ペコちゃんのブログ

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モンゴルの第二の都市「ダルハンウール」で、日本語教師として生活しています。

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出発時間をかなりオーバーして、ようやくセレンゲ県に向かいます。
花見については、場所取りに数名が先に行っているので安心です。
自動車の中でようやく昼食にありつけ、お腹も満足です。今日の昼食は、ナムーナ先生による手作りハンバーガーと海苔巻き。ハンバーガーの中身は、目玉焼きとソーセージ、大変リッチな気分です。いや~、パンも高い店で購入したもので久しぶりに日本を思い出しましたね。美味しかった。
自動車はノンストップでセレンゲ県の花見会場まで直行します。
到着は午後7時をまわっていたかな。
7時といってもまだまだ明るく、草原の中を走りぬけて着いたところは山手に松の木々が沢山あるところです。松の木々の周辺には、赤い花々が群生してとても美しいです。
夕食のキャンプの準備をする前に、花見を先にしましょうということで、花を見ながら斜面をあがっていくと、既に花の下に寝転がってくつろいでいる先生もいます。花は、日本にもある山ツツジでした。辺り一面に松の緑とツツジのピンク色が 鮮やかに染めています。生花をみる機会が少ないだけに、際立ってみえます。モンゴルの人達にとって、このように花が咲き乱れている様子を見る機会が殆どないので、1年に一度いくか行かないかの素敵な場所なのです。
足元をみると、紫や白色の可愛い花も咲いています。
膝まづいて、この花を直接口に含んで食べると、健康によいそうです。くれぐれも手でもぎって食べてはいけませんよ。

さて、一通り花見をすませて山をおりると、テントが張ってありました。火の用意もできています。夜の食事の準備が始まっていました。今回は、火のつけ方も上手に空気の通り道もうまく作れています。乾いた木々の枝を拾う役割もできていました。
晩御飯を食べてから12時過ぎまで、飲んだり歌ったり踊ったりして楽しくキャンプファイヤーしてから就寝します。
お酒の飲みすぎの人もいたりで賑やかな人もいます。
そんな中、私もテントの中で寝ることになりました。テント内を2度移動されたので、既に就寝している人もいる中に入り込んで寝ることになりました。
今度は、現地先生に裏が皮のデールをお借りしています。これなら安心といいたいところですが、このテント、隙間風が強く 私の体を冷たくさせます。おまけに隣の子のいびきと寝返りの多いこと・・・・全くねられません。そもそもどうして、この寒さの中でテント生活なのかと思いつつ、仕方ないので、暗がりの中、火を再度起こして火の番をしながら暖をとって朝を迎えることにしました。
夜更けには2機の飛行機が飛び立っていくのがみえます。ああ、これはきっとヨーロッパから朝到着の飛行機便ではなかななどと想像しながら飛行機雲が消え去るまで見送り、朝日はどこから見えるだろうかと空を眺め、少し明るくなった頃、山から聞こえるウォーンと泣き声をあたりに響かす狼の声を聞き・・・・ようやく4時過ぎになった頃から少しずつ眠れない人達が起きだしてきました。
崖になった山の探検を数人がして時間を過ごしたり、おしゃべりをして時間を過ごしたりして、昼食を済ませた頃、雨が降ってきました。
帰り道は、今回の旅行に感謝してお参りをします。
雨は降らないものと思っていましたが、この時期になるとよく雨がふるようになります。
今回の旅費は給料の5分の1です。給料は早い目にもらって支払いましたが、名実ともに寒い旅行となりました。しかし、現地先生方には、こうしたことを企画してくださり感謝しなければなりません。ありがとうございました。
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日本では、五月晴れのよい天候が続いていることでしょう。                                 
モンゴルは現在、朝4時過ぎに夜が明け、夜は9時過ぎまで明るくなっています。毎日が、真夏日のように暑く、胸や背をあらわにした女性達を多く見かけるようになりました。
モンゴルの夏休み(6月から8月までの3ヶ月)が近づき、日本語教師の帰国が始まります。現地の先生方が、日本語教師のために1泊旅行を計画してくれました。場所はセレンゲ県です。今度は花を見につれていってくれるそうです。この花が咲いている時期は1週・2週間週だそうで、この花見で精神的な疲労がとれるそうです。ただ、寒いので暖かく過ごせるようにとはいわれました。前回、行ったことがあるので寒さ対応については大よそ理解できます。あまり根掘り葉掘り尋ねるとここモンゴルでは嫌がられるので詳細は「なんとか成るさ」の気持ちで参加し、花見にだけは期待をしてでかけることにします。
当日の集合時間は朝の9時で、10年生が今まで練習してきたパレード訓練(日本なら 自衛隊の人のパレード行進かな?)の審査会があり、その応援をしてから旅行にいくようです。
いろいろ問題を抱えた学年でもあったので、彼らの練習をみていたのですが、軍の方の指導だけに堂にいったものです。これなら優勝かもと期待を寄せ、しっかり応援します!
