真珠のドラゴン -2ページ目

真珠のドラゴン

ブログの説明を入力します。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「足湯怖いなら」
歌:Nice Natures
歌詞:姫路詩織
作曲:小鹿鶫
編曲:麦沢菜種

競馬場から ネオンで眩しい歓楽街にまで
いろんな牝馬がいろんなビートを叩き出す
終わりのないヒステリーのように
{足湯怖いなら}
{I see you crying and} (君が泣いている姿を目撃すると) 
何に賭けていたのか
聞きたくなる

駆けてくる馬の足音が聞こえる
きっと勝てるよね
きっと
ぼくも画面を見入ったり 目を細めたりして
叫び出す時を待ち続ける
ぼんやりと

ハナモゲラ(マチカネタンホイザ)に会ったよ 彼は大丈夫
誰も全く変わってしまったりはしない
違った買い目をしていたって 
みんな同じように負けてしまうもの
出入口付近で気づいたんだ
毎度のように ぬるくなる足湯が
あの優しい仲間の瞳にある

駆けてくる馬の足音が聞こえる
きっと勝てるよね
きっと
ぼくも画面を見入ったり 目を細めたりして
叫び出す時を待ち続ける
ぼんやりと

絶望的になるまで 夢中になっていたい
I see you crying and 同じ馬券を
握りしめて

彼等は馬券師を演じている ぼくを訪ね 電話もかけてきた
ジリ脚フェチシズムだと言ってたよ
本当はそれぞれ好き勝手に賭けているだけなのに
洗礼者の首を欲した サロメよりも
あの時僕たちが夢中になった
ハナ差待ちを いつまでも語っていよう

駆けてくる馬の足音が聞こえる
きっと勝てるよね
きっと
ぼくも画面を見入ったり 目を細めたりして
叫び出す時を待ち続ける
ぼんやりと

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





「ラバーリング・ファンタジー」
歌  鬮目街香・林ケム子
歌詞 鬮目街香・林ケム子

小旅行
あるいは宇宙旅行
飛行機雲・鉄道路線
雪解けの白峰

蒸気船
手を振って上機嫌
勾配坂・石段回廊
弓なりの湾岸

アンリルシダネルが描いた夕暮れ
斜陽輝線がそそぐ大海原

春の歌が聴こえる
海のシンフォニー さざ波
夜のしじみが開く
秘密のドア
海辺のフォーンサージュ

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





『ローカル照れ色』
歌  林ケム子・鬮目街香
歌詞 林ケム子・鬮目街香

大和田機場公開放流
桜並木と水路の曲節(メロデア)

遠い日どこかで聞いた古沼
棕櫚の町を潤す心の棲家(コロニー)
オランダ衣装・観光船
風車の庭を歩こう 自転車降りて 

飛び立つモモイロペリカン
湖面の波紋が水流を撫でる

光浴びて撓り出す
進化系統樹の細い小枝
-JERICHO- 沼と生きる女(ひと)
新しい命をそっと抱きしめて

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
枕草子 上に候ふ御猫は(第9段) 清少納言


原文
 上に候ふ御猫は、かうぶりにて命婦のおとどとて、いみじう をかしけれかしづかたまふが、端に出で伏したるに、乳母の馬の命婦、「あな、まさなや。入り たまへ。」と呼ぶに、日のさし入りたるに、ねぶりたるを、おどすとて、「翁丸、いづら。命婦のおとど食へ。」と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえ惑ひて御簾のうちに入り

現代語訳
(天皇の御座所でお仕えしている御猫は、叙爵によって、従五位下に任じられ「命婦のおとど」といって、たいそうかわいらしいので大切に世話をしている。(その猫)が、縁側に出て寝っ転がっていたので、(猫の世話役である)馬の命婦が、「まあ、みっともない。おはいりになさって。」と呼ぶのに、(言うことを聞かず)日のあたっているところに眠っていたのを、驚かそうとして、「翁丸、どこですか。命婦のおとどを食べてしまいなさい。」と言うので、「ほんとうか!」と思って、おろかものは走りかかったので、(猫は)あわてて御簾の中に入ってしまった。)

