ある知人との会話です。
知人
「ぴ〜ちゃん(髪)染めてないんだね。」
P「染めてるよ」
知人
「染めてないじゃん!!」
P「染めてるよ..ほら見て(根元)」
知人
「だからー染めてないじゃん!」
P「え?染めてるよ。」
知人
「生え際、黒いじゃん。」
P「うん。だから染めてるよ」
知人
「だーかーらーーー!
染めてないじゃん!!」
P「????????」
どこまでも果てしなく
噛み合わない会話をしていたのですけど、
どういうことかというと、
知人は、わたしに
『白髪染めしてないんだね』
と言っていて、
わたしは普通に
『カラーしているよ』と答えていた。
ほら見てよ!
この根元の黒味!!と。
知人は、
わたしの生え際が黒いことを
目ざとく指摘して
初老のくせに
白髪染めしていないとはナニゴトだ!!
と言っていたのでした。
女子ってイチイチそういうとこ
細かく見てんのな!!
いやらしいな!!
と吠えておきましたけども。
息子が小学3学年の課程を
無事修了いたしました。
久しぶりの学校は、
思いの外、
とっても楽しかったそうです。
D「みんなに会えて嬉しかった♡」
そうです。
わたしは、
息子がここまで学校へ通うことになるとは
思っていませんでした。
クラスメイトや先生、
学校環境との相性が
良かったのだと思います。
ありがたいです。
これから
彼の世界はどう展開していくのか、
程よい感じに観察していこうと思います。
そんなフレッシュ感溢れた
活き活きとした息子とは裏腹に、
彼が持ち帰ったプリントをみて
どーーーーーーん!と落ち込む者1名。
4月に入ってから
PTAの正副委員長を決める会があるらしいのです。
立候補がいなかったらくじ引きになるとのこと。
わたしは速攻で
トイレへ駆け込んで
「ヤダヤダヤダやだーーーーーー!!」
と叫びました。(※闇出し)
ワーワー!!暴れました。
個室で。
気のすむまで孤独に暴走したら
落ち着きましたので、
この現象を
がっつり!全肯定!
.....受け入れることができました。
自分の世界でのことなので、
まぁ〜なんていうか、
ハイヤーなんちゃらが
しつらえた現象です。
わたしが許可したことしか
映らないので、
『それが起きた』のならば
わたしが許可したことなのだろう
そう受け入れることができました。
決まったら受け入れよう、と。
(ニュートラル)
わたしは、
とにかく学校へ行きたくないのです。
全力で
学校やだ!....なのです。
土曜日の午前中に学校、とか
激しく拒否反応なのです。
それもこれも全て
自我(エゴ)の反応なので、
自我を温かく見守り、
存分にヤダ!ヤダ!させてやって
登校拒否を認めてやりました。
※闇出しは、
自我(エゴ)の反応を否定せずに
認めてやって
それを解放する行為です。
自我がマイナス反応を起こしているのに、
ネガティブ感情を感じてはいけない、と
大人の対応をして
感情を抑えてしまうというのは、
道を普通に歩いていて
突然後ろから
自転車に追突されたのに、
「大丈夫です」
「なんともありません」
と咄嗟に大人の対応を
とってしまうことと同じです。
まずは、
「痛っ!!」
って反応するのが自然です。
それなのに、
怒ってはいけない
恨んではいけない
これは
わたしの何が悪くて
引き寄せた現実なのだろう。
この状況は何の意味があるのだろう。
自分が創った世界なのだから
わたしが悪いんだ....
逆に感謝しなければ.....
感謝、感謝!!
と似非ポジティブで蓋をして
抑え込んでしまうのです。
まずは、
「痛い!」とそのままを出す。
(※子どもは痛〜い!って素直に泣きますね)
そこから、
「どこ見てるんだ!」
「わたしは悪くない!」
「ふざけるなーー!」
といったマイナス感情を出すことを許して
認めてやって解放させる。
すると、
自我が大人しくなって
次第に落ち着いてきます。
そして、
真我(ハイヤー)の立ち位置を
思い出すのです。
この世界は自分で創った世界だった、と。
わたしは、
ゲームの中のキャラではなかった
と気づく。
▼▼▼
『気づく』とは、
モニターの中で動いている
キャラクター(自我)と
一体化していることに気づき
※本来の自分
プログラマー、プレイヤー意識(真我)
に戻る...というか、
思い出すことです。
あっ!わたしは、
ゲームの中のキャラではなかった!
プレイヤーだったんだった!
ゲームを楽しんでいたんだった、
と気づく。
毎度毎度、
保護者会にも出席しないわたしが
なんども学校へ出向くことになるなんて
相当ウケます。
それどころか、
くじ引きで当たってしまう事態に
なったとしたら....
それはもう完全にネタだな。
自分の世界に
全身脱力してすべて委ねるとします。
今日は以上です。
ありがとうございました。