peco latte
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留学のきっかけっ

トラックバックのやつに「留学のきっかけ」とかかいてあったので、思わず。



ただいまウチはnzに留学㊥なわけで、


すっごいすっごい楽しい時間をすごしてます。


今年で2年目。


私が「留学したい!」っていいだしたのは私が小5の時。


たまたま私が行っていた塾が英語教育に力を入れていて、


『中学からの留学』をすすめていました。


私はもぉなんか、その先生たちの口車にのせられて


〖私は留学する〗と思い込み、親を説得しました。


だけど所詮、入れ知恵された小学生だった私は親にあっさりと断られあきらめました。


それから2年間、㊥1の時まで言い続けました。


・・・でも、自分にも「なぜ」という決定的な理由が無かったせいでもあるとおもいます。



そして、高校受験が間近にせまった頃、


私は引越しをする!という自分の中では大きなテーマとともに、高校選び!を新しい地で


しなければならず、その二つで頭はいっぱいでした。


しかも、私は「普通科」っていうのがどぉしてもいやで、何か違うことがしたくて、迷っていました。


っな時におもいだしたのが、〖私は留学するんだ〗でした。


もう㊥3です。きっちり、場所、値段、How.・・・ 必要な情報を自分で調べてまとめ、親に渡しました。


だけど、「お金が無い」 と理由であっさり却下。


私は仕方なく「美術科」の高校を受けます。けど、やりたくない「美術科」。


そんな気持ちで受かるわけは無く、その高校に落ち、「普通科」に行くわけです。


自分の望んだ道じゃない「普通科」の高校は、それはそれはつまらなくて、


次第に、私は学校に行かなくなりました。


行事のみ参加のお祭り人間になっていました。


理由は「つまらないことはしたくない、楽しいことだけしたい。 どうせ自分が選らんだ道じゃない



2年生にあがる直前が 私のターニングポイントでした。


その高校は私立だったので、それなりに頭はよく、なので、出席率と成績が下がり続けている私をもちろんおいてくれるわけもなく。


校長から直々に 「留年するのか、退学するのか、 どっちかきめてくれ。」といわれました。



私はココであたりまえの結果だけど凄くショックをうけました。


それを親に話すと、親は、「頑張って留年しなさい、あんたが悪い」といいます。


私は半分納得半分「私はあんな高校どぉでもええ!」と思っていました。


そこで「ホカの所でやり直そう」と思ったのです。その時は国内で探し、「寮」で「おもしろそう」な所。で探していました。


っが、・・インターネットで検索しているときに「留学」の文字。


〖私は留学する〗んだった!!!と思い出し、それにむかって、一人で準備をはじめました。


資料、エージェント・ガーディアンの説明会、費用の詳細、行く所...


そのときにはもう1月の終わりでした。


そして私は親にそれをつきつけ、


「大学へ行くお金ためてくれてたんやろ?大学自分で行くから、留学させてくれ。」と3度目のお願い。



親はやっと折れました。



今、私はココで楽しく、きちんと学校にも行っています。


今、warningというもの(3つたまると退学)を2つももらっていますが、それでもココに居たいから頑張ってます。


2年目で、最後の年だけど、


nzとnzのみんなが大好きですっ。



留学万歳。 留学、たのしいですよぉーーー!

ショッピング。

ぅワーーー!!!

日本に帰ってショッピングしたいどす。


あぁー、なんか、なんか、

この発作、1週間に1回はでる。

ぅわーー、日本love。


なんか、NZ大好きやけど、ショッピングは日本でっ。。。あぁ、家に帰りたい。

買い物させてくれーー!!

start!

たくさんのブログサイトを作っては消し、作っては消し。。

今度こそ続けます!

peco1


今は5月2日の夜中。。
ぅーー、今日から学校、2学期が始まります。
pecoにとってカナリ楽しみで、なんだか遠足の前の日ぐらいの勢いで寝れません;
こりゃ絶対、授業中にウトウトくるな。
1学期も結構居眠りで怒られて・・・;

中学のときも見事に授業中は爆睡な私。
よく先生に教科書を『ドサッ 』っと落とされてた私。
とか、懐かしんでる場合じゃなく、
ほんま、これ、なんとかしんとなぁ。


って気づけばもぉ朝!?!?(今Am.4:00)

・・・逆に今から寝たら起きられないや。

開き直って今から準備しよっかな!


ぅん、たぶん居眠りの原因コレだって 早く気づけ。自分。