〜M-1グランプリ2020について〜
どうも、松陰寺太勇改め、松井勇太です。
いつもご声援ありがとうございます。
M-1グランプリについて書きたいとおもいますあ。
まずは去年のM-1を振り返りたいと思います。
昨年のM-1グランプリ2019決勝、ありがとうございました。
松陰寺太勇、シュウペイ、あの大舞台で本当によくやってくれました。松井勇太には絶対無理です。
因みに「キャラ芸人になるしか無かったんだ!」
を叫んでる時は毎回泣きそうになります。
2019年はおもしろ荘から始まり、事務所解散、サンミュージック移籍、M-1決勝3位と色んな事がありました。
全てがいい方向へ転んでくれたと思っています。
時を戻そう。
【偽りの落胆】
2019年元旦。おもしろ荘優勝直後、「ここから人生を変えてやろう!」と鼻息荒く過ごした日々は二週間もありませんでした。
冷静にオンエアを見た後、
「多分何も変わらない」
とタバコをふかした事を覚えています。
当然仕事量は一月中旬には落ち着き、バイトとライブに明け暮れる日々を送りました。
1日何もない日は葬儀屋でアルバイト。
ライブがある日は早朝から酒屋の配送のアルバイトをしてからライブ。金曜は草野球。パンケーキはもちろん食べれませんでした。
ただ、絶望感はありませんでした。
前年のM-1グランプリ(2018年)で突っ込まないスタイルの漫才(あの程度の仕上がり)で準々決勝へ行けた事が、見た事のない、強い一筋の光でした。
同時に、この漫才を翌年のM-1までに仕上げなければならない、準決勝を突破できず敗者復活で中途半端に世に知れ渡るような結果にしてはいけない、そういう危機感も持っていました。
その想いは試せる場所があればどこへでも行ってネタをかけました。トムブラウンが決勝に行った年の取り組みを布川くんに聞けた事も大きたかったし、師匠のTAIGAさんにも松陰寺太勇の衣装について話を聞けた事も大きたかった。
【怒涛の上半期】
1月から春にかけてはとにかくネタを量産してライブにかけました。
「BAR」「デート」「アパレル店員」「美容師」「手術」「タクシー」「お年寄り」その他、、、
そして夏頃には「タクシー」「美容師」の2本を勝負ネタに決めていました。
舞台数が圧倒的に少ない吉本以外の芸人は、一本のライブにかける意味、目的を明確に持たないと勝てません。
そして4月で葬儀屋のアルバイトを辞めた事も大きたかったです。酒屋のアルバイトの同僚が1人が辞めたので僕のシフト割合が増え、酒屋一本で生活費を稼ぐ事ができました。今思えば、芸人と葬儀屋の二足の草鞋を履きながら歩く事は容易ではありませんでした。
葬儀屋の仕事は知力体力はもちん、仕事を覚えよう!という意欲がないと伸びません。
移動中のトラックで売れっ子芸人のラジオとニュース番組を片耳Bluetoothイヤホンで聴きあさり、葬式中にネタの事を考えている奴が伸びる訳が無いのです。当然僕が芸人である事を知っている葬儀屋の先輩は僕に対して雑にボケてきます。
「ハハハ(笑)ちょっと、、何言ってんすか?」
で、ほぼ全てのボケを処理しているようでは先輩の信頼も得られません。
ただ、葬儀屋のアルバイトでの経験は貴重でした。理不尽との戦い方は、今の漫才のツッコミワードに少なからず生きています。
アルバイトが酒屋一本になってからは体力的にも楽になりました。基本2人で仕事をするのですが、僕をほぼ助手席に乗せてくれたYさんには本当に感謝しています。
募集要項の概要欄は「ネタを考えながら、巻き込み確認と伝票の確認をする簡単なお仕事です。」です。
結婚もしました。聞かれたら答えようのスタンスではいたのですが、M-1決勝が決まるまでは全く聞かれませんでした。
M-1アナザーストーリーでは犬の散歩シーンだけが使われてました。何人の人が松井勇太と気付いたのだろう。そもそも松井勇太はM-1に出てないか。ちなみに犬の散歩のシーンはM-1決勝当日の朝ですね。優勝していれば松井勇太と犬の戯れがもっと見れたと思うと、残念です。
そしてオスカープロモーションのバラエティ部解散。この話は多く人が同情してくれるのですが、相方も僕も全くネガティブな思考ではありませんでした。
この時、事務所に所属する事を目的としている芸人と、売れる事を目的としている芸人でリアクションが全く異なっていた事ように僕には見えました。所属事務所に対する不満は前に進む活力にならないんですね。自力を磨くしかないんです。
この頃にはもう、僕も相方もM-1の事しか考えてなかったのでまったく焦りもありませんでした。フリーであろうが肩書きが何であろうがM-1には出れます。
そして元オスカーで現サンミュージックの僕らの師匠、TAIGAさん、そしてカンニング竹山さんの尽力ですぐにサンミュージックに所属出来た事は本当に大きかった。
場数を踏める事も、M-1を目指す同志がいた事も。
あと、サンミュージックには紫が多いですね。ゴー⭐︎ジャスさん、メイプル超合金のなつさん。そして、松陰寺太勇。
相性がいい色です!