 朝餉の間に、上おはしますに、御覧じいみじうおどろかたまふ。猫を御ふところに入れさせたまひて、男ども召せば、蔵人忠隆、なりなか参りたれば、「この翁丸打ち調じて、犬島へ遣はせ。ただ今。」と仰せらるれば、集まり狩り騒ぐ。馬の命婦をもさいなみて、「乳母かへて む。いとうしろめたし。」と仰せらるれば、御前にも出で。犬は狩り出でて、滝口などして追ひ つかはし

(食事をする部屋に、一条天皇がいらっしゃるときに、(翁丸が猫におそいかかる様子を)御覧になられてたいへん驚きになられた。猫をふところにお入れになられて、殿上人たちをお呼びになると、蔵人忠隆となりなかが参上したので、「この翁丸、打ってこらしめて、犬島へ行かせろ。今すぐに。」とおっしゃられるので、集まって狩り出して騒ぐ。馬の命婦を責め立てて、「世話役を変えてしまおう。とても不安である。」とおっしゃるので、天皇の前に(謹慎して)出ない。犬は狩りだして、滝口などに命じて追いやりなさってしまう。)

 「あはれ、いみじうゆるぎ歩きつるものを。三月三日、頭の弁の、柳かづらさせ、桃の花をかざしにさせ、桜腰にさしなど歩かたまひ折、かかるとは思はざり けむ。」などあはれがる。「御膳の折は、必ず向かひ 候ふに、さうざうしうこそあれ。」など言ひて、三、四日になりぬる、昼つかた、犬いみじう鳴く声のすれば、なぞの犬のかく久しう鳴くあらと聞くに、よろづの犬とぶらひ 見行く

(ああ、たいそう得意げにゆったりといばり歩いていたのに。三月三日に、(藤原行成によって)頭の弁が柳のかずらを飾らせ、桃の花を髪飾りとしてつけさせ、桜を腰に挿すなどしてお歩かせになられたときは、こういう目にあおうとは思わなかっただろう。などとひどく悲しく思う。「定子様のお食事ときは、必ず向き合いお仕え申し上げていたのに、さびしくて心が満たされない。」などと言って、三、四日たった昼ごろ、犬のひどく鳴く声がするので、どのような犬がこのように長く鳴くのであろうかと聞くと、さまざまな犬が見舞って見に行く。)

 御厠人なる走り来て、「あないみじ。犬を蔵人二人して打ち たまふ死ぬべし。犬を流さたまひけるが、帰り 参りたるとて調じ たまふ。」と言ふ。心憂のことや、翁丸なり。「忠隆・実房なんど打つ。」と言へば、制しやるほどに、からうじて鳴きやみ、「死にければ、陣の外にひき捨て。」と言ヘば、あはれがりなどする、夕つかた、いみじげにはれあさましげなる犬のわびしげなるが、わななき歩けば、「翁丸か。このごろかかる犬やは歩く。」と言ふに、「翁丸。」と言ヘど、聞き入れ。「それ。」とも言ひ、「あら。」とも口々申せば、「右近ぞ見知りたる呼べ。」とて召せば、参りたり。「これは翁丸か。」と見せさせたまふ。「似てははべれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また、『翁丸か』とだに言へよろこびまうで来るものを、呼べ寄り来あらぬ な めり。それは、『打ち殺し捨て はべり。』とこそ申しつれ。二人して打たには侍りな むや。」など申せば、心憂がらたまふ

