坂井君 作成の 内業工場 鳥観図

 

 

対峙する 造船 不況   主として マーケット価格 の 低下への対応

 

造船工事 全体に コスト低下 圧力 は 大きくなり 改変が 求められた

 

 

アングル 場 (ば) 改変

 

 

船 は 主として 板と骨 で 構造強度を 保つ

 

このうち  は 大 中 小 の ものがあり 大組立 中組立 小組立 と

 

分かれるように 組立にも 順番がある

 

 

この 工程に 各種 骨を 正確な精度と 欠品なく揃えて 納入する加工が

 

アングル場の工事

 

 

ここでは 作業効率が 安全 環境(照明 換気 足元不安定 定盤 治工具 )

 

面で 良くない 一角が アングル場 と呼ばれる 平型鋼加工工場 について

 

 

 

図のごとく 平鋼(Flat Bar フラットバー)  型鋼(Angle アングル 

 

等辺 不等辺) 特に造船で 多く使われていたのは 強度性能の高い 不等辺

 

 

今でも 200 の 90 の 9 の 14  といえば  大体 どの部分に使用するか

 

頭に浮かぶ   多く使用される  インバートアングル  と 呼称

 

 

 

 

これらの インバートは  日本で開発  新日鉄 だった  引き抜き型開発

 

我々の時代は 400 だったが 今は 500 が 最大   断面係数確保

 

 

造船屋 と 製鉄屋 は 近隣に 支店があり そこの 担当者と 常時連携

 

BUILT  UP  LONGI (ロンジ)用に  組立 アングルを 作るとすれば

切断 溶接 歪取など 大きく コストアップする

 

大型船の 縦骨には 深さ1m 級の 大型骨で  組立ロンジ が使われる

 

これを 安価に 製鉄所で 引き抜けるようになればと 多くの 造船屋は 夢想

 

 

この インバート の 開発が 造船競争力を大きく 助けたことは 

余り語られない   今は 普遍普及

 

 

この インバート ウエブ と フランジの 板厚差 数ミリ アールで 連続

 

この 突合せ溶接用の  ガス切断 開先加工は 職人差など 難しく

 

現場溶接から 精度向上の  要請は 大きい    今も 続いているはず

 

 

取付面 取り合い構造で 背マーキン  腹マーキン と 並べ方 マーキン 切断

も異なり 生産設計 設計なども 巻き込んで 統一化の 努力傾注

 

自動化 機械化を メーカーを巻き込んで 各種検討したが ものにならず

切断方法の 標準化 均一化に 取り組んだ

 

 坂井君は この 工事に 精通 していた

 

私から この 平型鋼工場 の 運搬の 合理化 は  彼に 話した

 

 

 

 石井工場長は 日立造船の 取締役に就任され 造船のおかれている状況は 誰よりも 熟知   暇あれば しょっちゅう M工場に来られ

「小生」 を 「呼べ」 と言われ このアングル場 での 苦闘に 理解があった

 

 

運搬の 合理化

 

この工場の クレーンは  揚程が低く  古く   故障も多く

 

運転手が 乗る方式 だった    クレーン 細部も 勉強した

 

多能化を うたい 運転手も 時間があれば 下に降りて 作業するよう

 

命じるが なかなか うまくゆかない

 

 

石井工場長に 運転手付きの 古いクレーン は 廃棄し  新型の リモート

 

操作の ホイストクレーンに 改変したい と 稟議書を 上げ 裁可を受けた 

 

 

そうして 総台数は 忘れたが ほとんどの 古いクレーンを 福山の

 

日本ホイスト製の 小型 リモコン式の ものに改変した これも 2億1千万円

 

 

福山 赤坂 の 日本ホイスト の 技術陣とは なんども 打ち合わせた

 

立派な 付加価値 創造事業に 理解ある 日本人 だと 思った

 

同社は 今も 隆盛が 続いている

 

 

石井 工場長は プラズマと合わせて 4億強の 設備投資を 裁可くださった

 

 

クレーン 運搬の職場は 抵抗があったが なくし 各 職場に 組み入れた

 

いまでも あれでよかったかと 噴門するが  現場の 責任は 知る人のみが

 

知ると 貫く 姿勢 は この 内業の 合理化の中で 培われたと思っている

 

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走る  

 

小さな 家を買い   古い ホンダ カブ で   早く出勤

 

私は 元気だと  走った   因南 一周 8km 45分 で 帰宅後 休みに

走った

 

工場の 職場対抗 駅伝大会

職制の長は アンカー 2-300m   これに 我慢ならずグランド で 

3000m トライアル  10分58秒と 11分を 切った   生涯自己最高

若い者と 競争し 2区を 勝ち取り

写真 前列 右端 スタート 中本君(運搬)が  2位もつれ で来た のには

足が 空転した

 

 

 

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自宅で シュラスコ     コンロ 串など持ち帰った

 

せっかく ブラジル で 学んだ  シュラスコ  折々 喜んでもらった

今でも これを 好む 孫が来ると 楽しんでいる  SAUDADE

 

 川渕 ファミリーと

 

中川さん

  買った家の 前が 中川さん宅 だった

 

中川 忍さん は 新栄産業という 日立造船の 新造船の 居住区 木艤装

を 施工する 会社の 社長

 

 

隣組となり 必然と シュラスコ  

自宅に 呼ばれて 一杯 と

家族ぐるみの 付き合いになった

 

 

しょっちゅう 言われていた フレーズ 「 木 (ki 気)を 使う 商売」

 

 

心に残る 島育ちの 造船屋 だった

 

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2024.05.22     pedra-oishi