こんにちは~北海道雨ですね(T_T)

最近、改めて考えさせられることがありました。

いろんな人と「不妊」について話すことはありますが
どうしても
「この人に不妊を理解をしてもらいたい!」ということが、
今まで、あまり無かったと気づきました。
というか、避けていたのだと思います。

「不妊をもっと当たり前のこととして、知ってもらいたい」と
言いながらも、どこかで当事者でなければ
「きっとわからない」という思いがありました。
でも、それは伝えることをはじめから諦めていることですよね。


先日、当事者ではないけれど、不妊に関心がある方に
「不妊であることを周囲に言いづらいのは何故?」
と聞かれました。


まだ多くの人は、子どもは出来て当然という考えを持ち、
自分自身もそう思って育ってきた中で、
「できない自分は普通じゃない」「私がダメなんだ」という思いを抱いたり

本来はプライベートであることを、
第三者の力を借りなければいけないことから
自分でコントロール出来ない羞恥心や怒りや悲しみを覚えたり

毎月毎月生理がくるという、短いサイクルで「失敗」や「失望」を感じ
それがどんどん積み重なっていく負の感覚。
そして流産や死産を経験した悲しみは・・・


「そう簡単に人に話せることではない。
ましてや、誰にでも話せることじゃない、当然じゃないか」

と思っていましたし、そのような説明をしました。


「不妊じゃない人に話しづらいのはわかります。
当事者同士の方が分かり合える、というのもわかります。
じゃあ、どうして不妊専門クリニックは
不妊の方がほとんどだとわかっているのに
誰とも会話もせずに、待合室でみんな同じ方向を見て黙って
待っているというお話をよく耳にするのですか?



・・・・どうしてでしょうか?


誰かと話したい!と思うことも多いのに
そこにいるのは不妊治療に来ている人なのに
声を掛け合ったりすることは・・・・そう頻繁ではない。

この問いかけに、その人も私自身も納得できる言葉を
その場では見つけられませんでした。


どうしてか?

私なりの答えは
当事者同士であれば、だれでもいい
というのは違うかなぁと思うのです。

例えば、SNSやグルっぽ、オフ会、交流会など
ある程度、そこに参加しているという枠があることは
安心感にもつながります。

自分にとって、大きな出来事であればあるほど
「だれでもいい」とは思えません。
ましてや弱いところを出すというのは、簡単なことではありません。
ある程度、信頼を持てる場所だったり人だったり、つながりだったり
そういうところで、やっと自分の話ができる

のではないでしょうか。

そして今気づきましたが・・・
どんな悩みであれそれは同じ・・・ですよね?きっと



不妊当事者でない人に
私は不妊の「何を」「どこまで」
分かって貰えたらと思っているのだろうか?
そんな問いかけを、今更ながら自分にしてみました。

もっと具体的に整理していかなければなりませんね。