(御厠人である者が走ってきて、「ああ、たいへんです。犬を二人で打っていらっしゃいます、死ぬでしょう。犬をお流しになりましたが、帰って参ったのでこらしめておられます。」と言う。情けないことだ、翁丸である。「忠隆・実房が打っている。」と言うので、やめさせるのに人をやるうちに、どうにか泣きやみ「(犬が)死んだので、門の外へ捨ててしまいました。」と言うので、かわいそうなどと思う、夕方ひどい姿に腫れ、みすぼらしい犬で、しょんぼりしたのが、身震いしながら歩いているので、「翁丸かしら。この時間頃このような犬が歩いているだろうか。」と言うので、「おきなまろ。」と呼んでみるけれども、聞き入れない。「翁丸だ!」とも言い、「違う!」と(中宮様に)口々に申すと、「右近なら知っているでしょう。お呼びなさい。」と言ってお召しになったので、参った。「これは翁丸か。」とお見せになる。「似てはおりますが、これはいまわしげに思われます。また、『翁丸か。』とさえ言えば、喜んでやってまいりますのに、これは呼んでも寄って来ません。違うようです。その犬は『打ち殺して捨ててしまいました。』と申しました。二人で打ったのならば、生きているでしょうか。」など申すので、(中宮様は)お悲しみになられる。)

 暗うなりて、物食はせ たれ食はば、あらものに言ひなしやみぬる、つとめて、御けづり髪、御手水など参りて、御鏡を持たせ させたまひ御覧ずれば、候ふに、犬の柱のもとにたる見やりて、「あはれ、きのふ翁丸をいみじう打ちかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬ らむ。いかにわびしき心地けむ。」とうち言ふに、このたる犬のふるひわななきて、涙をただ落とし落とすに、いとあさまし。さは翁丸にこそはありけれ、昨夜は隠れ 忍びあるなり けり、と、あはれに添へをかしきこと限りなし

(暗くなって、物を食べさせたけれども、食べないので、他の犬だということにして終えてしまい、それなりになった早朝、(定子様が)髪を梳かしたり、洗顔などをなさって、御鏡をおもたせになられてご覧になるので、お仕えしていると、犬が柱の下にうずくまっているのを眺めて、「ああ、昨日翁丸をひどく打ったことよ。死んでしまったと聞いたことは不憫である。いったい何の身に今度はなっているのだろう。どんなにつらい気持ちがしただろう。」とつぶやいたところ、このうずくまっている犬がふるえて身震いをして、涙をただただとめどなく落とすので、とても意外で驚いた。それは翁丸であったのだなあ、昨日は隠れ忍んでいたのだなあ、と不憫さに加えて感興も限りない。)
         
 御鏡うち置きて、「さは翁丸か。」と言ふに、ひれ伏しいみじう鳴く。御前にもいみじううち笑はたまふ。右近の内侍召して、「かくなむ。」と仰せらるれば、笑ひののしるを、上にも聞こしめして、渡り おはしましたり。「あさましう、犬などもかかるあるものなり けり。」と笑はたまふ。上の女房なども聞きて、参り 集まり呼ぶにも、今ぞ立ち動く。「なほこの顔などの腫れたる、物のてをさせばや。」と言へば、「つひにこれを言ひあらはしつること。」など笑ふに、忠隆聞き て台盤所の方より、「まことにやはべら。かれ見 はべら。」と言ひたれば、「あな、ゆゆし。さらに、さるものなし。」と言はすれば、「さりとも、見つくる折もはべら。さのみもえ隠さたまは。」と言ふ

(御鏡を手から離して、「お前は翁丸か。」と言うと、ひれ伏してひどく鳴く。中宮様もたいへんお笑いになる。右近の内侍を召して、「このようです。」と仰せになったので、笑い騒ぐのを、上様においてもお聞きになって、こちらにおいでになった。「あきれたものだ、犬などもこのような心があるのだなあ。」とお笑いになる。女房なども、これを聞いて参り集まって、呼ぶのにも今は立ち動く。「しかしやはりこの顔など腫れている、看病してやりたいものだ。」と言うと、「とうとう本音を言いましたね。」などといって笑っていると、忠隆が聞いて、台盤所の方から、「本当でございましょうか。それを見ましょう。」と言ったので、「ああ、いやです。絶対にそのようなものはおりません。」と言わせると、「そうおっしゃっても、見つける場合もございます。そういつまでも隠しておくことはできないでしょう。」と言う。)