ところで、審査会場はというとどこかのスタジアムかと思いきや、なんと山の頂上です。天気はよいのですが風の冷たいこと。山の頂上まで、車で上がり、今始まるか今始まるかと待ちます。学校あげての応援団つきですから、出場する子ども達も緊張が続きます。
さあ、今か今かと1時間待ち、また1時間待ち・・・あれっ?またもやモンゴルタイムか?
10時からと聞いていたのに、出場者が出揃っていないからかもとか、審査員の警察官とこの企画部である役員が集まっていないのかも・・などとそれぞれが想像ながら待つのみです。
出場する子ども達には、気を利かせて指導者が、多少の歩行訓練と称して歩かしたりしているようですが、これだけ長時間の緊張のままの姿勢で、子ども達が可愛そうになってきます。
そうこうしているうちに、ようやく午後1時過ぎになってから、動きがありました。
服装を着替える出場者達が増えてきたのです。
えっ?今の服装の方が絶対いいのにと思いますが、私がそれを口に出して言うわけにはいかず、ただただ軽装になる子ども達をみているだけです。うんっ????
始めの出場者が臨時に立てたポール前に並んでいます。そして、スタートの合図と同時に一斉に駆け出しました。
出場者団体による「競争」のようです。
頭の中は、急な変化に動じることなく切り替えをして、現状を把握しなければなりません。
聞くところによると、走っているところどころにチェックポイントがあって、そこで出題される問題を皆で考え、答えられたら再び駆け出せるそうです。数箇所のチェックポイントを通過してゴールとなるようです。
さあ、いよいよ、我が学校の子ども達が走り出す番がやってきました。みんなで、今までの応援場所を移動して応援します。
駆け出しました。小さくみえる場所までも応援は続けます。
高度1300メートルはあるこの国の山の起伏を走るのは、本当に息が切れるものです。男女が混合の組ですから、女子にとってはより厳しいものになります。
それでも、ようやく子ども達が坂を上がりながらゴールめがけて戻ってきました。
女の子はもうへとへとです。応援している我々の近くまで来たときには、ほっとした気持ちもあるのでしょう。もう倒れる寸前です。
どうなることやらとハラハラと見ていましたら、一番やんちゃな男の子がすぐさま二人の女の子の手を引っ張って一緒に駆け出してくれました。流石・・・頼りになる男の子だと見直しました。そして、今回の大会趣旨はこういうところにもあるのかと感心いたしました。
結果ですが、組対抗の走りでは、全く練習していないのにも関わらず、12組中、我が校は4位にありつけました。


演技の得点は予想では1位か、間違っても2位に食い込むはずですから、間違いなくこの分でいくと、表彰されるはずです。なが~い待ち時間の怒りも消えうせ、ようやく演技の発表かと期待も高まります。
そして・・・・・・・・・・
えっ?なんで今から表彰式になるの????? 我が目を疑いました。
いくら考えてもこの状況は、表彰式です。
演技の審査なしで、走りの結果だけの表彰式でした。
これって、ありえないよ。
みんな納得できない顔つきです。本校のベテラン教師が、大会役員に一言文句をいいましたが却下。私も後から「ルール違反ではないのか!」と足りない英語で訴えましたが、なんと男性役員の一人が、私の服装はひも結びをしていない。そんな服装で話しかけるとは何事かと怒りつけてくるではないか。目の前で、先生に寒さよけにしていたモンゴル服(綿入りのデール)を脱いで訴えましたが、ただただ私の話を耳に入れたくないためだけの阻止行動しかみえません。
学校に迷惑をかけるといけないので途中で訴えを私も訴えを引きましたが、誰もが信じがたい状況でした。このように民主化されたとはいえ、モンゴルでは、国家公務員に社会主義体制はまだ温存されている部分があるようです。
しかし、こうしたことはままあるようで、学校の先生方をはじめ、子ども達もおかしいとは思いつつ、こうしたことに対して妥協して受けいれなくてはならないと切り替えるあたりは、逆に立派だとさえ思えました。
時計をみると もう3時になっています。
ええっ?!
