前回、

息子の荷物の多さに

イライラしたお話を書きました。

 

 

今日はこちらの続きを書きます。

▼▼▼

 

イライラする目の前の現実は、

 

わたしの心が映し出した映像である、

 

....と思い出し

 

直ちに己の心の闇(イライラ)を成仏させ

映し出す映像(現実)を

チェンジしようと思いました。

 

 

 

息子が語っていたように

 

現実は、

心が映し出した世界なので

 

心の中身(周波数)を変えれば

映し出した映像..現実も変わる、

ということです。

 

 

息子の荷物が多いせいで

わたしがイライラしたのではなく、

 

わたしの心に「イライラ」のエネルギーがあって

その「イライラ」をカシャ!と

心のプロジェクターにセットしたから

 

イライラした映像....現実が

スクリーンに映し出されたのです。

 

 

わたしの「イライラ」と息子の荷物の量は

一切関係ないんです。

外側は関係ない。現実関係ないんです。

 

 

わたしの心に

「イライラ」が入っていただけのことなんです。

 

ならば、

その「イライラ」エネルギーを手放そう。

 

 

息子から

自分のモノなのだから自分の自由にする

と宣言された瞬間、

 

速攻!洗面所に篭りました。

 

闇出し作業開始です。

 

 

 

 

わたしがまずしたことは、

 

「イライラ」した感情が

湧き出てしまっているのだから

 

その「イライラ」を抑えこまずに

エネルギーをオモテに出しました。

 

思いっきり!!

ノートにぶつけたんです。(闇を出す)

 

ふざけるなーー!!

手ぶらで遊べーー!

ダサい!ダサい!ダサい!ダサーーーーい!!

かっこ悪い!

荷物多いと走れないじゃないか!

男のくせに荷物多いのダサい!かっこ悪い!

かばんパンパン嫌だ!鬱陶しい!

 

....などなど。(もっと多いです)

 

 

 

実際のノートを見返して書いてみましたけども

感情が激しすぎて

殴り書きにもほどがあって、

よく読み取れませんでした。

 

 

感情が湧いた、ということは

そこには必ず!

わたしが勝手に信じ込んだ

「観念」の存在があります。

 

 

 

なにかあった時に

身軽に身動きできる状態であってほしい。

 

「荷物が多いと身動きできない」

という観念

 

ひとりで遊びに出かける息子に対して

不安と心配、恐怖をいっぱい抱えていました。

 

 

「大荷物よりも身軽な方が

無事に帰ってくる確率が高い」という

 

母親本能が働いた結果の

不安心配恐怖が素の「イライラ」でした。

 

 

 

 

それに、

わたしには、

 

「荷物が多い男はダサい、かっこ悪い」

という観念もありました。

 

「男は手ぶらが善い」といった

善悪の観念、決めつけです。

 

 

いつの時代だよ!サムライか!

....なんですよ。

 

 

それに息子は、

「男」ではなく「男児」なんですよね。

 

 

 

 

ノートに闇出し作業していると

心にある闇タンクがスッキリしてきて

エネルギーが軽くなり

隙間ができてくるので

 

何をどうすればよいのかが

見えてきます。

余裕が生まれます。

 

これが所謂、

波動が上がった瞬間....みたいです。

 

 

そして、

 

これらの観念を手放せばいいのだな、

周波数を変えればいいのだな、

と冷静に気づくので

豪快に手放しにかかります。

 

 

 

すると、

 

不安心配恐怖が素の「イライラ」は、

心のプロジェクターから外れます。

 

つまり、

目の前の現実が変わります。

 

プロジェクターにセットするものをチェンジすれば

当然、映像(現実)も変わる。

 

 

観念の手放し方は、

色々な方法があると思います。

相性もあるかと思います。

 

 

 

 

今、信じ込んでいること(観念)と

全く真逆なことを信じれば

 

プラスマイナスゼロで

その観念は消滅するといわれています。

 

 

 

例えば、

 

「死は悪い」と信じ込んでいるヒトが

「死は善い」と信じる。

 

すると、

「死は善いも悪いもない」

という観念に書き換えられます。

 

 

ですが長年

信じ込んできたモノと

真逆のモノを信じるのは

とっても勇気がいることです。

 

天動説から地動説みたいに

天地がひっくり返る衝撃といいますか

 

ある程度のショック症状を引き起こす

可能性もあります。

(※このショック症状が実は素晴らしい)

 

 

 

わたしの場合、

 

この真逆論も取り入れながら

頭の中で

射的みたいなものをイメージしています。

 

ひとつひとつの観念を的にして

それめがけて

バキューン!バキューン!やるんです。

 

 

 

的のカタチは、それぞれで

 

ガッチガチの鉄の塊だったり

モヤモヤした闇だったり

トゲトゲしたモノだったりです。

 

 

 

「荷物が多いと無事に帰ってこないかもしれない」

と思ってますね?

 

はい!それもういらない。

バッキューーン!

 

 

これ、

このままそう思い込んでいると

 

わたしの世界は、

その思い込み通りになってしまうので

この無駄な思い込みは、

バキューン!します。

 

 

「荷物が多いと走れない」

そう信じ込んでいますね?

 

はい!バッキューーン!さようなら〜♪

 

 

バッキューーン!された闇は

なぜかキラキラになったり

レインボーになったりしています。

 

 

 

こんな感じやら.....

 

 

 

 

こんな感じやら....