 さて、かしこまり許さて、もとのやうになりに き。なほ、あはれがらて、ふるひ 鳴き出でたり しこそ、世に知らをかしくあはれなりしか、人などこそ人に言は泣きなどはすれ

(さて、(翁丸は)おとがめ許されて、もとのようになった。やはり、あわれがられて震え鳴き出したときこそ、世にないくらいの興があって心がうたれた。人間などは他人から同情の言葉を言われて泣きなどはするけど。(まさか犬が涙をながすなんて))
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

誤注文の多い料理店食事

$銅の馬の背に乗って

ミーハー豆腐物語
誤注文の多い料理店
○竹虎物語 Part1
○誤注文の多い料理店 春編
○誤注文の多い料理店 夏編
○誤注文の多い料理店 秋編←
○誤注文の多い料理店 冬編
○竹虎物語 Part2
○トラムポン
○謹賀鉄道の夜(裏街道)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





3.鼻につけた餅の粘質性は必ず油断と気前の良さに反比例する

十五夜の/お月見団子/つまみぐい/月うさぎも尻/もちツキの秋うさぎ月見

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*




干支レース
うさぎtoかめ♥かめtoうさぎ

これは、むかしむかしのお話です。おとんど様が1月1日にわたくしのいるお城へ新年のご挨拶をしに来てくださいというお触れを出したそうな。早く来た動物から順に十二支を決め、かわりがわりに年賀はがきのイメージキャラクターにしましょうということが付け加えて書かれていました。さてさて動物たちは大騒ぎ。年賀はがきとは、お客さん(人間さん)が新年のお祝いを、ことばやイラストなんかを添えて知り合いやお友達に送るためのハガキのことです。ですからそれぞれめいめいがあちこちにちらばって、裏を見せたり表を見せたりしてちらちら散っていくもみじの葉を浴びながら山の中をいっしょうけんめい走ってみたり、夜になると石造彫刻が欠けて少しススけた常夜灯の明かりを元に神社の境内でかくれんぼしたりかんけりしたりして、十二支レースへと備えておりました。うさぎの『ピケット』は、辺り一面真っ赤な曼珠沙華が生い茂る堰堤にごろーん、とねっころがってぐうぐう眠っておりました。まんまるくなったピケットの体は白い牡丹のようになって、彼の周りの彼岸花はまるで線香花火のように自由に体をゆらゆら揺らせておりました。川辺ではカメの『ナニー』とトラの仲嶋梓が、魚とりのための網をお客さんがゆすぶっているのを見ていました。

ナニー<あれはですね。『なりきり網』というもので、大雨が降った後に、上流から来る魚を待ってとる持ち網のことなんですね。川幅いっぱいに張り切って使用することから『なりきり網』と言われるんですね。ほら、びくをとったでしょう。いまですよ。わあ、ハヤとドジョウが入れ食い状態ですね!

仲嶋梓<ムムッ。それならあちきだって。   ナニー<え、これは何ですか?

仲嶋梓<これはRepública Federativa do Brasilの南東部に位置するRio de JaneiroのJacarepaguá湖畔の湿地帯に建設されたAutódromo Internacional Nelson Piquetをモチーフにした持ち網のことで、『寝てても得する網』というものなんだトラ。あちきは杏子の実を食べながらカーニバルしてるだけでもいいし、ぐうぐう眠りながらいびきかいててもぴょいぴょい魚が入ってくるんだトラッしまじろう



ナニー<面白そうですね!早速試してみましょう!   仲嶋梓<全然つっこまないキャラトラ・・・。

かめ阪神土鍋柳
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
    箸shimadojou☆☆
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

ナニー<あ!しまドジョウさんがシケインを利用してショートカットしましたよ!

しまドジョウさん<仲嶋梓、文化価値的レギュレーション違反!ハイドロポンプ!タイプ一致1,5倍!