今日は職員旅行に行く日ではなかったのでしょうか。お腹もすいてますけど・・・ (グーゥ~~~~)
と思っていると
ようやく、「それでは行きましょうか」と声がかかり自動車に乗って、ようやくセレンゲ県に出発となりました。
本来の旅行の話は、第2弾に続く。
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夜明けに、寒さを覚えて起きてしまった。天窓からの風が室内に入り込んできているようだ。風の音は寒さを際立たせ、空一面どんよりとした雲に覆われている。この時期において、またまた冬の戻りかなと窓辺にたった。
すごい!まるで嵐の前の海岸線だ。波がドドドドーッと打ち寄せるように流れている。砂が北から押し出されてきている。何度となく打ち寄せきては、辺り一面を白く多い被せるように集合し、そして、空中に舞い上がり、広がり、消えていくのだ。
こんなに間近に砂の流れの様子をみたのは、初めてである。
モンゴルの地は、粘土質の部分もみられるが、小石の混じった荒い砂があちこちにみられ、ところどころに甑(こしき)でこしたようなさらさらの細かな砂がふきだまりになってみられる。
この細かな砂が、北からの強い風がマンションの高さを遥かに越えて高く高く舞い上がるのだ。
この様子をなんとか写真に収めようと努力したが難しく、天気のいい日にとった写真と見比べてみよう。
この日は、昼頃になってから天気も回復し、いつもの青空となった。
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最近は、夜明けが早くなった。5時頃から明るくなり夜は8時半過ぎから暮れ出す。
1週間の休業日も終わり、4学期が始まって2週間が経とうとしている。この2週間は非常に長く感じられた日々であった。
そんな私の心を癒してくれたのは、モンゴルの大地である。見渡す限りどこまでも続くなだらかな山々と空の青さと広さは、全てを優しく包み込んでくれる。山のところどころでは、ゆったり草を食んでいる牛や馬、傍に近づいても「私は今、ゆっくりと食事したいのよ」と言いたげな顔つきで、いつしか静かに他の場所へと移動していく。
さて、この大地同様、いつも優しく温かく包み込んでくれるものは、現地の人達である。
マンション内での暮らしに辟易している私は、現地の先生からダルハンウールの隣の「セレンゲ県」へ校外学習にいくが、一緒にどうかとお誘いを受け、一瞬どうしようかと思ったが、後1ヶ月程度の帰国を前に、こうした機会はないだろうと考え、お言葉に甘えることにした。
さあ、土曜日は 弁当をもって午前7時に学校集合である。
朝のタクシーは殆ど走ってなく、集合時間に間に合うかと心配したが、なんのことはない。集合時間から出発時間は30分もあり、実際、出発時間にやってきたのも数名の子ども達と先生方であった。
甚だしく遅れてやってき子どもの一人を待って、ようやく出発した時間はなんと8時半。面白いのは、遅れてきた子どもを咎めるでもなく、また、遅れた張本人も謝るでもなく平然とミクロに乗り込むあたりはすごい!