ちなみに師匠のTAIGAさんもネタによりますが、紫を着ています。
【予選】
夏にはM-1の予選が始まりました。
1回戦「美容師」
2回戦「お年寄り」
3回戦「お年寄り」
準々決勝「タクシー」
準決勝「タクシー」
決勝「タクシー」
最終決戦「お年寄り」
この打順で戦って来たのですが、当初の想定とは違う形です。
当初の想定では
1〜3回戦までは「美容師」
準々決勝「タクシー」
準決勝「美容師」or「タクシー」or「強い新ネタ」
で行く予定でした。
想定外になった理由は一回戦です。
一回戦の美容師のネタが、M-1公式YouTubeに上がりました。
一回戦に限り、通過した予選上位三組のネタが上げれれたのです。2018年までには無かった事です。
僕らも上げられる前まで知りませんでした。
審査員の方々には関係は無いですが、M-1を観に来るお客さんはお笑い好きです。当然1回
戦の動画を見て2回戦3回戦を観に来るお客さんもいるでしょう。そこでのネタバレはウケ量にも影響します。
ただ、今考えればこれが良かった。
もう一本強いネタがいる!そう思いました。
ここからライブで、怒涛の「お年寄り」ラッシュが始まりました。
この時、僕らのライブをよく見に来てくれてた人は、またお年寄りか、、と思った人も多かったと思います。
「お年寄り」は恐らく夏前には出来ていたのですが、3、4番手のネタでした。
「イタタタ体育大学主席で卒業」
が全国に流れたのもこの経緯を抜きに語れませんね。
「イタタタ体育大学主席で卒業」
は僕が大好きな相方のギャグなんですが、今でも僕しか笑ってないですね。
M-1二回戦の10月後半には、「お年寄り」は戦えるネタになっていました。
そして予選を通してネタ中のミスは二回ほどありました。
一つ目は、二回戦です。
ネタは「お年寄り」だったのですが、
相方が「ウホウホウホー!」と言いながら電車に乗ってくるボケ(ゴリラ)があります。
テンポよくネタは進みます。
いつも通り「プシュー」と扉が開きます。
「良かった席どうぞ」
僕が真摯にセリフを挟みます。ところが相方は何も言いません。
長年の付き合いです。その表情、動き、顔の赤らみ、全てがネタを飛ばしている時の相方です。
恐らくネタを飛ばしている時間は3秒くらいでしたが、僕には20秒くらいに長く感じました。
(ここで飛ばすかよ!?ウホウホウホー!が飛ぶってなんだよ!前世でゴリラに何かされたのかよ!!相方!!!おい!!絶対「次なんだっけ?」だけは言うなよ!!あー!!もう小声で「ゴリラ」って言っちゃうよ?)
このくらいの感情が一瞬にして脳内に飽和していたのを覚えています。
そして相方は舞台の天井を見上げながら不自然にウロウロした直後、
「ウホウホウホー!!」と叫びました。
それはネタを思い出せた喜びの雄叫びでした。
舞台を降りた後相方は、
「危なかった〜」と、一言。
ギリギリセーフだったようです。
二つ目は準々決勝です。
結果的に、準々決勝と準決勝は「タクシー」で戦った訳ですがネタの中身は中盤少し違っていました。
準決勝のネタが決勝で披露したネタほぼ同じです。
決勝では[休憩の事]について僕が熱く喋った後、
「お前はどう思う?」
「うるせーなー。」
「お前よりはうるさい」
という流れでしたが、準々決勝では休憩の事ではなく、
[人は悲しくも自惚れる事]について熱く喋りました。
この時僕は、感情を言葉に出来ず、覚えたセリフを言葉にしていまい、
案の定一つセリフを飛ばししてまい、よく分からない日本語で無理やり喋り抜いた事を記憶しています。
恐らくこんな感じだったと思います。
以下
「人は自惚れる。そうだろ?人は自分は特別な存在だと勘違いしてしまう。◯◯◯←(飛ばす)なんなんだ!おかしいだろ!くっそ!(←この辺から適当)#&@$>3%5○※〒=!!
