先日、長女の通う小学校で講演会がありました。保護者と地域の方に開かれたその講演会は、定例で年3回ほど行われていて、内容にとても興味があったので夫と次女と参加しました(長女は学校の別室でDVDを観たりしていました)。

講演会のテーマは、「子どもの養育で大切なこと」で、臨床心理学の視点からのお話。

不適切な養育を受けた子どもや、それを行う親と長く接してきた講師の先生が、翻って健康的な養育とは何か、という考察を話してくれました。

そのなかで、「しつけ」とは何か、という話がありました。その語源は、仏教用語の「習気(じっけ)」にあり、その本質は、不快な状態から自己回復できない乳幼児に、快の手助けをしてあげること、なんだそうです。そしてこの「しつけ」が、養育の根本だということでした。

「しつけ」を繰り返すことで、子どもは3才頃には自力で回復する能力の萌芽がうまれ、それを習慣化していくことによって、自律(セルフコントロール)=自分で自分を整える力が身についていくそうです。3才児神話もこの辺りから来ているのかもしれませんね。


今夜、次女は、19時頃に1度就寝しました。
しかし、30分くらい経った頃、目を覚まします。最近こういうパターンが増えていて、たぶん成長のステップの1つ、俗説で言えばメンタルリープとかその手のやつなんだと思います。

さっきまで、すやすやと眠っていたのに、「そんな大きな声が出せるの?」と思うような声で泣きます。これまでは、そして、今日も最初は、抱っこしてあやしていました。1度起こした方がいいなと思って、部屋の間接照明もつけました。

だけど、なんだか雰囲気が違う。

私には、彼女が何かと闘っているように見えました。抱っこではなだめられない何かと。そこで、彼女をベッドにおろしてみました。はじめは上からのぞいていたのですが、どうやらそれでは心地よくないらしい。一緒に横になって目線を合わせてみました。うつ伏せになれば、私も一緒にうつ伏せになって。

そうしているうち、だんだんと彼女は落ち着いてきました。泣き疲れた、というのではなく、自分で自分を取り戻そうとして、正気に戻っていった感じ、といえばいいでしょうか。

そしてうつ伏せのままうとうと。どうも、うつ伏せで寝たいという欲求があるようです。でもSIDSが怖いのでうつ伏せは容認できず、落ち着いた頃を見計らって、仰向けにし、うつ伏せ防止のベッドで寝かせました。

このまま寝られるかなと思ったけれど、闘いは再開し、私が同じ目線になるところから、ひとり落ち着きを取り戻し、そしてうつ伏せで寝たい欲求に抗えなくなる、という一連を再び繰り返したところで、同じようにベッドへ。今度は深い眠りに落ちたようでした。

この間、一時間ほど。

赤ちゃんが、不快を快にするのは容易ではないでしょうが、できないわけではないんだなと思いました。赤ちゃんには自分で眠る力が備わっていますが、それを引き出すのは時間もかかるし面倒です。毎回はできないかもしれない。

でも彼女は時間をかけて自分で快の状態に回復し、呼吸を整えて気持ちよく入眠していったように見えました。寝かされたのでもなく、泣き疲れたのでもない顔が、そこにはありました。


「しつけ」の話は、とても勉強になって、異論をさしはさむつもりはまったくありません。
でも私は、育児にはこういう「物語」が必要なんだと思いました。いや、違うな。私にとって育児に必要な「物語」は、これなんだ、ということです。そしてこの「物語」は、「しつけ」の話を聞かなければ、語られることはなかっただろうな、というとです。

そこにどう「物語」を構築したり介在させたりできるか、これは育児の醍醐味の1つように感じています。これは、長女のときには得られなかった経験です。

次女が泣き止まなかったある日、寝入った次女の顔を見ながら長女は聞きました。
「泣いてる間、私が何を考えていたかわかる?」と。
「次女ちゃんには、自分で寝られる力があるんだよって、心の中で応援してた」と。

長女には長女の、姉妹の物語があるのですね。
得難い経験を二人にさせてもらっています。