さてさて、そんなこんなで、スタートが遅れてはしまったが、小一時間ほど走ると、今までとは違った景色が広がってきた。
なだらかな山の頂にはラクダもいる。緑の松の木もところどころ見えてきた。
景色に見とれていると山すそがうっすら白んでいる景色に変わってきたではないか。雪はまだ溶けていないのに・・と思って見ていたのだが、その白さは実は塩が姿を現したものだったのだ。通訳が子どもであったので、大よそのことしか分からないが、この湖はかって海だったそうで、その頃の海水が今に至っているために塩分が濃くなりこのように白く浮き出ている部分が多く残っているとのことである。この塩をなめてみようかなと地面に手を触れたとき、足元がぬかるんでいるので、一瞬にして舐める意欲は失せてしまったが、そのしばらく後に、子どもが「先生、この塩なめたら駄目なんだよ」と教えられたのである。もっと早くいってよ~。危なくなめるところだったよ~~~~~。
この「テメー湖(らくだ湖)(現地先生に教えてもらった言葉によると)」を後に、しばらく再び走り、着いたのは川沿い近く。ここで、30分程度、捨てられたビール瓶やペットボトルなどのごみ拾いをしてから、セレンゲ県に向かった。
セレンゲ県は、あまり大きな町ではなかったが、新しい町並みがあったことから思うと、ここは新興地のようだ。さらに走り続けてゴミ捨て場に拾ったごみを捨て、景色を眺めながらの昼食はなかなか美味しく感じられたものである。先生方の手作り巻き寿司にハンバーガーが好評であった。
昼食を終えて場所を変えて止った場所で、チエックを受けてから上った山が、これまた絶景なり。大きな岩が山にドカンと正座し、その風格ある岩と 遠く見渡す大きな川と松の緑色がマッチし子ども達が「絵に描きたいくらいだね」といってくれたことに感激した。まだまだ雪がとけきれないであったが、雪合戦なるものをしたり、この山の高さにして走りの競争をしている子ども達をみて、大変楽しくなった。
この山すそをあがるとそこはロシアである。ここは、ちょうどロシアとモンゴルの国境地帯だそうだ。
帰宅時間は8時をまわったが、行ってよかったと思う。
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私の勤める学校は、イマ—ジョン教育を行っています。体育や音楽・図工科などを外国語で指導しています。私は日本語と図工(美術)担当ですが、大きな学年は殆ど支障なく授業できます。しかし、言語能力も乏しい子ども達への指導は難しいものです。
私の主たる担当は、2年生です。
1学期から2学期にかけて「平仮名」と「片仮名」を中心に指導し、3学期からは初歩的な会話中心の学習をしています。「聞く」「話す」「読む」「書く」の領域においては、常に丁寧な指導が要求されます。
最近では、宿題の提出も日常化し、文節を意識して書ける子が増えてきました。日々の積み上げは大切です。
2年生ですからまだまだ発達途上にある子ども達です。授業中の態度で注意を行う必要があります。
そんな中、私自身がうっかり未習の言語を使ってしまうこともあります。
しかし、未習の言語であっても周りの状況から判断して、理解できない友達には通訳をしてくれるような子どもが生まれてきているのです。
時には通訳の内容を巡って子ども同志で意見が分かれているような場面を見かけますが、教師でありながらモンゴル語を解せない私はその場で何ら対処できず、ただただ傍観するだけです。ごめんね、子ども達!そして、あなどるべからず子どもの潜在能力!
