んにちは、







今回はイスラーム教を
創設したムハンマドの死後の
アラビア半島の話を
したいと思います!






あなたがこの記事を読めば

イスラム教の成立とその後の
アラビア半島のせかいについて
理解することができ、


テストの点数を友達より
飛躍的にアップする事が出来て、


受験の時に後悔せずに
勉強できることができます、



逆にこの記事を読まなかったら


イスラム教成立について
まったく理解出来ず、



テストの点数も乾いた笑いが
出るほどにしか取ることができず、



受験の時に後悔しか
残らなくなります、






↑コルドバのモスク
   (別名メスキータ)







メッカ征服からわずか二年後
ムハンマドは死去し
後継者という意味のカリフ
ムハンマドの養父である
アブーバクルを選出しました








アラブ人はカリフの指導の元
大規模な征服活動(ジハード)を開始し
東方のササン朝を滅ぼし
西方ではシリアを642年に
ニハーヴァントの戦いで破り
エジプトビザンツ帝国から奪いました、







アブーバクルからアリーまでの
4代のカリフを正統カリフ
と言います






この4人のカリフは
アブーバクル(ムハンマドの養父)
ウマル(娘がムハンマドの妻)
ウスマーン(ムハンマドの娘と結婚)
アリー(ムハンマドの娘と結婚)







4代カリフのアリーが暗殺されると
彼と敵対していた
シリア総督のムアーウィヤ
661年にダマスクスに
ウマイヤ朝を開きました、







そしてこの頃
スンナ派シーア派という派閥が
うまれました、







スンナ派…9割を占める多数派
シーア派…アリーの子孫だけ共同体を
                  指導できると主張(過激)







余談になりますが
現在存在している
ISILイスラム国はシーア派が
半分以上を占めています、







ウマイヤ朝
東方、西方を征服し
イベリア半島では西コード王国を
滅ぼし、フランク王国に侵攻したが
トゥールポワティエ間の戦いに敗れ
退きました、







トゥールポワティエ間の戦い(732年)
7日間わたりフランク王国の
カロリング家の宮宰
カール=マルテルと戦い
見事に撃退されました、








この戦いはヨーロッパの
フランク王国とイスラーム教
のどちらかの視点から
テストに出ることが多いので
どちらが勝ったかをきちんと
理解することが大事です!






勝者は
フランク王国でした








イスラーム側はそれ以上の侵攻を
できなくなりました、










ちなみにイベリア半島は
現在スペインとポルトガルが
存在している地域で
イベリコ豚が有名です、








このように広大な土地を持つ
イスラーム世界では
征服した土地の人々に
地租(ハラージュ)
人頭税(ジズヤ)を課しました、








またアラブ人は
非アラブ人でイスラーム教に
新たに改宗した人々を
マワーリーと呼び、








非アラブ人でイスラーム教に
改宗すらしなかった
ユダヤ教、キリスト教の人々を
ジンミー(ズィンミー)と呼びました、








その後ウマイヤ朝
750年に滅ぼされ
アッバース朝が誕生しました








アッバース朝第2代カリフの
マンスールはイラク平原の中心に
円形の首都バグダード
造営しました







アッバース朝の時代には
アラブ人の他にもイラン人なども
政府の要職につくことが
可能になりました、







こうしてアラブ人が持っていた
特権はしだいに失われ、
アラブ人以外でもイスラーム教徒なら
人頭税は課せられず
アラブ人でも征服地に土地を持つ場合は
地租が課せられました、








民族による差別は撤廃され
カリフの政治は
イスラーム法(シャリーア)に基づいて
実施されるようになりました、







このためアッバース朝は
イスラーム帝国と呼ばれます、







ちなみに
ウマイヤ朝まではアラブ人が
中心でしたので
アラブ帝国と呼ばれます、






今回はここまでで!




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