2010年に新卒入社してからかれこれ10年と少し勤めてきた某ERPメガベンチャーを今年でついに退職する決意を固めた。

32歳で初めての転職となるが、1人のIT人材としてしっかりと軸足と方向性を固めて次に動きたい。

そのためにこれまでの経験を簡単に振り返りたい。

 

 キャリアの前半4年はQE(Quality Engineer)/QA(Quality Assurance)と呼ばれる内部部門での仕事だった。

STM(スターターミッション)通過後、2年目以降、BCP対応のため、

大阪事業所での勤務となり、ニッセイビル(新大阪)とハービス(西梅田)のオフィスに通った。

最初の配属がこの組織で不満はあったが、新卒の自分が会社に文句を言える実力も信用も何もなかった。

ひたすらに自己成長を求め、優秀と思える複数のSEと共に働く中で、自分がそのチームでどのように貢献できるか模索しながらの日々だった。

そもそも文系学部からIT企業に入った手前、自分のスキルには自信のないところからのスタートだった。

仕事に必要な製品知識をキャッチアップしていきながら、徐々にでも尊敬する先輩の率いる開発チームに貢献できるようになってくるとやりがいも高まっていった。

大阪時代にメインで携わっていた製品領域が「従業員経費精算」というニッチなモジュールの担当だった。

この巡り合わせが、私のキャリア形成上、重要なポイントになることを忘れてはいけない。

 

 キャリアの後半6年は導入コンサルで5年、保守/ビジネスコンサルで2年程、フロントの仕事を担った。

2014年に、本来自分が挑戦したかったコンサルタント職で働くことのできるチームに異動することができ、

そこから導入コンサルタントとして徐々に自分のフィールド/テリトリーを広げながら、プロジェクトを掛け持ちで担当した。
導入コンサル時代は、虎ノ門、アークヒルズ(赤坂)のオフィスに通った。

アプリケーションの導入コンサルとして「従業員経費精算」というモジュールにおいて以下の企業を担当してきた。

書き漏れている会社があるかもしれないが、10社以上のシステム導入に携わってきた。
 
・F河電工
・R電商事
・T田建設
・O田急電鉄
・Pーソル
・T京計器
・Iティーエックス
・B産ロジスティクス
・Iマジカ
・Sカパー
・M菱製紙
 
財務会計や債権債務のプロダクトの導入も何社か携わったが、
自分自身が何者であるかと聞かれれば当時は経費導入の児玉であるという自負があった。
フロントコンサルとは言え、担当したクライアントを必ずシステム稼働させるというプロフェッショナル意識が醸成された。
 

 ちょうどその頃、会社の経営判断でAI型パッケージの新製品開発が発表され、新卒が1年で1000人入社する年度もあった。

会社全体が更ならる発展と挑戦に躍起になっており、私自身も高揚感の中で仕事をしていたが、その一方で組織としての綻びも至るところで散見されていた。

フロントで顧客折衝を行う身としては、中の台所事情などはあまり意識せず、自分のやるべきことに集中していたが、今思えば、新規受注に対して、サービスをデリバリーする開発やコンサルの体制が万全でなかったことは明らかだった。

 
 保守/ビジネスコンサル時代は、JPタワー(名駅)、POLAビル(伏見)ミッドランド(名駅※客先常駐)などに通った。
最後の2年はTOYOTA系列のティアワンに属する某大手自動車部品メーカーの保守を専任で任されることになった。
最大保守料を頂戴している取引先ということで存在感や発言力は大きく、担当としてはメンタルタフネスを求められるクライアントだったが、フロントコンサルとしての自覚は更に高まった。
自分自身、名古屋異動後は、このクライアントが最後のクライアントになるという意識で、苦しい局面においても、日々全力にかつ真摯に対応を重ねていくことでを乗り切ってきた。
また、名古屋事業所のVP(バイスプレジデント)やシニアコンサルの方と共に同じクラインとを担当するなかで、様々な新しい示唆を与えてもらい、それまでの「ただのアプリケーションコンサル」から「IT業界で生きる者」として視点の高さや視野の幅が増したように思う。
 
ということで、
 
ERPベンダーというフィールドの会社の中で、異動を重ねながら貴重な経験を積み重ね続けてこれたことは、「ファーストキャリアとしてこの会社を選んで良かった」ということを証明するに等しい結果であると理解している。
自己成長に集中させてくれた創業経営者には感謝して、この会社を去りたいと思う。