ところで、通訳をかって出る子ども達をみていると、語学センスがあるかどうかも影響しているように思えてなりません。
ある子どもは、学習内容を理解するまでに時間を要します。ある子どもはテスト(簡易テスト)とするとミスすることが多いです。ところが共通点があります。
この子ども達は、間違いを恐れず、様々な場面で外国語を使って話してきます。例え文にならなくても、どうすれば、相手に自分の言いたいことが伝わるかを絶えず試している姿があります。恥ずかしいとかそういった思いを一切捨てて挑戦しています。
先日、こんな場面を見かけました。
私が職員室で仕事をしていると2年生のある子が入ってきて「先生、お父さんは、話します。」何のことかよく分からずにその子の神妙な顔つきを見、その子の目の指すところをみると、廊下で父親らしき人が立っているではありませんか。父親は私との面談を希望しておられると理解できました。
普通、保護者が職員室に来て面談して欲しい旨を伝えます。ところが、2年生が親に変わって直接伝えに来たのです。驚きました。既習語が少なくても言語を選んで話したのです。私はこれを「語学センス」だと思っています。さて、廊下に佇んでいる保護者ですが、通訳の先生は、その子の力の能力を更に確かめるかのように話を続けさせたのですが、なんと父親が自分の日本語能力について聞きたがっているのだとも伝えたのです。親の代わりにですよ。通じるものですね。本格的な面談では流石に通訳者を交じえて話をしましたが、この子どものよさを大きく褒めたことは当然のことでした。
また、こんなこともありました。
その子は集中力に欠如し、授業中も注意を促すことが多いのですが、人懐っこく休憩時間になると私のお手伝いをしたがります。また、なんやかやと日本語を使ってよく話しかけてきます。
間違って使用されていることが多いのですが、いいたいことはよく分かります。

ある日、教室に見知らぬ保護者が来ました。保護者も私が日本人だと分かると何もいえません。
しかし、黙ってみている訳にいかない私は子ども達に「お母さん、誰ですか?」と尋ねました。返答に窮する友達の中、普段から日本語に慣れ親しんでいるので、その子どもは真っ先に「○○さんのお母さん」と教えてくれました。
先日、その子に妹が生まれました。妹ができてから急に日本語で話すことがなぜか急激に増えました。
朝のミクロ(学校に行くための通学自動車)でその子と出会うのですが、ミクロを待つ時間も「先生、これ何?」「あれは、お父さん」などとよく日本語で話しかけてきます。ダルハンで唯一の38階建てマンションのことまで教えてくれました。

さて、この子は、妹が生まれたことをきっかけに語学力も大きく変化したようですが、私はあることをきっかけにどの子も開花する時期があると思えるようになりました。これは、子どもに教えられたことになりますね。

えっ?8月末から来た私の語学の上達はですって?
バクシ(先生)でしょ、それにサーマンアマルスノー(おはようございます)、ズゲーレ(どういたしまして)、バィララー(ありがとう)ぐらいなら話せますよ。この少ない言葉ですら、すぐに出てこないこともありますが、それだけ、子ども達の日本語能力が長けているので私が覚えなくても不自由しないと思えばいいですよね。

今日、デパートに行きました。見知らぬ人が、ご自身の子どもの名前を言って話しかけてきてくれました。せっかくに話しかけてくださっても、互いに外国語が話せないので、話としての発展はありませんでしたが、保護者がデパートにお勤めであること、そして、自分が世話になっている子どもの親であることを教えてくださった訳です。1年生と2年生の保護者でした。
なんだ、もっと早く教えてもらいたかったよなぁ。ヤーナー(残念)
でも、わざわざ挨拶の声をかけてくださってありがとうございました。嬉しいです!!


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昨夜は、突風が吹きました。家の前の倉庫らしきトタン板がバタバタと大きな音をたてて、こちらに飛んできやしないかと心配になったほどです。しかし、そんなことがあったとは思えないほどに朝の陽差しは柔らかく、部屋の中まで差し込んできます。雪解けは、4月~5月と聞いていましたが、町の雪はすっかり消え去り、コートを脱いでジャケットに着替えた人もみかけるようになりました。                             写真は市場のおばさんと、晴れ渡った朝の空です。                                    じゃがいも、玉ねぎはモンゴル産がほとんどだそうです。
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モンゴルの面積は日本の4倍あり、人口270万人といわれています。人口密度は世界で最も低く1平方㎞当たり1.7人である。内、人口の70%が35歳までの若者だといいます。。                                                  1921年から1990年までの約70年間、社会主義国として歩み、今は自由主義国(資本主義国)の仲間入りをしました。貧富の差がひらき、富裕層が拡大している今日、課題はまだまだ山積しているようです。 ・・・などと小難しい話はおいて、現実味ある話をしましょう。きっかけは、2年生の日本語授業からでした。                              授業で「全部でいくら
?」の単元をしました。足し算を日本式で教えるのです。トゥグル(Tg)の単位を単に円に置き換えて授業しただけですが、実際の日本の5円、10円、 50円、100円を実際にみせた方が喜ぶのではないかと考え、日本円を持参しての授業でした。実際、見せたときの子ども達の喜びの顔といったらそれはもうすごいものでした。両手でしっかりもたせて感触させましたが、そのときの子ども達の様子は忘れることができません。それはりゃそうです。モンゴルでは今日、全て紙幣を使っているのです。コインはないのです。                                                                    (えっ?本当ですかって?もち
ろん、財布に入っているお金は全て紙幣ですよ。よく似た紙幣なので、今になってもどれがいくらなのか見分けがつきにくいです。うっかりすると店の人も細かな紙幣がたまるので、よく分からない私達に細かな紙幣ばかりでのおつりをどっさり渡されます。絶えず細かな紙幣がたまらないように注意しなければなりません。ですから、スーパーでは、いつもレジ待ちを長くしてしまいます。ご免なさい!)
