ぺこちゃん日記

ぺこちゃん日記

破乱盤上なぺこのつぶやき

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2016年下半期は、忙しさの中で集中力が切れないように焦点を絞っていたので、

ことが落ち着いて今振り返ってみると、ひとつひとつの記憶が曖昧。。。

毎年自分の記憶力の衰えには愕然とするけども、少なくとも昨年は頭の中で整理しなければいけない情報量が飽和状態に陥っていたので、

(誰に対しての訴えかはわからないが)許して・・・という気持ち。

 

引っ越し先の保育園に入れるか否かの不安や、そんなことに頭を悩ませていられないくらい間髪入れずにやってくる事務的作業、

そんな中で職場のチームメイトが次々と辞めてしまって仕事量とプレッシャーが倍増。

極めつけの40箱パッキング!!

後半はランナーズハイになっていたけども、我ながらよくやった。

結果的にはすんなりと保育園にも入れたし、大満足な仕上がりの家となりました。

子供も以前よりのびのびと過ごせている気がして、本当によかったなと思っております。

 

2016年は母親としても3歳までの「トレーニング期」から新しく「実践期」に移ったような感じがしています。

赤ちゃんの頃の○○した方がいい、とか、○○すれば○○になる、みたいな無意識に縛られがちなルールとプレッシャーから解放されて、気持ちがすごく軽くなったように思います。

今までの試行錯誤から自分の居心地の良いやり方を選択したり、それをアレンジしたり。

自由になった分、きちんと信念を持って育てなければと身が引き締まる面もあり、

成長するにしたがって大人数の中の1人として認識されるようになる息子に対して、どんな母親であるべきか真面目に考えたりもする1年でありました。

そして改めて大声で叫びたい。4歳マジで天使!!!

 

もうほとんど抱っこもしないし、ママっ子とはいえ家族の誰もが驚くほどの社交性を持っている子供なので、

ふと親の手を離れていく姿を想像してさみしくもなったりします。

「嵐の前の静けさ」ならぬ、「嵐の後の静けさ」。こわい・・・ざわわ。

 

というわけで、明けましておめでとうございます(遅)。

2017年は、厄年ということもあって(?)あまり新しいことを始めようという気持ちはありません。

今持っているものや考えていることを練って磨いて削って、な年にしたいと思います。

 



国民的アイドルグループの解散が現実となって
親みたいな絶対的な存在も、生きるためには嘘もつくんだなと気付いた瞬間のような、
そういうこともやっぱりあるんだねーという気分になっています。

思えば小学生の頃私は、周りに流されてキンキ光一のうちわを持ちつつ
キムタクの格好良さにも密かに惚れ込んでおり、
MYOJOの連載「解放区」も毎月欠かさず読んでおりました。
ロンゲでサーフィンする姿とか、イカツイ犬連れて波打ち際にたたずむ姿とか、
少女漫画に出てくるイケメンを見るような気分で眺めていたものです。
ロンバケも何度見たか分かりません。
生まれて間もなく異国に渡り、帰国後も片田舎で過ごす根暗な1人の少女に
アツい気持ちを抱かせてくれたザ・アイドル。
大人になって考え直してみると、自分と同じような人間がそんな存在になるって
やっぱり相当な努力が必要だなと思っております。

少し時が経って再び海外に渡るときには、
自分の境遇と「朝日をみにいこうよ」の歌詞がシンクロし、号泣。
日本にいるマメな祖父には、スマスマ、うたばん、HEY!HEY!HEY!の3本を
録画してもらうようにお願いしました。
(言わずもがな、ダウンタウンも私の神様である)
海を渡って送られてくるビデオを心待ちにしていて、
それを見る度「自分の母国に置いてけぼりされている」という寂しさが薄められて
安心できていたような気がします。
今やその祖父は亡くなり、スマップは解散。かくいう私は一児の母。
時は経った...。

10月の頭に引越しを控え、押し入れの中で黄ばんだあれやこれやを整理していて
ただでさえセンチメンタルジャーニーな私なので、
ハァ〜というため息もれるニュースでございました。

***
4歳を目前にした息子は、この夏一瞬でオムツもとれて成長がめざましく。
新しい家では1人で寝る(予定だ)し、手を離れていく寂しさもありつつ、
「この子はどういう考えを持っているんだろう」という好奇心を胸に
自立を促していくのはとても楽しい。親だけの特権を噛み締めています。
我慢も少しずつ覚えてきた。脳みそも猛スピードで育っているんだろうなー。

