春休み中のお弁当に
息子大好物の厚焼きたまごを
一度も入れなかったので
普通の日の夕飯に
熱くおねだりされました。
お弁当に入れるわけではないので
贅沢に厚めにカットしたら
5個になったので
息子、母
......と
取り分けました。
息子「ダイヤくん、もっと食べたい♪
ここにもう1個欲しい♪」
そう言って、
己のお皿をトントンしました。
あれ?これまたデジャブかな??
我々親子は、
食べ物の取り合いで
容赦なく争い、
激しくバトった過去があります。
▼▼▼
あの惨劇よ、再びか??
と思いきや.....
わたしは、
息子の言う通りに
自分のお皿からひとつ譲りました。
(食べたい欲求が薄かったのもある)
ですが、一瞬!
モヤっとした感情が現れました。
子に譲らなければいけない観念は、
上記のリブログ記事にもあるように
豪快に宇宙に飛ばしたので
わたしの中には無く、
そこに反応したのではないのだけれど
わたしは、
何かに反応していました。
己の中を掘ってみると、
「人のモノを欲しがってはいけない」
という観念を発見いたしました。
この観念を手放すには、
「人のモノを欲しがってもいい」
という
真逆エネルギーを持ってきます。
この真逆説に
激しく抵抗が出たままなので
なぜ?
人のモノを欲しがってはいけないのか。
もっと奥に掘っていくと、
人のモノを欲しがると
人に嫌われる、
に辿り着きました。
息子が人のモノを欲しがったら
息子がお友達に嫌われてしまう、
という「恐れ」を発見しました。
息子に
「もう1個食べたい」と言われ
モヤっとした原因は、
息子がお友達に嫌われるかもしれない、
という恐れでした。
闇の正体がわかれば、
もう怖くない。
そこから闇出しっていきました。
「人のモノを欲しがる」に
善悪の判断をつけているので
その物差しも外しました。
すると、
人のモノを欲しがってもいいよね。
それのどこがダメなの?
ってなって、
「人のモノを欲しがる」行為を
ニュートラルに捉えられるように
なってきました。
「人のモノを欲しがる」と
「人に嫌われる」を
同時にラベルを貼って、
そこに条件付けをしていたので
「人のモノを欲しがる」と
「人に嫌われる」とを
繋いでいた鎖を
刀でバッサぁ〜〜〜!!と
ぶった切ってやりました。
「人のモノを欲しがる」からとて
「人に嫌われる」とは限らない。
それに息子は、
ただ純粋に
「もう1個食べたい♪」
と言っただけで
母の厚焼きタマゴの様子を
把握していたかわからないんです。
わたしが
こうであるなら、こうなるに違いない
という
決めつけ(観念)を
大層大事に
握りしめていたのでした。
そんなもん!
刀でバッサぁ〜〜!!ですよ。
こうであるなら、こうなるに違いない
とは、
過去と未来を切り離す、
ということです。
過去も未来も
一直線で繋がっていないのに
どうしても
過去→現在→未来、
というひとつなぎで
繋がっていると勘違いしてしまう。
未来は無限∞に在るのに。
こうだから→こうなる、
という決めつけ観念は、
他にもたくさん
この世に溢れかえっていると思います。
- 学校へ行かないと将来大変になる。
- ゲームばかりやると目が悪くなる。
- タバコを吸うと早死にする。
- 歳をとると太りやすくなる。
- 早く寝ないと起きられない。
- 食べないと大きくなれない。
.....などなど
これら全て、
勝手に条件付けされているだけで
双方、決して繋がっていない。
学校へ行かなくても
学校へ行っていた人以上に
幸せに生きている人だっているし、
「タバコとコーラ」とか
「タバコとワインとチョコレート」
が長寿の秘訣
と話す方々がいたり、
歳を重ねても
健康的にスタイルを維持されている方もいる。
つまり、
過去と未来は、繋がっておらず
「今」の在り方で
「未来」は、無限∞に選べる、
ということ。
すべて自分次第で
どうにでもなる。
最終的には
息子が人のモノを欲しがって
お友達に嫌われてもいいよね、
ってなっていました。
それのなにが問題なのだろう、と。
それに息子は、
「人のモノを欲しがった」けれど
「人のモノを奪ったわけではない」
次第に
子どもの人間関係に
首を突っ込んでどうする
ってなって、
人間関係ならわたしよりも
息子の方がプロなのに
ってなりました。
わたしの中に
たくさんの決めつけがあって
それぞれを条件付けという鎖で
繋ぎまくっていたので
これからも何か出てきたら
絡まった鎖をほどいて
イチイチ、バッサぁ〜〜!!って
やろうと思います。
ーーーーー
先日、
イチゴが6個残っていたので、
息子、母
と分けました。
息子は、
母のイチゴの数を知らずに
「もうない?もうちょっと欲しいな。」
と言いました。
わたしはこのとき
なにを血迷ったのか
「わたしはいいけど、
P様は、なんて言うかな。」
と永ちゃんバリの
セリフを吐いていたんです。
「俺はいいけど、
YAZAWAはなんて言うかな」的に。
そしたら息子、
「あ!ぴ〜ちゃん、食べて〜〜♪」
って言ったんですw
おもろ。
やはり、
そこに否定のエネルギーを乗せずに
自分の想いを伝えれば
平和で穏やか空間が広がるのだな、と
思った次第です。
今日は以上です。
ありがとうございました。