さて、話を戻します。                                                                現地の先生に、子ども達に日本円をみせたらとても喜んだという話をした次の日、その先生がモンゴルでもコインを使った時代があったということでその記念のコインをくださいました。頂いたお金は、ロシアの統治時代のものです。1990年以前の当時は、写真のようなコインを使っていたそうです。一番大きなコインが50MeHreで次が20MeHre、小さなコインが10と1MeHreです。1990年になってモンゴル国旗のマークが入ったコインが作られました。右下にある小さなコインがそれです。モンゴルの国旗がみえるでしょ?し
かし、しばらくしてこうしたコインが消えて全てが紙幣に変わってしまったそうです。                                                                         では、次に今使用されている紙幣をお見せしましょう。給料をもらったところですから、財布には各種類の紙幣が入っています。                                                                          左側上から、50tg、100tg、20tg 色も大きさも殆ど変わりありません。写真はありませんが、他に10Tgも時々見かけます。1tgもあるのですが、経済発展
とともにすっかり消えうせたようです。                              次に右側です。上から1000tg。5000tg、10000Tgです。この紙幣だけは見分けがつくようになりました。20000tgもありますよ。これをある日、数枚ながめていて一瞬、ドキッとしたものです。偽札をつかまされているかも知れないと思ったのです。皆さんもみてくれますか。2枚の紙幣が写った写真です。チンギスハンの左肩下に黒く映ったものとそうでないものがありますよね。黒く映ったところは、実は透かしになっているのです。ところがその透かしがあるものや、あっても右肩上の中心部分にあったりします。また、その中心部分が光る素材の紙で印刷できているもの、そ
うでないものなど、一律ではありませ。それに気づいた私は、はじめはこの偽札をどうしようかと思ったのですが、買い物で使っていても何ら怪しまれずすんなり受け取られているので、印刷技術の問題だということが分かりました。2万tgといえば、大変に大きなお金です。大事に使わなくっちゃ・・ネ。                                   本日はお金にまつわる話でした。
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パリッパリッと朝から音を鳴らして車が通り過ぎています。最近では、夜明けは7時前になり、夕方7時位まで明るくなりました。粘土質の大変細かな土が、解かした凍り氷水を溜め込んでいます。車も人も牛も犬も、この泥水を避けながら通り過ぎていきます。
昨日は、帰宅途中の子ども達と犬に出会いが、私を楽しくさせてくれました。
夕方の6時過ぎになっていましたが、陽が長くなったので下校途中の子ども達が、氷のたまり場で遊んでいました。3年生位でしょうか。氷の上を滑って遊んでいたのですが、小さなスケート場を連想させました。現地の子どもにとっても今日は晴れた日です。学校の下校時ということもあって晴れ晴れとした思いでいるのでしょう。あっ、一人の子どもが滑ってしりもちをつきました。その子を助けようとした友達も同じように滑ってこけてしまいました。その姿を見ていた周りの子ども達の賑やかな笑い声がします。
子ども達の後を歩いていた可愛い犬が、その様子をみて、自分はそんなドジはしないかというような顔つきで澄まして歩いていましたが、氷の上を歩いているその犬の足取りは緊張していました。澄まして歩いていて私の目はごまかせませんよ~だ。
そうそう、モンゴルの学校は2部制なのです。大きくは午前と午後に分かれて授業を受けます。朝早く登校してきた子どもは、午後になると下校し、午後から登校する子は夕方に下校します。冬場は早く陽がくれるので来られる保護者は、来るまで迎えにきていました。
少しでも就学率をあげたいとする政府の取り組みなのでしょう。小学生しか分かりませんが、授業時数は1年生から6年生まで全く同じです。学年の違いはありません。私が勤めている学校は私立なので、教育課程において自由裁量の時間が多いのかも知れませんが、こうして書いていると(あれはどうなっているのだろう)等という疑問点が沸いてきます。
ともかくも、今年は例年にない寒さで学校の授業時間が少なくなりましたが、その分の取り返しは6月にずれ込むのか気になるところです。早く知らせてくれないと予定が立ちません。