仲嶋梓<ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーース!!!

夢じゃなかったら良いんだけどな。リラックスにおいての第一人者であるレーサーのピケットは、勝負ごとにも平気で居眠りできる神経を持ち合わせていましたが、最近はとてもとても浅い夢をみておりました。友達でもありライバルでもあるナニーがちょっともったいないことをして引退してしまったので、一生懸命走って十二着まで滑り込む夢でした。冷たい秋風にはたき落とされ眠りから覚めたピケットは、天井に広がる青空と、ぼやけた視界で作り上げた真っ白な雲が重なった世界をぷらぷら歩きながら二人と合流しました。

ピケット<お!何話してるんだ?   仲嶋梓<うさぎとかめの話トラ!今度レースがあるでしょ?
ピケットげ!そ、それは!ナニー<やけに青いですねw


仲嶋梓<えーと、粋ペディアによると『ウサギに歩みの鈍さを馬鹿にされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑みました。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまいました。ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めました。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿でした。』にゃるとら、にゃるとら。才能がある人も決して油断してはならないし、歩く速度がゆっくりな人も着実に1歩ずつゴールに向かって進んで行けば大きな成果を果たすことができるということなのかトラ!。ん、まああちきは才能があって~、しかも努力家だからあんまり意味のない教訓なんだけどぉ~トゥラッ!(年収8万)

確かにその通りだ。とピケットは思いました。気質とはいえ注意力の散漫が招いた一瞬の気のゆるみ。夢と現実の間を行きつ戻りつする居眠り癖。それでも久しぶりに心の中で高揚した自然感情を引き起こしてくれた良きライバル。再戦を誓ったあの日からかかりつけの医者にかよって、弱点を克服するための色よい返事をもらい、僕は毎日練習に励んだ。そして自分の素質と努力が掛け合わせれば、間違いなくナニーに勝てると信じていた。でもナニーはこれまで地道にコツコツと積み上げてきた無数の賜物のほとんどを失ってしまったんだ。よーいどんの新しい出発の合図どころか、悲しい終焉を告げる突然の晩鐘。そんな中、開催される十二支レース。だから今度は自分達の出番なんだ。なんだけどさ、世の中には笑っちゃうほどトンデモない奴らが沢山いるんだよなあ。特にこの自由闊達なトラ姉ちゃんもそうだ(笑)取り敢えず監督になったナニーの話を参考にして、十二支レースに備えているんだけど。もうこれはうさぎとかめの話も霞むほどの馬鹿げたレースなんだ。。。

ナニー<確かに梓さんには敵わないでしょう。でもうさぎやかめだけの固有性の殊別だけではなく、色んな動物と轡を並べて競争すれば、自分自身の伸張を改めてはかることもできるのではないでしょうか?えーと、確かこんな動物物語もあったような気が・・・。     仲嶋梓<え?


仲嶋梓げげ!い、いや~んトラ!
なんでそんなマニアックな物語を所有してるんだトラ!物知りは怖いトラチャンドゥ   ナニー<ふふふ。
わ、わかったトラ!あちきで良かったら、あんたたちの力になってあげるトラとら

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

うさぎとかめの論議1  ~マグネチック・ヒル~


ナニー<カナダ東部の町モンクトンは『マグネチック・ヒル』と呼ばれる丘があります。日本にもこの磁石の丘と呼ばれる不思議な名所は各地にあって『ゆうれい坂』とかよばれているんですね。上り坂だと思って自転車を漕ぐのをやめようとすると、驚いたことに引力の法則に逆らうかのように坂を登っていくという不思議な丘なんです。そういえばうさぎとかめって丘の上に旗が置いてある表紙絵じゃないですか。実はあの表紙絵のモデルとなった舞台もマグネチックヒルだったんです!この不思議な現象に人々が気が付いたのはすっと昔のことだったそうですよ。牛乳を馬車で運んでいた農夫が、下り坂なのに後ろから押さないと動かないことに気付いてからだと言われています。噂が噂を呼んで、この丘を一目みようと遠くからも人が集まってきて、アイスクリーム屋さんができるほどの賑わいになったそうです。上り坂に見えて下り坂ならば、話は違います。私は身をまかせてコロコロ転がっていけばゴールできますから。エイムズの部屋に似た錯覚から起こる現象なのでしょうが、おそらく、地盤ができたころに偶然のイタズラでできたものでしょう。現在も世界中から観光客が訪れ、町の大きな収入源となっているそうですが、大規模な地質調査は行われていないようです。梓さん、何故そうだと思われますか?

