近所のショッピングモール的な場所で

息子がガチャガチャを見たいというので

 

わたしは、

向かいのベンチに座り

待ちぼうけしていました。

 

 

大きな木を囲んだ

円形状のベンチなので

人がたくさん座っています。

 

わたしからひとり分離れた場所に

子育て中真っ盛りの

ママ友同士のお2人が

ベビーカーを前に置き座っておりました。

 

 

すると、

 

目の前の広場に

赤ちゃんをエルゴで前抱っこしたママさんが

スマホをいじりながら

自転車に乗って通り過ぎました。

 

 

ママさんA

「え?信じられない!!」

 

ママさんB

「見た?見た?ありえないよね??」

 

ママさんA

「ああいうのほんとムカつく!!」

 

ママさんB

「危ないよね!!」

 

ママさんA

「子どもが可哀想」

 

ママさんB

「ほんとに〜〜」

 

 

 

 

わたしは、このママさんたちとほぼ

同じ立ち位置の目線で

現場を見ていました。

 

 

が!!

 

わたくし、全くの無反応だったんです。

 

 

子育て中真っ盛りのお二人の会話を聞いて

 

おぉ〜〜!!そういう発想もあったのか!!

 

と驚いたくらいなのです。

 

 

なにが言いたいのかというと、

 

 

同じ現場を見ても

湧き上がる感情、事象の捉え方は

人それぞれ、だということ。

 

 

つまり、

赤ちゃんを前抱っこしたママさんが

目の前を通り過ぎた現象は、

 

中立でニュートラル

 

ということです。

 

 

そこに

善悪の判断をしているのは、

 

観測者である

わたしを含むママ友同士のお二人なのです。

 

ママさんたちは、

その映像を見て「悪」と判断したので

 

 

「信じられない」「危ない」「子どもが可哀想」

 

という想念が出ました。

 

 

わたしはというと、

 

そこに善悪の判断が全くなかったので

無反応です。

 

なにも感じていません。

 

 

 

お若いママさん、自転車、

目の前、通り過ぎた......

 

というように

事実をひとつひとつ認識しただけでした。

 

 

 

ママさんたちと同じ現象を見たのに

ココロを痛めることもなく

イライラした感情も出ていません。

 

 

 

 

 

目の前の映像は、

ただただ中立でニュートラルであり、

 

そこに判断を下し感じているのは、

観測者である人間の内側だけなんです。

 

 

 

 

 

もうちょっと違う角度で書いてみます。

 

 

 

 

 

目の前に

梅干しがあると想像してみてください。

 

 

 

 

日本人であるならば、

 

ほとんどの人間が

 

反射的に唾液が出るのではないかと思います。

 

 

 

ですが、

 

梅干しを食べたことのない外国人の方や

 

梅干しに出会う前の日本の子どもは

 

梅干しを見ても

唾液が出ることはありません。

 

 

 

食べたことのある人間だけに

出る反応です。

 

 

この唾液が出る反応が

 

各々の内側に湧き上がる想念(感情)なんです。

 

 

 

梅干しは、中立、ニュートラルです。

梅干しに善悪はなく、

罪もありません。

 

 

梅干しを見て(想像して)

反射的に唾液が出るのは、

 

観測者側の内側の問題です。

 

 

 

 

食べたことがある→唾液が出る

食べたことがない→無反応

 

 

 

梅干しに対して好き嫌いがある場合も

反応が異なります。

 

 

梅干しが嫌いな人間は、

唾液を出しながらも

 

過去のいや〜な思い出を

思い出すかもしれません。

 

甘い♡と思って食べたのに

予想に反して異様に酸っぱかった!!

 

という恐怖体験を思い出し、

その頃の追体験をし

同じように涙を流すかもしれません。

 

 

当人にとっては、

 

梅干し=恐怖、悪

 

でしかありません。

 

 

 

ですが、

 

梅干しに罪はありません。

 

梅干しに善悪はありません。

 

 

梅干しは、

ただただ.....あるがままに梅干しです。

 

 

 

梅干し!このやろーー!!

お前のせいで唾液が出ちゃったじゃないか!!

 

ってイライラ怒る人はいない。(いるかも)

 

 

 

 

 

 

外側は中立、ニュートラル。

感じて判断をしているのは

 

人間の内側だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

次は、

 

目の前に黒板があるとします。

 

 

 

 

ここに、言葉を書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「旦那の浮気」

 

 

 

 

 

 

 

....どうですか?

 

 

 

黒板に書かれた文字を見て

何か感じますか?

