コロナで立ち会いができないのは仕方ないし、さほどショックでもないのですが、その後のお見舞い全面禁止なのが地味に堪えています。
上の子の出産の時に、抜け駆けのような形(言葉は悪いけれど、私の本音です)でお姑さんが来てしまい、生まれてすぐの赤ちゃんを抱っこ。
自分の親は当日は遠慮したのに…との不公平感を今になっても拭いきれずというのは過去記事に書いたとおりです。
2人目の出産のときは、実母にも生まれたてほやほやの赤ちゃんを抱っこしてほしいと思っていました。
自分でも根深いと思うのですが、上の子の時のお姑さんへのモヤモヤ感はこれで昇華できるのかな、と期待していたのに。
立ち会いはおろか、お見舞いも禁止となれば、母が赤ちゃんと対面できるのは退院以降となってしまいます。
院内に立ち入り自体が禁止なので、よくある新生児室へガラス越しの対面というのも不可能だそう。
赤ちゃんの誕生という幸せなことに、不公平だとか、どちらの親が先だとか、そういう感情を持ち込むこと自体が親になりきれてない証拠なのかなと自己嫌悪の気持ちを持ったりもするのですが。
あと、上の子も退院までは赤ちゃんに会えません。
上の子は毎日お腹をさすったり、話しかけたり、赤ちゃんの誕生をとても楽しみにしてくれています。
なのに、退院まで赤ちゃんに会わせてあげられないのかーと思うと、何だか悲しい。
かなりのお母さんっ子な子なのに、1週間弱、私と全く会えないということも心配です。
普段単身赴任の夫は、おそらくものすごく苦労するでしょう。
お見舞いができれば、少しお母さんと会ってガス抜き…ということも可能なのですが、それも叶わず。
このコロナ禍の中で、産む病院があり、医療体制があるだけで幸せということは重々わかってはいるのですが。
バースプランとかに拘らないタイプだと思っていましたが、やはり、自分なりにこうありたいという出産像はあったんだなーと、このような状況になったからこそ気付いています。