 

 

闇がレインボーやキラキラに

変換されたイメージを見ます。

 

 

 

 

息子は闇を飛ばすとき、

 

息をフーーッ!とかけて飛ばす

と言っていたので

 

それをイメージすることもあります。

 

 

空砲を飛ばしてみたり、

吹き矢みたいに思いっきし

ふーーーーっ!て息を限界まで吐ききって

飛ばしてみたり。

 

 

あと、わたしがよくやるのは

 

イルカさんの背中に

闇を乗せてもらって

海の彼方まで持って行ってもらい

海に溶かしてもらったりもします。

 

そのほかにも色々ありますけども

今回はここまで。

 

 

そんな感じで

イマジネーションフル活用して

 

「それはわたしのモノではない。」

「もうわたしには必要ない。」

 

と手放してゆきます。

断捨離並みに。

 

 

 

 

しばらくやり続けていると

 

 

息子にべっとり纏わりついていた

 

わたしのカラダが

息子から離れていく感覚がありました。

 

 

 

どうやら、

わたしは息子にべっとりと纏わりつき

息子を護っている風を装って

息子をガチガチの鎧で縛り

コントロールしていました。

 

 

完全に息子から

離れた感覚を味わったわたしは、

 

すっかりご機嫌さんを取り戻していました。

 

 

スッキリ闇出ししたので

息子の荷物のことなんて

心底どうでもよくなっていました。

 

これなんです!

わたしが目指しているのは。

 

 

 

他人がどうであれ、

現実がどうであれ、

 

「どうでもいい」(投げやりの意ではない)

「全く気にならない」の境地。

 

何も感じない不感症を

目指しているのではなく

 

他人や周り関係なく

己の責任で全ての映像を映し、

感情を感じている

....という境地です。

 

 

闇出しって最高です。

 

 

 

息子は、

出した闇はすべて

レインボーが包んでくれるから大丈夫♪

と言っているので

 

安心して豪快にやっています。

 

ノートに殴り書きしたり

的を爆破したり。

 

 

だから、

爆破した後のイメージが

 

キラキラやレインボーなのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌週の週末、

 

息子はまたお友達と遊びに出かけました。

 

 

もうリュックのファスナーが

イーーッ!ってなっているとかいないとか

 

全く興味がなくなっていたので

気がつかなかったのですけど

 

息子の荷物、

明らかに少なくなっていたんです。

 

 

マニアにしかわからない

マイナーチェンジではなく

 

完全にフルモデルチェンジしとったんです!!

 

 

P「ど、ど、どしたの?

荷物すごく少ないけど?」

 

 

息子

「そう?今日はこれで遊びたかったから♪」

 

いつもより半分以上も少なくなっていたんです。

 

 

 

わたしの心レンズ、プロジェクターに

セットしたものが変わったので

 

目の前の映像が変わりました。

 

ただそれだけのことなのでしょう。

 

 

 

目の前の映像が望まない現実だった場合、

 

己の心には

それ相当のフィルムがセットされています。

 

映像に向かって

「気に入らない!」「変われ!」

「なんだバカヤロー!」

 

とごねても映像(現実)は変わらない。

 

心の中のフィルムを外しすしかないんです。

 

 

 

 

 

「世界は自分で創る」とは、

 

望まない世界をも全て自分で創っている

ということです。

 

その視点に立つことが

すべての第一歩になるのではないかと思います。

 

 

ですが、

今の時点で

 

「望まない世界を自分で創っているだと?」

「こんな悲惨な出来事を

まさか自分自身で創っているだと?

ふざけるなーー!!」

 

となった場合、

 

「今」それを受け入れることはありません。

 

むしろ受け入れてはなりません。

 

 

 

全部、

世間や誰かのせいにするのです。

 

なぜなら、

これも立派な闇出し作業になるからです。

 

 

 

思いっきし!!!

 

「自分は悪くない!」

「全部お前らが悪いんだ!」

「ふざけるな!」

「わたしの人生どうしてくれるんだ!」

「親が悪いからこうなったんだ!」

「社会がこうだからいけないんだ!」

 

と豪快に大胆に理不尽に闇出しするのです。

 

 

その先には必ず

光が見えてきます。

 

 

 

無理しない。

 

焦らない。

 

ゆっくり....ゆっくり.....

 

 

ーーーー

 

心の中にある「闇タンク」

ここになるべく闇を溜めないように

したいものです。

 

それは、

やってきた感情を絶対に抑えこまないこと。

 

 

自分さえ我慢すれば丸くおさまるから我慢、とか

怒りが湧いているのに

嫌われたくないから笑う、とか

 

やらない。

 

 

やってもいいんですけど、

家に帰ってから必ず、自分のために

闇出しをする。これ鉄則です。

 

「あの時無理して笑ったけど

ふざけるなーー!バカヤロー!

●ねーーーー!!」とかです。

 

闇タンクの闇は

その都度出していかないと

ダークな映像を見せつけられるからです。

 

 

意図していないのに

勝手にプロジェクターに

フィルムをセットされて

望まない映像を映し出してしまうからです。

 

だから、

闇は出す!出す!

闇タンク(心)から闇を出す!

 

 

 

 

 

大荷物に関しての闇出しをした後、

息子がこんなことを言ったんです。

 

 

息子

「ぴ〜ちゃん闇いっぱい(外に)出したでしょ?

(自分に)闇飛んでこなくて嬉しい〜♪」

 

 

外出するたびに荷物のことで

わたしから闇を飛ばされていたから

それがすべて解消されたので

嬉しいと言っていました。

 

 

 

 

息子

「闇は絶対!カラダに置きっ放しにしないんだよ。

出してあげなきゃいけないよ。

闇は出したらキラキラになるよ。本当だよ。」

 

 

 

今日は以上です。

 

 

ありがとうございました。