
では、どの程度が適切なのか?
「健やかなこころ」の持ち主に育てることは本当に難題です。
何をもって健やかとするかも、人それぞれでしょうが…
親の育て方さえ良ければいいというわけでも無く、本人の持って生まれた気質ももちろん関係あるし、それほど思い当たることがなくても突然危機的な状況に陥ってしまうこともあります。

ただ、何が正解か分かりませんが、決して「仕方ない」「そんなもんだ」「この子のため」で思考停止する親にならないようにしたいと肝に銘じています。

あ、もちろん、結果的に「仕方ない」「そんなもんだ」「この子のため」となることの方が多いと思うんですよ。
ただ、ちゃんと考えてその結論に至ったかは大切だと思います。
一生懸命学んだことを自分の子どもに生かせないとしたら、きっと自分を許せないと思います。






なぜこんなことを書いたかというと、下の子が生まれてから、やっぱり上の子が少し不安定だからです。

母に相談すると「仕方ない」「上の子はそんなもんよ」と想定内の答えが返ってきました。
これに反論すると、母の子育て否定になってしまうので、流しましたが…(私も長子です)

少し、専門的なテクニックを使って、上の子に向き合わないといけないかもしれません。
夫は「複雑すぎて分からんわ」とさっそく匙を投げましたが、何とかもう一度スプーンを持ってもらい、少なくとも不用意な一言を言わないように、私からレクチャー中です。
親が治療者を兼ねるのはとても難しいですが、少なくともNGな対応がどんなものかは分かるので、学んでいて良かったと思っていますし、このやり方で良いのか、客観的な意見を仲間に聞けるのも助かります。





最後におすすめの本を。
上の子が生まれた時に、当時の上司が勧めてくださり、購入しました。


虐待する親へのメッセージだなと思わせるような部分も多くあり、極端だなとか自分には当てはまらないなと思ってしまうこともあるのですが…

上司がよく言うのは、
「障碍かどうか、病気かどうかを正確に診断することも大切だけれど、どんな子どもでも丁寧な育て方をするに越したことはない」
ということ。


例えば、子どもを怒鳴る時、あなたはお子さんに礼儀を教えていることになるのでしょうか?という文言(引用では無くニュアンスですが)
余裕を無くすと、たった4歳の子どもにさえついつい棘のある言い方をしてしまう自分にはグサっときます。

障碍のある子どもたちに丁寧な療育が大切ということは周知されてきましたが、障碍があろうとなかろうと、丁寧に声かけして関わることが悪いわけない。
子育てのユニバーサルデザイン的な考え方と言えるかもしれません。

どんな大人になってほしいか、そのために親はどう振る舞うのが良いのか、どんな居場所を作ってあげれば良いのかを書いてあります。


本屋さんに行けば、賢い子にするとか、頭のいい子にするという本がたくさん並ぶ中、少し異色な内容だと思いますが、私は読んでよかったと思う本のひとつです。