お久しぶりの投稿です。

ここに書くってことは、相当言いたいことが溜まってるというか鬱憤が溜まってるってことですね。


さて、本日は差別に関するトピックですので、「人間皆平等!人類皆兄弟!」という方は申し訳ありませんが不快な思いをさせてしまうのでどうかご覧にならないで下さい🙇‍♀️💦


最近植木屋のヘルプで来てくれている方に、海外の方がいらっしゃいます。


まどろっこしいので、結論から言います。


人は基本、分かり合えません。

ましてや文化や国籍が違えば、なおさら分かり合えません。

理解も出来ません。

異文化交流とかいうのは短期間なら学びはあるけどそれは所詮綺麗事で、ずっとはストレス溜まります。


人はみんな違うので、完全には分かり合えません。

日本人同士でも育ってきた環境や関わってきた人々や思想が全員違うので、完全に分かり合うことは不可能です。


もし、「いや!私達は完全に分かり合えてるわ!」なんて人は、そりゃ共依存という病気か幻想に溺れたメンヘラでしょう。


でね、海外からやってきて、異国で生活してるのは本当にすごいことです。

私なんか絶対出来ない。しんどい。母国を離れるなんて考えられない。だってやっぱり、日本人として生きてきているからね。

それに私はそんなにフレキシブルな人間ではないので、やっぱり自分に無理せずに生きていける日本が一番楽だもの。


本当に勘違いしないでいただきたいのは、自国以外で暮らして、仕事もしてきちんと生計を立てている人はマジで尊敬します。人間性がどうであれ、それを実行している胆力と、続けられる継続力忍耐力が本当にすごいと思います。


でもその一方で、「外人は所詮外人だなぁ……」と感じることも多々あります。

正直言うと、文化や言語、宗教思想の違いは、仕事においてはかなり大きい障害になると思います。


まず、言葉で細かいニュアンスが伝わらない。

植木屋は自然を相手にしており、仕上がりは建設業のように正確にミリ数とかで伝えることは出来ません。感覚的に「こんな感じ」という指示がほとんどです。

なので、言葉はもちろん、美意識の感覚もその辺の日本の風景に馴染んだ日常からの審美眼が必要なのです。


今手伝いに来ている方は日本在住歴が20年近くになるようで、国籍も日本と別の国で取得しています。

なので日本での生活は長いです。

けれど、やっぱり国民性も違うし、なんか全部が全然違うんですよね。


私はなるべく楽しく働いてもらおうと結構気を遣っていたのですが、最近忙しいこともありマジで疲れてきたし、何よりなんかムカつくんです(笑)

それはただ私がストレスに感じているだけなんですが。


冒頭でも申し上げましたが、外国人は所詮外国人です。(差別的でごめん)

私も海外で働いたら、絶対にそう区別というか差別を受けると思います。


でね、本当に嫌なやつなんですが、

ここは日本なので、郷に入っては郷に従ってください。


一生懸命やってくれる努力は認めます。

本当にありがとうございます。

でもさ、日本独自のマナーとか空気を読むとかさ、それはもういちいち教えるっていうかアテンションするのめんどくさいのよ。

みんながみんな、「海外から来て頑張ってるのねー!すごいのねー!」とはならねぇからな。

日本人は建前は優しくても、本音は結構エグいからな。


若い世代はそうでもないけど、お客様はまだまだご年配の方が多いのでが外国人というだけで不信感を感じる人はいます。

それは差別ではなくて、多分日本人同士のコミニティーでも同じようなことだと思います。

同一民族国家において、異国人は異質になるのは当たり前なんです。

日本人だって他の同一民族国家に行けば、異質な存在なんです。

日本人同士でも、同郷の人々のコミニティーに別の県の人が混ざれば、その人は異物なんです。


そもそもね、人間は差別する生き物だし、多分これはなくならない。

差別や区別をしなくなったら、自分の種族の存続が危ぶまれるという、もう無意識にプログラムされた本能的な防御意識みたいなものだと思います。

なんかね、最近多様性だポリコレだとかよく耳にしますが、自分と違うものを警戒したり排除しようとするのは生き物として至極当然な防御反応だと思います。


もちろんね、それで理不尽に相手を傷つけたりするのは人として終わってます。

それは倫理的にダメです。


けれど、そういう行為をしないために物理的に距離取ったりするのは人間として自然な反応だし、ひとつの優しさかなとも思います。


私はそういう考えのもと、

自分と異なるものを理解しようと努めることは止めようと思いました。

諦めるというか、何度も申し上げたように人間はみんな違うので分かり合うなんて無理なんです。

ましてや出身国違うならなおさら無理度上がります。

勘違いしないで欲しいのは、私は理解することは諦めますが、別に全てを放棄するわけではありません。


だってみんなで協力して仕事終わらせなきゃいけないからね〰️!!!泣き笑い泣き笑い泣き笑い

1人で出来る仕事じゃないからね〰️!!!泣き笑い泣き笑い泣き笑い


これが仕事じゃなかったら完全に距離置いてるけど、それは社会人として無責任すぎるので出来ない。

でもさ、日本人として当たり前のことをいちいち教えるのめんどい。日本人同士なら言葉でなんとなく伝えられることを何度も確認しなきゃいけないのもめんどい。


贅沢言ってごめん。手伝ってもらってるのに文句言ってごめん。差別的でごめん。


すごい悪い言い方をするけど、仕事ってあなたの為の楽しい思い出作りの場所じゃなくて、お客様にお金払っていただいてプロとして等価交換もしくはそれ以上の技術でやり取りするビジネスなんです。

なので、こちらもシノギを削ってるんです。


いつもみんなにとって心地良い指示は出せないし、技術や知識によって任せられる仕事は限られます。


と、長々書いたのですが、何が言いたいかというと

人は分かり合えないのが当然。

文化が違えば分かり合うのは無理。分かろうと努力するのはそれぞれだけど、相当しんどいので私は止めた。

自分を消耗しない為にも諦め、見切りは大事。


みんな怖くて言わないけど、外国人や障がい者に差別意識は潜在的にあると思います。

言ったらダメなこと、タブーとされていること、

言ったら「非人道的だ!」とか「レイシストだ!」とか非難されることが怖くて言えないけどさ、

差別というのは自分を守るための手段でもあると、私は思います。


障がい者が家族や同僚にいたり、身近な存在であればあるほど心の奥ではこれを分かっているはずです。


綺麗事だけでは結局誰かが不幸になるだけです。

だからこそきちんと住み分けをしたり距離を置いて、共存していくことが一番現実的だよなぁって思うよね。

それを差別というのは、あまりに短絡的だし残酷だなぁと最近思うようになりました。


ネットで検索するとさ、合わない人を理解するためのコツとか対処法とか沢山出てきたけど、そもそも理解する必要ないです。そこに力を使うだけムダだと思います。


なんでみんな、そんなに人のために尽力しようとするんだろう。

大切な人なら分かるけど、ただのワークメイトなら支障なく現場が終われば万々歳なので。


なんかさ、このブログを書くたびに自分はなんて冷たい人間なんだろう😭とちょっと自分に失望もするわけです。

でも最近気づいたんですが、相手が、自分が尽力する価値がある人かどうかを結構考えてるんですよね。やっぱり自分なりの価値観で、「この人は自分の時間を割くに値するか」を判断している。

歳を取って体力気力は若い頃より落ちてきます。それは避けられない。

ならばその限られた資源を、出来るだけ価値のあるところに使いたいんです。

だから私はこれからも、自分に無理なく付き合える人だけに尽力していこうと思います。


今回の外国人のヘルプの方を通して、改めて気づいたことでした。