先月末、30日(息子の月誕生日です)
月詣りに出かけてまいりました。
息子が小学校に上がってから
毎月、月詣りに出かけられなくなったので
朝ではなく、
息子が帰宅してから出かけるようにしました。
上の画像は、到着したときのものです。
本殿の上に降り注ぐピンクの雲。
息子
「よく来たね〜って神様が言ってる〜♪」
と参道をスキップしておりました。
ーーーーー
コメントやメッセージで
「闇出しが難しい」というお話を
いただきましたので、
その件について書きます。
わたしたちは、
マイナス感情(エネルギー)を
表に出してはいけない、という価値観を持って
生きてきたので
闇を出す、という行為に慣れていません。
マイナス感情を表に出す人間を
みっともない人間だ、恥ずかしい、
大人気ない、浅ましい、
...などと軽蔑していたかもしれません。
ですが、
生きていれば心地いい感情ばかりでなく
不快な感情も必ずやってきます。
その感情エネルギーは、
どこにもいかないし、
無くなってくれません。
エネルギーは使わないと
なくならないからです。
不快な感情を否定し抵抗し、
見て見ぬ振りをして
それをないものとして
抑え付けてしまった結果、
長年、闇を大量に
闇タンクに溜めてきました。
闇タンクにある闇は
現実を映し出す元になります。
闇タンクに
こんな闇が溜まっていますよ!
とお知らせしてくれる現実を映し出します。
その現実をみて
また闇を延々と補充してゆきます。
望まない現実を
どうにかしようとするのではなく
闇タンクにある闇を表に出して
現実を映し出す元(種)を外してゆこう♪
(※種がなければ花も咲かない)
というのが
闇出しの目的です。
「感情を感じ切る」
とよく聞きますが、
それは、
「エネルギーを使い切る」ということです。
エネルギーを使い切ると
そのエネルギーは消えて無くなります。
闇タンクに闇を溜めません。
「闇出し」とは、
感情を感じ切る、ということなんです。
感じよう、と頑張らなくても
勝手に感じ切ることができます。
闇タンクに溜まっている闇は、
闇出し(感情を感じ切る)した分
どんどんなくなってゆきます。
「闇出しが難しい」
と思うのであれば
まず、
「闇出し難しいーーーー!!」と
「闇出しは難しい」エネルギーを
表に出します。
「闇出しできない!できなーーい!」
って感じるんです。
「闇出しは難しい」という
闇が入っているから
「闇出しは難しい、うまくいかない」
という現実が映し出されます。
ですからまず、
それを出す。(感じる)
「闇出し難しい!」「闇だしむずかしい!」
「なんで?うまくいかないの!」
「自分の感情がわからない!」
「なんで?自分の感情すらわからないのよ!」
「なんで?わたしだけ!」
「なんで?わたしだけこんな思いしなきゃいけないの(泣)」
「一生懸命頑張ってきたのに!」
「うまくいかない!うまくいかない!」
「ひどいひどいひどーーい!!」
「ふざけるな〜〜!!」
「闇出しは難しい」エネルギーを
表に出すことは、
タンクの蓋を開ける行為です。
蓋を開けてしまえば
あとは、中にこびり付いた闇を
出してゆけばいい。
ただ、
長年溜め込んできた闇、
とってもとってもしぶといです。
タンクの中に
何重にも何重にも闇が重ねられています。
闇のミルフィーユといった感じでしょうか。
いや.....
こんなスウィートな可愛らしさなんてありません。
こんな感じに頑丈極まりないです。
どーーーーーん!!