いろいろな準備や事務作業で、夏らしいことをあまりさせてあげられなかった今年。
それでも今年は雨風気にせず、一緒にいろいろなところに行きました。
今日のおやつは何にしようと一緒に考えるのも、母さんは楽しかったよ。

そして先日、人生初の熱性けいれんを体験。
その日は夫婦でブルーノートにJaga Jazzistを見に行くという
鼻血もんなイベントがありまして。
両親に息子を託し鼻息荒く出かけたのですが、開演らへんで「39度」の連絡。
終演後にはダッシュで解熱剤を買いに走り、またしても鼻息荒く帰宅。
汗だくのままとりあえず寝かせたものの、しばらくしてから泣きながら起床。
抱っこしたら汗でぐっちょり、そして全身がビクンビクン痙攣。。
これはアカンと思いつつも、ヘイ落ち着け自分と何度も言い聞かせ、
しばらくするとおさまったのでまた寝かせて「熱性けいれん」ググる。
大丈夫そうだったので翌日になってからかかりつけに行くと、
(さすがに夜は心配で寝られなかった)
「そういうときは迷わず救急車呼んでいいからね」とのこと。
「お母さんよく冷静に対応できたね」と言ってもらえたときは、
緊張の糸が切れて泣きそうに...。
育児経験値がまた一つレベルアップしました。

ジタバタしているうちに、そろそろ夏が終わります。
子供をうしろに乗せて自転車をこぐ帰り道に、
疲れでジンジンするような頭で考え事。

私のお迎えを喜ぶ子供の顔を見れば仕事のことは一瞬で頭から消え、
職場に出社すれば育児で掻き乱された気持ちも落ち着く。
シーソーみたいにギコギコ傾きながらつないでいく毎日を過ごすうちに、
いやなことはいつの間にか忘れ、嬉しいことだけたまに思い出すように、頭が勝手に処理する。
こんなに都合よくできているのであれば、命を終える瞬間に後悔の念に襲われる人なんているのだろうかとすら思える。
その瞬間に、お腹がいっぱいで天気がよければ、人生ひっくるめて楽しかったと思えるのではなかろうか。そのときの気分。

1日1日の幸福度が満点でも、ズームアウトして数年単位で見直すと、
あれ?となることもある気がしている。
その逆も然り。
「明日死んでも後悔がないように、毎日を一生懸命生きよう!」
ということばに寄り添っていけないのは、
気分屋の私の中で「死ぬ時の気分」と「毎日頑張る自分」がどうもリンクしないからか。
明日死ぬ自分なんか想像しなくても、一生懸命生きてしまう性であります。
真面目ですから・・・!

日々の一挙手一投足に気を配っていたら顔を前に向けることができないし、
遥か遠くのゴールばかりを見つめていても足元見えないし、
ミクロでもマクロでもない、自分にとってのスウィートスポットを模索中。
(本当に30歳かよ)

***
不安定臭わす文章ですが、いたって平穏であります。
とにかく今年の夏は、黒いアイツと会わずに無事に引っ越すことが目標です。
家の男たち2人とも怖がって逃げるという、喝!!!
両親が、静岡から東京へ引っ越してきた。

***
30年間でたったの4年しか住んだことのない私の「実家」だが、一応私が出生した場所であり、
その後数年の海外を経験して戻ってきたときには
初めての集団教育に相当なカルチャーショックを味わった思い出深い土地。

田舎の実家らしい二階建ての家は、冬になるとキンキンに足元が冷えて、
庭の物置きからは灯油の匂いが漂う。
毎日隣の猫が庭にフンを落としていくのに母はため息を漏らし、
雨の日のコンクリートの上をナメクジが歩き、
玄関の横の土の中には私の怠慢で死なせてしまったメダカと、
何かの事故で死んでいたスズメが埋まっている。
夏には緑のバッタが体を反らして跳んでいたな。

***
こうやって今思い返してみると、たくさんの命と共存して暮らしていたものだ。
当時の私は史上最強の環境変化で人見知りがピークに達していたため、
どの情景も1人で静かに眺めている記憶ばかり。
低めの目線で、むっつりと、いろいろなものを見ていた気がする。
どぶの中の糸ミミズも、うにうに動くのが気持ち悪いと思いながらついつい眺めていたなー。