 

 

もやッとしたり、不安な気分になったり

 

はたまた、

 

浮気真っ最中の旦那の首を締めたくなったり

うちには全く関係ない、と

感情が揺さぶられなかったり。

 

人それぞれの反応があると思います。

 

 

 

わたしはというと、

旦那自体おりませんから

 

全くの無反応です。

 

「ヘェ〜〜」って感じです。

 

 

 

 

ですがどうでしょう。

 

 

黒板にこれを書かれたとします。

 

 

 

 

 

 

 

「PTA」「保護者会」

 

 

わたしは、この言葉を見て

 

 

 

 

げっ!!......ってなって

 

 

 

ひじょ〜〜〜〜に!!

気分が悪くなりました。

 

ハートがキュッと締め付けられます。

 

嫌なイメージしか湧きません。

 

 

 

 

 

ですが、

黒板に書かれた言葉に罪はなく

 

中立でニュートラルです。

 

 

 

言葉自体に善悪はなく

言葉に罪はありません。

 

 

その言葉に意味づけをし、

反応しているのは、

わたしの内側の問題です。

 

 

 

 

「姑」という言葉に

イライラ嫌悪感を感じる方もいれば

 

「姑」って古い女って書くんだ〜♪

って思う人もいる。

 

 

 

「蛇」に震え上がる人もいれば

愛おしすぎてレインボー放出する人もいる。

 

 

 

すなわち、

なんどもしつこくてごめんなさいですけど

 

 

黒板に書かれた文字は中立!!

 

 

外側の現象は、

中立!ニュートラルなんです!!

 

 

 

我々がみている現実は、

 

自分で写している映像です。

 

夢....幻です。

 

 

 

 

 

「子どもを抱っこしながら

スマホいじって自転車乗るなんて最悪!!」

 

という現象は、

 

ママさん方が映した映像です。

 

 

 

「子育てはしっかりやらねばならない」

「人様から『信じられない!』って咎められないように」

「ダメな母親と思われないように」

「『子どもが可哀想』って言われないように」

 

 

このような思い【闇】を持っているので

そんなことをする人が

わざわざ

目の前に現れてくれました。

 

 

「信じられない!」「子どもが可哀想」って

映像に向かって言っているのは、

 

本当は、自分に言っているんです。

 

 

これらの思いは、

過去に傷ついたココロの【闇】です。

 

ママさんたちのココロの闇に気づかせるために

その映像が映し出されているんです。

 

 

これらを闇出ししてしまえば、

 

「子どもが可哀想」映像を見なくなるし

 

他人の子育てになんとも思わなくなる。

 

 

 

純粋に、

そこに否定の思いが一切なく

 

「スマホやりながらの自転車は危ないですよ〜」

と言えることができるかもしれない。

 

 

 

子育てしていれば、

 

怒り狂う日も多く、

明日こそは.....明日こそは!!

 

怒らないようにしよう

優しくしよう

 

ってなんど決意したことだろう。

 

 

これ断じて!!無理なんです。

 

 

 

梅干しに反応するな!!

 

なんです。

 

 

 

 

頭では、

 

明日こそは、

梅干しを見たって唾液なんて出さないぞ〜!!

って決意するんです。

 

でも翌日に

 

梅干しを見たら

 

条件反射で唾液を垂れ流すんです。

 

 

明日こそは、怒らないようにしよう!!

 

...は、

 

梅干しを見ても唾液を出さないようにしよう

 

と同義だったのです。

 

 

じゃ〜どうすればいいんだよ〜〜〜!!!

 

 

ってなりますけども

 

 

それは、

 

ココロの【梅干し】←(闇)を探すしかないんです。

 

自分が反応してしまう

ココロの闇を探すしかない。

 

それを闇出しして抜き取ってしまえば

反応したくても

 

そこに梅干しがないので

 

 

 

明日こそは怒らないようにしよう!!

どころではなく、

 

怒らないようにしようって

どういう意味だっけ?と

記憶喪失状態になるw(うそ)

 

 

 

目の前の現象は、

中立でニュートラル。

 

そこに判断を下して

反応しているのは、

 

自分の内側です。

 

 

目の前の現象に反応が出たときこそ

 

闇出しのチャンス!!です。

 

 

 

その闇に気づかせるために

 

その闇をココロから出して

宇宙に飛ばすために

 

目の前に現実が現れているということです。

 

 

 

 

 

 

 

前記事に書いたように

聞きたくない話題や

見たくないニュースも同様です。

 

 

 

そこに反応が起きたのなら

闇出しする。

 

 

外側を否定し批判しているのは、

梅干しに文句を言っているようなもの。

 

 

 

 

なんだか、

 

毎度毎度、闇出し!闇出し!って

 

わたくし、必死ですけども

 

なぜなんでしょう。

 

意味がわかりません。

 

息子のせいですw

 

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。