ですが、
出せば出しただけ減っていき楽になります。
確実に。
流れに乗ってしまえば
頑丈な闇もごっそ〜!って取れます。
息子のことについて書いたのですが
今回は、
他の例も書いてみます。
今年の夏、個人面談で
ある保護者からのクレームを耳にしました。
このときのお話です。
▼▼▼
リブログ記事にもあるように
はぁ〜〜??な内容に
わたしは、ご立腹でした。
先生の前では冷静さを装って
必死にカッコつけましたけども
帰宅した途端、
豪快に闇出し作業開始いたしました。
まず、
部屋中ぐるぐるしながら飛ぶ(ジャンプ)。
ちょっと落ち着き、
だらしない格好に着替えてから
ノートを出して
遠慮なしに書きなぐりました。
書きなぐったものを探したのですけど
破いて捨ててしまったようなんです。
ワタクシの派手な暴言集を
お見せすることができなくて
大変残念なのですけど
だいたいこんなフレーズだったと思います。
(やんわりオブラートに包んで書いています。
実際はもっと激しいです。)
「ふざけるな〜〜〜!!!」
「チクってんじゃね〜〜!!」
「上から目線ってなんだよ!」
「はぁ〜〜??はぁ〜〜??」
「面と向かってわたしに言え!」
「おもちゃがなんだ?なんだそれ!」
「キモいキモいキモいキモい!」
「印象ないんだよ!」
「覚えてない!」
「だからシャッター降ろしたんだ!」
「そういう奴が1番!嫌いなんだ!!」
(※ブログに書いてないのですが、
わたしに一度挨拶したのだけど、素っ気なかった
ということまで先生にクレーム入れられた。)
.....などなど。
この作業をやっていると
その現実から次第に離れていっている
感覚があります。
冷静になってくるのです。
現実を映し出しているスクリーンに向かって
怒っていたのが
だんだんと
これは映画(幻)だ、
わたしは、
映画の内容に感情移入しているだけだ、
この映像を映しているのは、わたしだ!
と気づきます。
すると、
相手の保護者のことが見えてきました。
わたしが彼女(ママさん)に
反応してしまったのは
わたしの中にも
彼女のような面があるから反応したのだ、
と気づくのです。
気づきたくなかった.....
クレーム保護者と自分が同じだなんて
受け入れがたい案件でした。
他人に対して感じるネガティブ面は
すべて自分の中に「ある」ということ。
なかなか受け入れがたい案件ですけど、
自分の中に「ある」から
感じることができるのであって
「ない」のならば「ない」
...何も感じない、ということ。
彼女もわたしも同じだ、ということを
苦し紛れにも受け入れてしまったら
それからは一気に
闇タンクの闇が浄化されてゆきました。
それに「気づく」だけで
闇は、その映像を映さなくなります。
「気づいてくれよー!」
と現実として映像を見せなくても
それに気づいてくれれば満足するからです。
(闇エネルギーが)
それと、
見えてきた「観念」を
いくつかバキューン!したと思いますが
(バキューンしてしまったために記憶がない)
観念をひとつひとつ
バキューンっ!するまでもなく、
そこに「ある」のですね。
わたしも持っているのですね。
と認めてしまうだけで
浄化されていきました。
クレーム保護者のことを
わざと考えてみて、
なんとも思わないレベルまで
感情を感じ切りました。
(闇出し)
なんとも思わない、なにも感じない
というのが
わたしのゴールです。
(クレーム保護者の闇は出し切った)
ーーー
先日、
ハロウィーンの日に
息子とスーパーに買い物に行ったんです。
買い物を終えて、
息子とスーパーを出ようとしたら
自動ドアの前に
挙動不審っぽい女の人がいました。
わたし達の通り道を塞いでしまった!
と思ったのか
「すいません!」とペコリされて
顔を上げた途端、
息子に気づいたのか
「やぁ〜!」と片手を上げて中に入っていかれました。
息子
「今の、●くんのお母さんだよ。」
P「え?」
そうです。あの保護者さんだったのです。
わたしにとっては
初めてのようなものでしたけど
街でばったりお会いしても
わたしは、きっとわかりません。
その保護者からわたしへの接触は、
皆無だと思われます。
自動ドアの前の様子から
それは明らかでした。
結果、わたしの世界から
いなくなりました。
己の現実は
すべて自分で創っている
ということを心底受け入れてしまったら
もう誰にも傷つけられない、
ということになります。
自分を傷つけるのは自分だけ
ということになります。
これこそが
無敵なのではないかと思いました。
今日は以上です。
ありがとうございました。