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がらくた通り3丁目

人にとってはまるで無価値。それも一個人の形成には不可欠。自我の源泉をたどる旅。おつきあい頂けたら幸いです。





2008年製 Gibson Lespaul
R59 Historic Collection


久しぶりに
会社に行ったりなんかすると
気分転換にもなっていいもんだ。
なんせリモートだと
家事とはいっても
ほぼ夕飯づくりなんだけど
これを任されるから大変なのだ。

普段の嫁のありがたさが
身に染みてわかる。
女性って偉いな〜って思う。
毎日文句も言わずこなしてるわけだから。

現在僕にとって会社は
家事からの
避難場所と化してしまってる。
こんなにもありがたい場所だったんだと
リモートになってから会社に
感謝しない日はない。

会社の名前をお札にして
毎日拝んでるくらいだ。

しかし後輩なんかと話しをすると
会社もずいぶんと変わってしまったな〜
なんて思う。

自分たちの若い頃は〜とか
昔はああだったこうだったなんて
言ってしまいたいこともある。
でもそれを言わないのには
理由がある。

こんな時代だからとか
そんなことじゃない。
そんなことなんて流行みたいなもの
大したことじゃない。

それに第一みっともない。

はて?
何がみっともないんだろう?

自分が若い頃の苦労を克服し
生きてきたことは
誇りじゃないのか?

それはそうだけど
自分たちの若い頃と言ったって
それを共感できる人が
極端に少なくなった。
気がつけば
会社を退職された先輩方も
ほぼお亡くなりになってたと気付く。

時代が過ぎれば
誇りなんて埃みたいなもの。

ただ自分にとっては
埃ではなく今も誇りだ。

ひっそりと時代の片隅で
僕は今もそいつと一緒にいる。
そのうち
埃として一緒に捨てられるだろう。

古い船を今動かせるのは
古い水夫じゃない
新しい水夫。

老兵は去るのみだ。