気になり始めた私を諌めるかのように、今日は晴れ渡った青空でした。
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ある日、ある時間に突然の変更や追加事項があるのは、当たり前のこのモンゴルの学校において、3学期からは、職員会議を定期的に行うようになったことは画期的なことです。                                        先日、記念すべき第1回目の職員会議がありました。                                          職員会議では、案件が最初に提示され、おおっ、初めて議事案件示されたと嬉しく思ったものです。その上、案件の一つ一つに先生方の意見を求める体制も整い始め、民主化が息づいてきたようです。                        案件は5つあります。            
                                                  一つ目は時間割について、二つ目は「生徒・児童の生活の心得に関しての実態調査」からです。三つ目は校内の授業研究についてで、四つ目はモンゴルの先生方に関わる内容、そして最後が諸連絡でした。                                           さて、一つ目の時間割についてですが、今まで小学校1年生から6年生まで同一の6校時授業で帰校時間が4時前までとなっていたのが今回改定され、昼食後の休み時間を短縮することと、7時間目にショート学級指導の時間(20分)を毎日あるようになりました。7時間授業といっても14時半で終了
ですから下校時間はかなり早まりました。今まで昼休みが1時間半もあるのに対して遊ぶ場所もなく狭い教室に閉じ込められて補習などさされていた子ども達にとって、解放された気持ちに違いありません。                                                しかし、私にとっては大変に慌しい日課になりました。この学校、美術室なんてものはなく、狭い職員室で次々と指導のための準備をしなくてはなりません。しかも、毎時間がたった5分間という休憩時間になっているので、40分授業で、絵の具や工作の後片付けをさせていたらたちまちに時間が過ぎてしまいます。その上、私の授業するコマ数が増えたので、まさに時間との勝負です。      
                                                       ところで、頻繁に時間割や時程が変更になり、しかし、それを保護者に知らせるでもなく、子ども達も知らないままにある日、突然変更さえるので、私が言うまでもなくきっと保護者や子ども達から苦情がでるだろうと思っていたのですが、全くその気配が感じられないのが不思議です。しかし、私としてはこれ以上、時間割を変更しないでくださいとしっかり釘だけはさしておきました。                                                                   次は二つ目の「児童・生徒の生活の心得に関しての実態
調査から」です。生徒指導関係においては大きい課題をもった高校生ですが、学校あげての取り組みを行うようにしてから、彼らは少しずつ落ち着きをみせてきています。しかし、今回のことで再び大きな反発があるだろうと想定していました。ところが、今回は、その子ども達の受け止めに抵抗がなくすんなり受け入れられ、何がどうなったか今もって疑問に思えるほどだったのです。3学期の初日に、化粧をしないとか標準服を着るようにとちょっと伝えられただけで、あくる日からそれを守っていました。今までの彼らの姿は一体何だったのでしょう。      ともかくも、規則とか罰則には絶大なる効果が発揮できるモンゴルの子ども達です。                       学校全体
としても遅刻する子ども達も多かったのですが、教師が遅刻した子どもの名前を廊下に貼り出すようになってからというもの、これまた、効果てきめんの結果となりました。私としては、人権上の問題があるのではないかと意見をいいましたが、他の公立学校では授業に参加させないくらいだそうで、完全に却下されました。(ガックリ! )                                                                                                         次は、三つ目の校内授業研究会のことです。3学期の公開授業で、誰がいつ授業するのかその日程が公表されました。私としては、授業者が