仲嶋梓<え!?えーと、自然の所産の秘密を分析して誰も発表しないのは、恐らく地元の人々がこの丘を誰よりも大切にしていたからではないかと感じましたトラ。。。

ナニー<成程!自然が育んだ精神風土がそっくりそのまま人柄に映っているのですね!うさぎとかめの物語も確かにそうかもしれません。うさぎさんが一位になって欲しい読者もいれば、かめさんが一位になって欲しい読者のファンもいる。中には二匹仲良くゴールしてほしい読者もいれば、そもそも競争なんかしてほしくない読者もいる。こんなに短い作品なのに、この物語の豊富性は何を抽象しても何かが残ることなのです。大事なのは読者のみんながそれぞれ一つの情熱(ゴール)を持っているということ。その中で、価値の対立に就いてのイタチごっこも起きるでしょう。物語の主人公である私たちは丘の上から読者を壟断するのではなくって、広いはずなのに狭く感じる『丘の下』から、狭いはずなのにだだっぴろかった『丘の上』に向かって背中をちょこんと押してやることなのかもしれませんね。あれ、登ってみるとなんだか下り坂みたいで面白いじゃん、と言う風にです。とらときつねの物語だって同じことですよ。カメ

仲嶋梓<へ~、そうなのかトラ・・・。じ~ん。

ピケット成程!違います。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

うさぎとかめの論議2  ~アキレスと亀~



ナニー<カメと俊足のアキレスが競争をするお話です。ただしスタート地点では、カメはハンデをもらってアキレスより何メートルか前にいることにします。そうするとアキレスは、カメに追いつくことができないというものです。それは、追う方は追われる方の出発点に着かなければならず、したがって遅い方は、常にいくらか先に進んでいるはずだからです。つまり、スタート地点ではカメはアキレスより前にいます。アキレスがカメの出発したところに着くころには、カメは少し先に行っています。その地点にアキレスが着くころには、さらにカメは少し先に行っています。ブルン!ブロロロロロロロロロロ、ブォォォォーーン!!!さらにその地点にアキレスが着くころには、さらにカメは少し先に行っていますよね。こういう無限の繰り返しがあっても、カメはアキレスより少しだけ前にいるはずなので、アキレスは永遠にカメを追い抜くことができないというのです。もちろん、実際にやってみれば間違いであることが分かりますが、ちゃんとその間違いを言葉で説明できないとダメですよと、ゼノンは言いたかったのではないでしょうか?梓さん、ちゃんと言葉で説明することはできますか?このままではかめが勝ってしまいますよ~?

仲嶋梓<え!!?えーと、アキレスは不死身で俊足の体を持っていたけれど、自分自身に唯一の弱点があることに気がつかなかったんだトラ。一方カメちゃんは、干ー支、なんだっけこの車。イプサムトラ!自分の良いところ、悪いところ、全部を受け入れてゴールを目指していたから勝てたんだトラ!だから、アキレスは自分自身を受け入れることができれば、カメを簡単に追い抜くことができるトラ!ちゃんと言葉で説明することが出来たトラ♥とら(ドヤァ)

