私新撰組ファンだけど幕末rock好きだという方もいると思うので、一個人の意見として読んでくださいませ。
私はけっこうガチな方の新撰組ファンです。
レベルとしては、毎年土方歳三の誕生日を旧暦と新暦どちらも祝い、
命日には大河ドラマを見ながら涙を流し、
八木邸では感涙し、
部屋の壁は浅葱色で埋め尽くされているほどです。
そして、新撰組ファンには三種類あって、
史実などを中心に愛する人
新撰組関連のアニメやゲームを愛する人
そのどちらも愛する人
があります。
わたしはどちらも愛する人です。
なので、創作における史実の改変には寛容な方ですが、
幕末rockはどうしても好きになれませんでした。
では、何故好きになれなかったのか。
それは、幕末rockにおける史実の改変が、「意図」を伴っていると思えなかったからです。
例えば、薄桜鬼を例にとってみましょう。
山南さんは、史実では新撰組を脱走し、法度を破ったとして切腹させられます。
しかし薄桜鬼では怪我を理由に羅刹になり、終盤まで生きていましたよね。
この改変は意味を伴っています。
人間のまま、不自由な体で一生を過ごすか、それとも羅刹になるか、
その葛藤を表現するための重要な役柄だったと思います。
幕末rockの改変はどうでしょうか。
幕末なのにバンドやってる…とかそういうことではないのです。もともとそういうコンセプトの作品ですから、それ自体は問題ありません。
例えば、幕末rock内での新撰組の上司について。
作中では、新選組の上司が「井伊直弼」ということになっています。
史実ではどうかといいますと、
井伊直弼が暗殺されたことで有名な「桜田門外の変」は1860年
新選組の元となった「浪士組」が結集したのが1863年
何をどう頑張っても新選組が井伊直弼の部下になることはできません。
新撰組の上司の話をあえて引っ張ってくるとするのなら、松平容保さんあたりがよかったのではないでしょうか。
この改変には意図が感じられません。
わざわざ史実では決して交わることのなかった新撰組と井伊直弼を結びつけ、何か意味があったのでしょうか。
100歩ゆずって「誰でも知ってる人物の方が良いだろう」と思って井伊直弼を上司に据えたとして、その気遣いは果たして必要なのでしょうか。
私にはどうしても、この作品の製作者の中に、
「最近は幕末が流行ってるから、とりあえず幕末の有名な人を登場させときゃいいかな」
という考えの人がいて、
ろくに時代考証もせずに作った結果こうなってしまった、いわば無知の産物としての改変としか思えないのです。
この態度がいかに新撰組ファンにとって悲しいものか、ファンにならわかると思います。
歴史上の人物や出来事を創作に使う場合、それに対する敬意というものを忘れてはなりません。
ただの創作ではないのです。彼らはかつてこの世に存在し、激動の時代を必死に生き抜いた人生があったのです。
歴史創作はその人たちの人生を借りた、「二次創作」に近いものなのです。
あなたは二次創作をするとき、その作品や作者への敬意をきちんともっているハズで、
例えば「イナゴサークル(特定のジャンルを持たず、その時期人気の作品を、あまりしらないにもかかわらず、金儲けのために二次創作をしているサークル)」なんかは、ファンにとっては大迷惑、絶対に許せませんよね?
歴史ブームによって歴史系のアニメやゲームが乱発されている時代です。
きちんと歴史に対する敬意をもって創作に励んで欲しいものです。
幕末rockのファンの皆様、不快にさせてしまったらごめんなさい。
あくまで一個人の意見です。あまり深く捉えなくても大丈夫ですよ。