おはようございます。



皆さま、お久しぶりです。



こんなに長い間サボってしまったのにご訪問してくださる方がいらっしゃることに驚いています。ありがとうございます。







実はこのひと月、泣き暮らしておりました。



先月末、両親に預けていた私の猫・きなこが天国に旅立ちました。



18歳1ヵ月と10日。人なら90歳くらい。諸説ありますが。



8月初旬、不調が見つかり、お薬とそれを飲みやすくするためのペースト状の療養食(ちゅーる的なの)が追加になりました。



獣医さんはお薬の効果はひと月後の検査で診てみましょう…と。



つまり、あまり深刻な状態ではありませんでした。



きなこは療養食を気に入ってくれて、父に「ご飯くださいな」っておねだりするくらいで、うまくいっていました。



もともとあんまり食に執着の無い子なので、飽きたのかくたびれたのか残しちゃうことも。



でもペーストご飯にはお薬が入っているから、残すとお薬も摂れなくなっちゃうので、そんな時は父に抱っこで食べさせられて、



「もういらないよ」って父の手を押し返したりしてたそう。



それでも好きなヨーグルトやご飯は自分で食べてました。



毎日ごきげんで、ご飯食べて、ブラッシングしてもらって、ゆるゆる遊んで、トイレも自分で行って…



寝たきりになることも、おむつをすることもありませんでした。



寝てばっかりだけど、ご飯やトイレは起きて、自分の足で歩いてそれぞれの場所まで行っていました。



両親が、前の晩におやすみをして、朝ご飯をあげようと起こしに行ったら、もう冷たくなっていたと。



最後のトイレも自分で。



両親が「1日も介護のない『ピンピンころり』で私達もきなちゃんを見習いたい」と言うくらい見事な最期。ちゅーる的ご飯は父にアーンして貰ってましたが。



長く患うことが無かったのは本当によかったです。健康寿命を全うできた猫生だと思います。



私は、1月下旬から2月にかけて一時帰国しましたが、以来日本に帰れず、それがきなこと過ごした最後の時間になりました。







うちの子になった時、生後2ヵ月に満たない、おはぎくらいの手のり猫だったきなこ。



別にきなこ色じゃないけど、食べ物の名前だと長生きするってジンクスを信じて名付けました。他の候補はよもぎ、ジャム、おはぎ、などなど甘いものばかり。



きなこは、ご飯に執着も集中力も無く、遊ぶことが最優先。



三度の飯より猫じゃらし。



好奇心が強くて小さい頃は毎日何かやらかしました。



甘えん坊で、私が仕事に行けないように家の鍵をキャットタワーのお部屋に隠したり、



テレビ見てたらテレビ台に乗って「テレビなんか見てないで私を見て」みたいにしたり、



ドレッサーでメイクしてたら「鏡じゃなくて私を見て」ってしたり、



とても18年分のエピソードは書けないけれど、



とてつもなく幸せで、楽しく遊び、可愛さを浴び続けた18年でした。







あの小さなきなこが、死んでしまった。



誰だってそうだけど、死はその時まで経験できない。



不安だったのか、苦しかったのか、怖かったのか、



わからなくても、何も出来なくても側にいたかった。



抱っこしていたかった。



こんなのはその場にいない人間の身勝手なわがままだってわかっています。







だって、きっと、仮に日本で一緒に暮らせてたとしたら、仕事するだろうし、生活もあるし、



両親と同じように、朝になって、事きれたきなこを見つける、という結末しかないとも限りません。



それでも、



私が可愛がって大事にして、どんな時も一緒に過ごした子だから。







今でもまだ、私の左肩には抱っこした時にきなこがしがみつく爪と肉球の感触も、背中やお尻の毛を撫でたときのなめらかさも、



腕には、横抱きにした時のおさまり方も残っています。





あの朝、



父から電話があり、



きなちゃん、朝起こそうとしたら冷たくなっていたんだ、と聞いて、体の中がよじれるほど泣きました。



それは夫のお弁当を作っている時で、



電話を切った後は泣きながらお弁当を作りました。



プールで泳いでいた夫がお弁当を取りに戻って、



泣きじゃくる私を見てびっくり。



そこから何日かは記憶がぼんやりしています。



どうにか荼毘に付す前に帰国できないか、最後に1回でいいから抱っこできないか、



いろいろ検討はしましたが、帰らずに両親にきなこを荼毘に付してもらうことに。



最後のお別れはビデオ通話で。







最初の3日くらいは泣かないでいられる時間が無く、目が腫れ顔が変わり、



少し泣かずにいられても、これといって何のきっかけも無いのに突然涙が出たり、



やっと落ち着いたと思ったら、急に嗚咽したり、



スーパーのペットフード売り場であんなに動揺するとは。自分でも驚きました。



このつらい期間、思い出していたのはトム・ハンクスとメグ・ライアンの「めぐり逢えたら」の中でトム・ハンクス演じる男性が、



妻を亡くした後、どう悲しみと折り合いをつけているのかと問われた時のセリフです。



正確ではないけど、こんな内容でした。




当初は、朝起きてどうやって呼吸をするのかさえわからない。呼吸しようと意識しないとできないんだ。

それでも、毎日起きて、毎日呼吸をしているうちに、しようと意識しなくてもちゃんと呼吸ができるようになった。



と。



本当に何をしても何を見ても涙が出て困るほどだったのが、



少しずつ泣く間隔があき、



泣かずにいられる時間が伸びて日常生活を送れるようになり、



サングラスとマスクで外出できるようになり、



笑えるようにもなりました。







バンコクにいる今、幸か不幸かこの家にはきなこの痕跡も、エピソードもないので、日常を取り戻しつつありました。



命日から1ヵ月経った時に揺り戻されました。



いつか日本の家に帰ったら、一緒に暮らした空間に戻ったら、



どれだけ沢山の出来事を、姿を、思い出すのか、



きっとしばらくまた泣き暮らすんだろうと思います。







このブログ書いたらやっぱり泣いちゃったけど。



少しずつ、いつものブログも書きます。



たぶん。







長々とした話を最後までお読みくださりありがとうございました。



最近、バンコクは素晴らしく涼しい日がありますね。



日本はすっかり秋なんですね。



季節の変わり目は体調崩しがちですし、



どうぞご自愛なさって、美味しいもの食べて、たっぷり休んでくださいニコニコ