ペコ二号のブログ
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納棺師が映画になるなんて

観て来ました「おくりびと」。


納棺師でも何でも、誇りをもって仕事するって、かっこいいな。

最初は反対していた奥さんも旦那の仕事ぶりを見るうちに、「ああこの人はしっかり誇りをもって納棺師をやっているんだ」とわかり尊敬し始める。


そもそも、もっくんの手さばきは本当にプロで、拍手したくなるほど。

もっくんは器用なんだねぇ。


そして広末との夫婦役もとてもお似合いで意外だったし

脇を固めるキャストも演技うまいし安定感たっぷり。


ところどころコミカルな笑いがあって、でも涙流す場面もたくさんあって、ストーリーがわかりやすくて、とても真っ直ぐに心の中に入ってきた映画でした。


生きていればいつかは死ぬのだから、誇りをもって納棺する納棺師に綺麗に美しく最後の儀式を取り仕切ってもらい、しっかり見送られたいって思うかもしれないな~。


まだ自分の死について考えたことないけど、いつか死ぬなら旦那よりは先に死にたい。

旦那に看取られたい。そのほうが幸せ感じられる。それは自分勝手なのかなぁー。ずるいのかなぁー。


けど、どう見ても私のほうが長生きしそうかな(笑)

キミ、パラパラ踊れる?

「キミ、パラパラは踊れる?」


今から9年前、“会社の面接”で訊かれた言葉。


えええーっなんでこんなこと訊くの???




場所が六本木だから、遊ぶ子かどうか訊いてるのか?

いやいや、仕事内容がコンベンションの企画・運営だから
ミーハーな子を希望してるのか??

いやいやいや、踊れるかどうかは別として、
突飛な質問にどういう対応をするか試されている??

もしここで「踊れます」と言ったら、
「じゃあ踊ってみて」なんてことになるんだろーか???

などなど一瞬にして頭を巡り考えた。





そして、「そおですねぇ~あせあせ パラパラ、がどういう踊りかは知っていますが踊れるかどうかはー・・・ていうか踊れません・・・」と正直に答えたのだった。



そんな質問をした上司が昨日で退職した。




面接でヘンな質問をした上司だったが、アイデアマンでその頭の中はおかしなビックリアイディアでいっぱいだった。

時に面白く、その面白さもフツーでは考えられない辛らつな言葉の裏側にブラックユーモアが隠れていた。笑っちゃいけないけど笑っちゃう、そんなギリギリのきつい冗談を言うのが好きなオヤジだった。豪勢な食事とお酒を気前よくおごってくれた。入社1年目で海外出張に行かせてもらえたのも当時は異例のことだったらしい。


ところがその反面、私にはとても怖い存在となった。

「キミを採用したのは期待はずれだった」
「キミはいてもいなくてもどーでもいい存在」

などと言われ、繰り返されたパワハラ。


「キミが火曜日に履いてたスカートに汚れが付いてた」
と金曜日に言われたり。

「キミはどうせろくでもない男としか付き合ってない」
「キミはどうしよーもない。女友達見れば大体わかる」
「キミのお尻の形はでろんとしててイマイチ」


全く、なんて失礼極まりないんでしょう(笑)
本当に挙げたらきりがない。



海外出張では
「おい!何でそんなとこにカバン持ってつったってんだ!!」

・・・そりゃ、カバンくらい持つでしょう・・・だってホテルのロビーにカバンだけ置きっぱなしではいけないし。しかも海外の犯罪率は日本の何倍だと思ってんですか?!


「いかにも仕事してるフリみたいにみえる書類ファイルを持つのをやめろ」

・・・そりゃ書類くらい持つでしょー。
全スケジュールが書かれた書類を持たずに仕事はできない。


「スケジュールは全て頭の中に入れろ!そんな書類は持ち歩くなみっともない!かっこわるい!」

・・・いやいや、アンタはいいですよ。けどあたしら下っ端は細かいことまで確認しなきゃなんないんですよ。



それでも5年半、その上司の下で働き続け、時にはケンカし、時には泣いて、それでも怒鳴られ、100万倍言い返され、我慢して・・そんな毎日を繰り返した挙句、精神的におかしくなってしまった私は、部署異動を希望して彼の元から離れていった。彼は私の異動が私の希望だったことを今でも知らない。


本当にいろいろなことがあった5年半。


昨日で彼が最後だったこと、昨日知った。



急なお知らせに涙があふれそうになった。
嫌なこともあったけど、やっぱりそれでもお世話になったし、挨拶くらいちゃんとしたい。

急いで一人花屋に行って、紫色のゴージャスなプリザーブドフラワーをセレクト。でも、もうずっとしゃべっていないオヤジのところに行こうと思うと心臓がどきどきしてきて緊張状態になる。やっぱり過去の叱責がトラウマになってる。

でも、勇気を出して内線かけて作り笑いを浮かべて6Fへ。



懐かしい口調の懐かしい声を聞いていたら泣きそうになった。
けど、泣き顔を嫌っていた人だったので泣くのは我慢した。
(泣くと倍怒られる)




いろいろあったけど、最後にはいいことばかりが蘇える。

サンフランシスコのバンクオブアメリカから見る夜景、ハワイの空から降らせたプルメリア、スペインではおばあちゃんの世話係を任命され、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、サンクトペテルブルク、、、ラスベガス、LA、突然のヨセミテ公園にはヒールとスーツで同行させられ、シドニー、ケアンズではまさかの食中毒事件?!の対応に追われ、、、

いっぱい行ったんだな。行かせてもらったんだな。


最後に思いっきり泣いて、全部気持ち伝えたかった。



「不器用な私を面倒見てくれてありがとう」
「いろいろ厳しい言葉をありがとう」
「叱ってくれてありがとう」



オヤジがしゃべりまくって言えなかったけど。


1冊の思い出アルバムが終わった感じです。




最近は思いっきり怒鳴って叱ってくれる大人が少なくなった。
(それはもう自分が大人だから?)

理不尽なことで怒鳴られたり怖い思いもしたけど
近所の頑固親父みたいな人が一人くらい居てもいいのかもしれない。
と今は思う。