指導案を作成するようにお願いしたいと伝えました。また、話し合いを実のあるものにするために、ある程度話し合いの観点を設けて欲しいと申し出ました。しかし、残念ながら、指導案を作成するだけに留まりました。4学期になってから 参観観点を決めて話し合いを行うようです。「急いては事を仕損じる」ということで反省した私でした。    
四つ目はモンゴル人の先生方への話だったので分かりません。                                   最後の「諸連絡」についてです。7時間目にショート学級指導の時間(20分)を今までどのようにしてきたか、また、今後どのようにするのかを明日、話し合うようにとの連絡でした。                                                                   ところが、あくる日、いつ声がかかるのかと待っていましたが、通訳の先生も動く気配もなく、辛抱切らして「いつ話し合いが行われるのですか。」と尋ねました。すると、通訳の先生はすっかり忘れていたらしく、現地の先生に尋ねてくれ
ましたが、もう終わったとのこと、何がどうなっているのか本当によく分かりません。あまり真剣に物事を考えず、現場の現地先生に任せた方が今後のためにもなりそうです。                                                                      3学期は波乱万丈の変化のあった学期となりましたが、長年の社会主義国家を簡単には変えられないものです。また、我々日本人にとって、職員会議や校内授業研究会に参画できる機会はありがたいことではありますが通訳をしなくてはならないので、現地の先生方にとっては、ロスタイムが多くなってしまいました。しかも、日本語教師は、教師という名称であっても専門職ではあり
ませんから(一般人)会議の話し合い内容に深まりを求めても無理が生じます。                                                 先進国である日本の教育を取り入れ、ナラン学校をよりよくしたいという願いを携え、それに応えて貢献したいという思いは強いですが、日本という国を基準に考えて取り組むにはまだまだ時間が要するように思いました。これを読んでくださっている皆さんは、どうお考えになりますか。                                                        今回の写真は、学校の掲示板の様子と食堂での様子です。
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今日土曜日は、昼から食事の準備をします。後、3ヶ月と少しで帰国すると思うと少しはリッチに過ごそうと考えています。
先ずはオレンジ・ザハできゅうり1本とトマト2個を購入。ここは、ラップがかけてないのでやや新鮮なものが手に入ります。ラップがかけてあるものは、大抵は中がグニャグニャで見かけがきれいに見えます。味は決しておいしいとはいえませんが、輸入ものですから文句はいえません。
バナナも量り売りで買いました。
これだけで、私の気分はかなり上場です。
オレンジ・ザハから店舗を変えて今度はノミン大型スーパーへ。ここでは、水と卵を買いました。ぼちぼち甘いものが欲しくなってきた時期ですが、チョコレートは高いので辛抱、辛抱。
自宅に帰ってから、早速に調理します。
今夜の献立は、かなり贅沢ですよ。
では、紹介しましょう。5品もあります。
1.青汁
  今夜は、お湯を入れます。朝に飲んだので、今日は2回目です。フフッ(笑)
2.買ってきた水で炊いた白ご飯とふりかけ 
    ふりかけは、日本製の「混ぜ込みわかめ梅紫蘇」ですよ。
3.本日で3日目となるキムチ鍋風味
    韓国製の冷凍キムチとジャガイモと人参を炊き合わせたもの。
4.昨日の残りの皮むきりんご
    きっとこれは中国からの輸入品でしょう。1個を1日で食べることはまあないですね。贅沢ですもの。
5.大根煮
    これが、本日のメイン食品です。日本からの干物品です。大事に大事にとっておきました。今日はこれも買ってきた水で炊きます。
味付けは、日本語を教えている家庭からもらってきた肉のスープ(正月ブログ参照)です。油揚げのかわりにしました。
  
以上、5点も食卓、じゃなくて勉強机に並びました。どう、豪勢でしょう?
一人、ほくそ笑んで食べました。
ああ、美味しかった・・・・(ちょっと侘し!)
人参、キャベツ、じゃがいも 玉ねぎ 
大抵がこの繰り返しですが、明日はきゅうりとトマトが食べられます。ワクワク
                    ・・・・再び ちょっと侘し!!
写真は、学校での下校の様子です。