本日は幼稚園の保護者会。
個を重んじるざっくばらんな幼稚園なので、
保護者会も割とざっくばらん。
日頃の子どもとの関わりについてとか。
しかしね、
教員になった9年前からずっと、
下手するとそのずっと前から
頭の中は
「人間の幸せについて」
「教育について」
「育児について」
でいつもいっぱいの私。
そればかり考えていたので、
最近の一コマについて語る、
ってのが逆に難しかった。笑
んでとりあえず話したものの、
帰る最中も
帰ってからも
ずうぅーーーっと
今日話したことを反芻しまくっていた。
・子どもにされてイヤなこと
・そのときの対処法
・子どもがいきたくないと言ったときは
・習いごとをやめるかどうか
話したいことはある。
山ほどある。
しかし言葉としてまとまっていなくて。
まとめる作業をしていた。
私が大事にしたいのは
「楽しさ」
子どもは快か不快か、
が基本的な基準になっていて、
それに対して素直に反応する。
理由はハッキリ言えないことはあるけど
反応自体は素直だ。
それで私は、
親子で意見が食い違うとき、
または子の中で折り合いがついていないとき、
なるべく「快」の状態になれるような
折衷案を見つけることに気を配っている。
うちの子は私の説明とか提案とか
素直にきいてくれるので
あまり揉めたりごねたりしない。
もちろん性格もあるだろうけど…
もしかしたら?
「私はあなたを快に導くつもりだよ」
という私の想いが、
信頼関係につながっているのかな?と。
「この人は不快な提案ばかりしてくるなぁ」
という人の話はききたくないものね。
しかし
私は子を(子に限らず)幸せにしたいが、
私が幸せにしてあげるのではない。
自分で自分を幸せにできるように
なってほしい。
どうしたら自分も周りも「快」であれるか。
「快」が好きな子どもなのだから。
子ども同士の関わりでも、
勝手にそのようになっていく。
私はそれに伴走しつつ
たまに手伝ったり提案したり
したいだけなのだ。
ついでに、
親子とはいえ人対人である以上は、
大人自身の「快」もきちんと感じて
お互いのwin-winラインを見つけたい。
我慢は不満のもと。
そのとき、
「損したくないなぁ」
「世間的に認められたい」
「ねば、すべき」
といった大人特有の観念は、
判断を鈍らせる。
こういったものは後天的に身につくもので
小さな人の世界にはない観念だから、
こういった基準ではwin-winの折衷案が見つけにくくなる。
損得や外的な基準ではなく、
「くもりなき私」
は、どうしたいと思ってるの?
どうしてそう思うの?
突き詰めると、育児の悩みはふわっと消える。
ザックリとではなく、
一つ一つ噛み砕いて、
「これについての心のベクトルは?」
と細かく確認してみると、
手助けすべきポイントも明確になったりする。