先輩とか後輩、ルーズソックス、セーラー服のスカーフの長さだとか、
あだ名とか無視とか交換ノートとか、汗くさいこともいろいろ見た。

異星から来たような私を快く仲間に入れてくれる友達ができ、
3年目にはまた翌年にその土地を去ることを知らされ、
4年目には去りたくなくてシクシク泣いた。

***
大学入学とともに帰国し東京に住み始めてからは、
実家に「帰る」のだか「行く」のだかよく分からなかった。
両親も、ここに馴染んでないなぁと思った。
それでも、自分の部屋に入ると畳の匂いや雨戸のカタカタいう音が懐かしかった。

あまり伸びなかった身長を刻んだ柱や、センスが全く感じられない落書きや、
フラストレーションをぶち込んだ傷も全てきれいにクリーニングされ、
先日そのお家は他の人の手に渡ったようだ。

***
根無し草のふりして実は結構根を張っていたことに気づいて、書いてみた。
あまり寂しさはないけど、なんとなく魂のかけらがそこに残っているような気がするから、
私が死んだら幽霊になって現れちゃうかもしれない。
そしたら、怖いことしないから、もう一度だけ二階の部屋からの景色を見せてほしい。


gehogehoが止まらなくて珍しく深夜起床ブログ。
2015年は副鼻腔炎に冒され完全K.Oでしたが、ついに治らぬまま年をまたぎそう・・・
元来、鼻炎とは無縁であった私ですので、それはもう煩わしいったらなかったです。
ほんで今は何故だかkehonkehon咳が出ていますが、これも副鼻腔が犯人だとふんでいる。
どうせ。プン。プン。
***
仕事復帰して今は翻訳に携わりながら編集部に近い仕事をしているのですが、
ビヨンビヨンに衰えていた英語筋を鍛えるべく、空いた時間あらばPodcastやら動画サイトやらで
とにかく英語を聴きまくる生活にしています。
少し前までは、狂ったようにまっちゃんの昔のラジオを毎日聴いて聴いて聴きまくっていたのですが、
聴きながら寝落ちすると関西弁の夢を見たりするので、
同様にス○ード○ーニング効果を狙って英語に切り替えてみたら効果抜群。
最初の数週間は聞き逃さないように常に神経張っていたので疲弊していましたが、
早口のネイティブや、強いアクセントが聞き取れるようになると
ネイティブジョークが分かるようになってどんどん楽しくなり、今は海外のトークショーばかり見てます。

1人のコメディアンが1~3人くらいの旬なゲストに対し、
ジョークを交えながらインタビューするだけなのですが、面白い。
このシンプルなセッティングに安心感を覚えてしまうのも、年齢のせいなんだろうか。笑
番組内でえげつないことをされると、やっぱりサーッと日本人に戻るのですが。

育児×仕事生活でひとたびゴールデンのバラエティから離れてしまうと、
あのテンションや色合いを純粋に楽しんだり好んだりすることができなくなってしまった。
出産を経て人生が変わるとよく言うが、体質、性格、趣味嗜好、ほんとにまあ万遍なく
それぞれの分野の味覚が調節されたもんだ。
20年以上苦かったものが、いきなり甘くなったりもするから飽きない。

***
私の産道を通ることによって、私にいろいろな悦びと課題を与えてくれた息子ですが、
最近ちょっと本気でかわいいです。
3歳になったら楽になる説,本当だった。
会話もできるし、ある程度空気も読めるし、結局2歳児の反抗というのは
親が○○しなさいと言う→(する意味が分からないから)「やだ!」→(怒)
ということだったんだという結論。

***
まっちゃんが言っていた、
「笑いというのは黒。どんな感情の色も塗りつぶす」
て言葉、子供を見ているといつも思い出します。
この人は笑わせてもらいたいし、笑わせたいんだな。
大泣きしてても私が変な顔すると、すぐ笑っちゃうんだな。
喜怒哀楽の4つの感情は、「笑」という点から線が引かれた先に配置されているんだな、きっと。

***
さて、日曜の朝、5:30。
夜更かしは苦手ですが、朝は相変わらず好きだー。

ババイ、2015。
今年も1年生き抜いた。