ナニー<あーばれたp(^-^)q

ピケットなんかおかしいぞ!!!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

うさぎとかめの論議3  ~水琴窟~


仲嶋梓<うさぎとかめのほかにリーマスじいやの話という物語があるトラ。

ナニー<はい。確かに私もずるっこをしてしまいました。これこれこういうことです。能の舞台を想い起してください。能舞台には、ソデの道に松の木を遠近法に基づいて植えたり、いろいろな仕掛けがされていますよね。役者たちがトンッ!と踏み鳴らすときの音は不思議に響きが良いでしょう?これは、能舞台の床下に水を入れる大きなかめが置いてあるためなんです。王茶菓の大機能楽堂移設のときだったかな、床下に口径1mのかめが7,8個底の方を土の中に埋めた形で置かれていることがわかったそうです。そこで私は、ピケットがそろそろ疲弊しそうだなというポイントを見定めて『水琴窟』というものを設置したんです。『水琴窟』とは一メートルほどの高さの手水鉢の下に水がめが埋められていて、手水鉢に水がしたたると、ポポン、ポポンと涼しげな音を響かせてそういった音の余韻を楽しむものなんですね。私がこれほど音の響きを重視したのは、ピケットは、『耳』から最大のポテンシャルを引き出すことにかけて才能があるからだと感じたからです。丁度アクセル開度やエンジン回転数によって、異なるアクセル音を耳で感じとれるように。うさぎは耳がいいですね。それと同時にウサギという動物は、音の余韻というものを深く大切にする生き物なんだとも思いました。だからゴウゴウとタイヤが摩耗されたときは焦らず、『水琴窟』の音色にひたりながら音交換(居眠り)をすると思ったんです。ピケットはゆりかごで眠る赤ちゃんのような寝顔でしたよ。ところが私は彼を横目に抜き勝ってしまったのです。梓さん。どうしましょう?

仲嶋梓<え!?えーと、ずるっこかどうかは置いといて、生命感の認識によるうさぎの固有性やかめの固有性を、競走の場で明らかにすることはどちらかと言えばスタイル論に近いと思うトラ。努力を惜しまないことが(この物語で言うところの)カメのいいところであって、才能があるけど油断しちゃうところがウサギの面白いところであり、つまり公共的実用性、有効性(あるいは無効性)があることがいいんだと思うんだトラ。その中で、癖や好み、身振りといったものを論理的な正否だけで結び付ける考えは、自身や他人を器械体操の中にはめ込む作用を齎すだけだと思うトラ。でも、もし生命感の認識が競走の場ではなく思いやりという救出の確立の場であったならば、水琴窟の設置はかめの優しさが公共的実用性として役立てられると思うトラ!

ナニー<あー優しいんだーヾ(@°▽°@)ノ

ピケット偉い!偉いけれども!!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

仲嶋梓<ちょっとちょっと~、さっきから文句ばっかり言ってないでピケットも自分の意見ぐらいちゃんと言って欲しいトラ~!うさぎさん代表なんでしょ?   ナニー<そうでいそうでい!かめ

ピケット<いやいやいや。議論そのものがおかしいだろ。僕は2回戦目だったら間違いなくナニーに勝てたんだ。教訓とは別に、個人的な思いとして名誉と不名誉の対象がはっきりしすぎているから、もう一度挑戦して勝ちたいということなんだ。でもナニーが引退してしまって、今度は十二支レースというおぞましくて過酷な競技がやってくる。たとえ下り坂に見せかけようとも、自分自身を受け入れようとも、癖や好み身振りで優しさを振りまいても、このレースは本当の実力者(勝った人)がものを言う世界なんだ。成功本があるように、成果を果たした人の成功例だけが世界に残る。それでも、素質と努力というものをうさぎとかめの物語を通して秤量し、人生上の価値としてそれぞれの輝きを見出してくれる人たちがいるのならば、僕はこのレースに挑戦するぞ。ナニーがこれまで培ってきたもの、そしてその練習方法を教えてほしい。

ナニー<ピケットさん、いかすぜ!そのセリフを聞きたかったんだ!一緒にウィーナー目指しましょう!

仲嶋梓<あちきも練習するトラ~♪   ピケット<(なんかウィナーの発音が違う気が・・・。)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