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人は人が死んでからしか後悔しない生き物だと思う。

死にたいくらいの問題を抱えていて、誰に相談しても、他人事と捉えられてしまう。少しでも早くこの問題から抜け出したいのに自分一人じゃなにもできないのがほとんど。

社会の中でもこのことは説明できる。
仕事や学校での悩み。いじめで死にたいくらい悩んでいるのに、加害者は何も変わらず普通に生活していて、学校はいじめを認めない。
結局いじめられた子が死んでしまうと、ごめんなさいと泣きつく学校と加害者。なんで死んでからじゃないと後悔しないの?

仕事でパワハラ。耐えても変わらない現状。嫌で仕方ない仕事。この現状から抜け出すために仕事を辞める選択をすると、職場や周りの人間からは、「コイツは甘い。情けない。根性がない」と馬鹿にされる。耐えて働くのが社会人だ。そうやって世間はいう。たしかに自分が仕事できなくて、失敗して怒られるのが嫌だからやめるは自分が悪いと思うが、頑張りたいのに頑張ることのできない環境が悪いのだとしたらやめる選択しかない。こんな狭っ苦しい社会なんか嫌だよね。

で、結局耐えられずに死んでしまうと、周りの人は、「もっと話を聞いてあげればよかった」「もっと少しの変化に気づいてあげればよかった」って後悔する。

だからなんで、死んでからじゃないと後悔しないの?


たしかに難しい問題だとは思うけど、環境や社会はそう簡単に変えられないけど、周りの人はもっともっとやってあげられることがあるんじゃないかなって思う。


今回私が死にたいくらいの問題を抱えた時にこういう状況に気づいた。私はもっと好きな人、大切な人の悩みを本気で聞いてあげたいと思った。意外と相談に乗ってあげるとお互いに共通するような悩みが出てきたりしてすごく心強くなったりする。



逃げ出すことも悪いことじゃないよね。

悩むってことはきっとすでに何かに耐えてるってことだよね。

今回身をもって体感して、もっと人を大切にしようと思いました。

そして、私の抱える問題も早く解決するといいな。


それにしても、死んでからじゃないと後悔しない人間や、こんな窮屈な社会どうにかできないかな。どうにかしたいな。

生きるべき人が生きられないとか、人が手を差し伸べれば解決する問題を解決できないままにするのはなんか勿体無いな。


もっともっと自由に、生きられるような
Jpopの歌詞みたいな人生がみんな送れるようにならないのかな。