なあお前はどう思う??」
もうむちゃくちゃでした。
準々決勝で敗退していたら一生後悔していたはずです。
危なかった〜〜。
【準決勝】
出番前「とりあえず準決行けたから決勝行けなくても敗者復活戦でテレビで出ネタは出来る。」
こんな弱気な考えは消し去るつもりでしたが、僕の肌色のネガティブな思考が顔を出し始めてました。
そんな邪念を振り払うかの様に、本番前ファンデーションを塗りすぎてしまい、顔が真っ白になっていた事を覚えています。
他の芸人が笑ってくれたので、面白いならいいやと思い、そのまま真っ白で舞台に上がりました。
あとは泣きすぎたのと、疲労であまり覚えていません。
決勝が決まってからの日々は本当に充実していました。
ライブで会う東京の地下芸人達が祝福とエールを送ってくれました。悔しさもあったはずです。彼らは仲間でもあり、ライバルでもあり、敵でもあります。
ちょっとカッコつけた言い方にはなりますが、「彼らの為にも頑張ろう」と心から思えました。
【決勝】
全てがうまく行きました。
えみくじもネタのチョイスも。
本当の事を言うと、優勝出来なかった悔しやは微塵もありませんでした。やり切りました。
結果として3位。ミルクさん、かまいたちさんの方が圧倒的なパフォーマンスだったのは、生で見ていたからそこ明確に分かりました。
そこから大きく人生は変わりました。
仕事も順調にいただけました。
ただ、アルバイト先の酒屋に正式に辞める報告をしたのは年が明けて一月下旬でした。心のどこかにまたバイトとライブの生活に戻る不安があったのかもしれません。
【コロナ】
世界的なパンデミックと言っていいだろう。
ぺこぱにとっても影響は当然ありました。
順調だった仕事も4月の緊急時代宣言中は家にいる事が多く、仕事があったとしてもラジオやリモートでの出演。ただ、これも悲観的には捉えず、前向きに考えました。
テレビ一年目の1月2月3月のスケジュールは怒涛でした。何の番組の何の打ち合わせして何の収録に挑んでいるの分からない。
そんな時期の急なスケジュールの空白は、砂漠に突如とて現れる水溜りでした。
水を飲みながら、これまでの出演番組を見返して、傾向と対策を練りました。
どんな仕事もそうだけど、経験というのは代用が効かないスキルアップの手段です。
整理しきれない経験を本棚に並べていく時間は僕らにとってはありがたかったですね。
【本題】
M-1グランプリ2020、さてどうする??
そんな自問自答を夏前からずっとしていました。
問は、「今年はどのネタで勝負をするのか?」ではなく、
「出るか出ないか」でした。
毎年4000組以上が出場し10組しか決勝に上がれません。10年間予選で負け続けたが故に、決勝へ上がる事がどれほどの準備と気持ちと実力が必要なのか分かっているつもりです。2020年、そのすべてにおいてぺこぱは満を辞していません。色んな先輩方にも相談に乗ってもらいました。ありがとうございます。
相方は出たいと言っていましたが、僕は「出ない」の答えに合わせて式を立てていました。
理由は沢山あるのですが、簡単に言うと去年のネタを超えられていない事です。
ただその計算式は何度見ても負に落ちません。松井先生から○がもらえていないのです。
式から考え直してみました。
→M-1出る出ない関係なく漫才はやりたい。
→現状、漫才が全く出来ていない
→コロナの影響で地方営業は尽く中止。東京のライブもコロナの影響と、あったとしてもスケジュールが合わず出れていない
→そんなご時世の中、M-1グランプリ2020は開催の方向で動き始める。
→漫才をやれる、作る機会が目の前にある。
→出るか。
長い式ですね。
答えは、漫才ができる機会があるなら出よう。
今、漫才ができる機会はとても貴重だと思いました。
ただ、去年を超えれる結果、ネタが作れる自信は現時点ではありません。準備不足は重々承知していますし、難しい戦いになる事も分かっています。
でも「ぺこぱ、漫才やってますよ〜」は、結果がどうであれ見せれますね。やるからには結果にこだわりたい気持ちもありますが、今回ばかりはその姿勢を自分自身に見せつけたい、と言ったところでしょうか。
現状僕の考えはこんなところです。
2020年M-1グランプリやっと始まりました。
頑張りますよ!!!
あと、空いてるトラックの助手席あったら教えてください!!